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暑い暑い夏のとある風景に恋い焦がれる



 ミーン、ミーン…

 蝉の大合唱を聞き流しながら、鉄板のようになったコンクリートを踏む。
 こめかみから出発した汗が一粒顎から滑り落ちたのを合図に、雅は思わず隣に手を伸ばした。



「…孤爪君、限界。暑すぎて目がかすみます」



 遠慮なくがっつり服の裾を掴む彼女にちらりと視線を動かすと、孤爪も足を止めて軽く首を傾ける。



「…おれも、暑いけど」

「少しだけ休まない?だめ?」

「少しならいいんじゃない。クロもそこまで鬼じゃない、と思う」

「黒尾先輩はあの人ドSちっくな一面がありませんか…」



 何かを企んでいそうな独特な笑みを思い出して、わざとらしく身震いした。
 瞬間、ふわりと意識が浮遊する。



「っ…!」

「−飴凪さん」



 ハッと気づいた時には孤爪に腕を掴み返されていた。

 華奢な印象しかなかったが、意外にしっかり男の子な手に釘付けになる。
 その視線に気付いたのか、直ぐにするりと指先が逃げた。
 少し残念に思いながらも、軽く足踏みして立ち直す。



「ごめん、ありがと」

「別に。…珍しいね。立ちくらみ?」

「んー?いや…よく分かんないんだけど最近多くて。急に意識が飛びそうになる。夏バテ?」



 全然元気なんだけどね!

 からりと笑って次の話題に切り替えようと目線をあげるが、珍しいことに視線が出逢った。
 静かな、全てを見透かすような双眼に見つめられて、思わず動きを止める。



「−それ、昔からよくあった?」

「…え?えー、あんまりないけど…そういえばもっと小さい頃にも同じような時期があったような、」

「いつくらい?」

「ん!?と…小学校の低学年とか、それくらいだったかな」



 隣の同級生は人間観察には秀でているが、他人には興味はあまり持たない印象だった。
 そのため、話題が続いたことに動揺する。

 しどろもどろで問答を続けると一段落したのか、特徴的なプリン頭が翻った。
 猫のような双眼から解放されて、無意識に息を吐く。
 彼の瞳は綺麗だと思うし見つめてはいたいが、視られるのは全てを分析されそうで苦手だった。

 少し速くなった左胸の鼓動に小首を傾げていると、1人分の影が動く。



「…孤爪君?そっちは反対方向じゃ…」

「休憩するなら、こっちの方が涼しいから」



 ちらりとこちらを振り返る孤爪の身体の方向を確認して、納得した。
 緑の生い茂る神社。
 進学してからはあまり足を踏み入れていないが、昔はよく入り込んだ覚えがある。

−ああ、確かに涼しかったかも。



「…あれ?」



 この道は通学にも使うくらい歩きなれているはずだが、今の今まで不思議なくらいその場所に意識が向いていなかったことに気付いて瞬いた。
 まるで存在すら忘れていたかのような、急に記憶をねじ込まれたような感覚に陥る。

 長い石段に、寂れた朱色、所々に落ちる木漏れ日、草の匂い。
 それでも記憶と重なる風景に、違和感はゆるゆると沈みこんだ。

 懐かしみながら後に続くと、ふと空気が変わる。



「…?−…、」



 ひんやり纏わりつくような、ぞくぞくするような。

 思わず前を見るが、変わらず淡々と石段を進む背中があるだけだ。
 気のせいだと言い聞かせて、最近転校してきた同級生に言葉を投げる。



「孤爪君もここ知ってたんだね」

「…まあ、静かな場所は嫌いじゃないし」

「家近いっけ?」

「部活とかで走るから、通る」

「あ、バレー部だね」

「ん」

「わたしも昔はよく遊んだんだけどなー」

「そう」

「そういえば、黒尾先輩も一緒に転校してきたよね。同時なんて珍しいよね」



 二人とも仲いいし元々知り合いなんだっけ。
 そう問い掛けを続けようとして、しかし音にはならなかった。



「あ…?−違う…、え」

「…、…」



 自分の唇から零れた戸惑いの間と否定の言葉に、目を見開いて反射的に口を覆った。

 何が、違う?

 視線を挙げると、二段だけ先を行く孤爪といつの間にか向き合っていた。
 何かを語るように、呼び掛けるように、少し強めの風が二人の間を吹き抜ける。
 じっと動かない両の目が、濁りなく雅を映し出していた。



「…何が、違うと思った?」

「…、…孤爪君は、何を知ってるの。私が忘れてるの?おかしいの?」



 聴かなくても理解する。
 彼は何らかの事情を察していて、自分に何かが起こっていて。

 縋るような想いで見つめ返すと、ゆったりと瞬きを繰り返した孤爪は、困ったように視線をずらした。



「もう、連絡はしてある。もうすぐ来ると思う。できればそれまでに思い出してほしい」

「思い出すって、」

「もう一度戻るけど、さっき何が違うと思ったのか考えて」



 彼にしては珍しい、少し余裕のない雰囲気に気圧されて必死に思考を戻す。
 先程までの過程で、どこに違和感を感じたのか。

 まず一番始めが、



「…この場所を、忘れてた」



 確かに昔遊んだ記憶もあるし、今も割に鮮明に思い出せる。
 ほぼ毎日通るのに、数年間一度も全く意識が向かないなんてことがあるだろうか。
 先を促す視線に頷いて、次を探った。

 二つ目。



「…、関係性が、曖昧だと思う。“今の記憶”に違和感があって」

「それ、具体的には?」

「孤爪君、最近転校してきたはずなのに、割に昔から知ってる気がする。黒尾先輩は、多分“こっちで”会ったことないはずなのに、当たり前のように名前でてきてたし、普通に知ってる」



 そうだ、初めからおかしかった。

 今思えば、数分前。
 そもそも、何をしに孤爪とどこに向かっていたのか。
 それすらも、全く思い出せない。
 そういえば、その時から当たり前のように黒尾の存在も自分の中にあったではないか。

 考えようとするほどに、ズキズキと蝕むような、耳鳴りにも似たような痛みに襲われる。
 ふらりと傾いた身体を、冷たい温度が支えた。



「っー、」



 一気に距離を縮めたらしい彼が、肩に触れる程度で雅の体重を階段に押しとどめる。



「うん、それで充分だよ。完全に呑まれていないから、今なら…“取り戻せる“」



 うっすらと視界を広げると、少しだけ口角を引き上げた孤爪の髪がざわりと靡いた。
 瞬間、一気に肌が、空気が粟立つ。

 何かが、きている。
 状況が掴めていない雅にも、それだけは理解できた。
 肩を支えてくれる彼の手に力がこもる。



「…“雅“、おれから離れないでね」

「…、ん。分かった」



 彼に名前を呼ばれたのは初めてのはずなのに、妙にしっくり馴染む音に視界がぼやけた。
 自分が何か大切なものを失っていて、それを取り戻そうとしてくれている人がいる。

 その手に自分の手を重ねると、じんわりと混ざる温度に呼吸が緩やかに再開するのを感じた。



「あ、これ落ち着くかも」

「っ!?」



 反面、ギョッとしたように固まってしまった孤爪に驚く間もなく、もう一つ気配が増える。



「オーイ研磨ァ気持ちは分かるけど力乱れてんぞ」

「え!?」

「雅チャン、もうちょっと手加減してあげてくれる?」

「…クロうるさい。遅いし」



 耳元に落ちた低温に反射的にもう隣をみれば、気怠そうに佇む黒髪の男がニヤニヤと愉しげな笑みを浮かべていた。
 一体何をどうしてこの一瞬で現れたのかは気になるところだが、今必要な着目点がそこではないことは分かる。
 不機嫌そうな孤爪の言葉を聞かずとも、理解した。

ー私は、彼のことも知っている。



「黒尾、先輩…」



 ぼんやりと呟くと、ポンポンと頭に重みが乗った。



「おう、“こっち“では初めましてだけど。とりあえず久しぶり」

「やっぱり前からお知り合いでしたよね」

「まぁな。あーっと、時間なさそうだから手っ取り早く説明する。足下見てみろ」

「足下って…、!え、」



 促されるままに視線を落とした雅は、絶句した。
 そこには、明らかにあるはずの物がなかった。
 木々の影に紛れて少しの隙間に佇む漆黒達。

 現在いるのは三人で、それに見合った形になるはずなのにー、



「な、んで…私の影…」



 シルエットとして目に見えて欠けているのは、自分の部分だった。

 何故今まで気が付かなかったのか。
 いきなり突きつけられた現実に、胸にぽっかりと穴が空いたような感覚に陥った。
 折角正常に戻っていた呼吸が再び乱れるが、クイと服の裾を引っ張られて意識を引き戻す。

 その先で惹きあった黄金色に、世界が止まった気がした。



「ー大丈夫、おれ達がいるから」



 僅かに上がる口角と、穏やかな眼差し。
 彼にしては柔らかすぎる表情に、気が付けば頷いていた。



「…うん」



 瞬間、甦る記憶の中に広がる景色。
 寂れた朱、落ちる木漏れ日、長い石段…古い神社の一角で出会った猫のような瞳をもつ少年。
 なぜ今まで忘れていたのか分からないくらい鮮明で色鮮やかなそれらに、熱の籠もった眼差しを返す。

ーそうだった、彼は、孤爪君は、あの時から…。

 胸の内に溢れ出した感情に、身体中の温度が上がった。
 完全に二人の世界が完成したあたりで、そろそろと手が挙がる。



「…あのー、超いい雰囲気のとこ申し訳ないんだけどね、そろそろ構えねーとヤバそう」

「クロって本当に空気読めないよね」

「いやオレも今お邪魔虫なのはさすがに理解してっから。その目ヤメテ、マジで傷付く」

「ハァ…」

「研磨ァ!ため息ィ!」



 目の前で繰り広げられる光景が、いつかどこかの光景と重なった。
 知らず知らずのうちに口元と頬の緊張が緩んでいることに気が付いて、一旦視界を閉じる。

ー、戻りたい。この人達と過ごした世界に。
 頭をよぎる、懐かしくて温かい光景の中に。

 再び映した視界には、じっとこちらを窺う二対の視線。
 もう大丈夫だと、安心させるために微笑んだ。



「お世話になります。私を、連れて帰って」







暑い暑い夏のとある風景に恋い焦がれる。


(きっと幼い頃からずっと気に掛けてくれていた、温度のある視線を覚えてる)
(気付かなくても、ずっと見守るつもりだったよ)
(あーハイハイ、珍しくゲーム以外にやる気満々だとは思ったよ。それ他にも生かしてくれたらなァ、無理だろうけど)


蝉の鳴き声、ああ遠い。


2021/09/12

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