そうして恋は始まった【後篇】
◇
とある公園のベンチで、銀時は途方に暮れていた。
目の前で地面に転がるイチゴオレを眺める少女は、神楽よりは年上だろうが二十歳には満たないだろう。
周りに女がいないわけではないが、こういうタイプは初めてだ。
しかも先程の事件で後ろめたさもあり、どうも対応の仕方が分からなかった。
唸る銀時の隣で、ガサガサと紙を開く音が聞こえる。
「…」
見なくてもそれが何かはすぐに分かった。
あの後彼女に返した、『好きです』と言葉が並ぶ紙だ。
内容とシチュエーションから察するに、あの青年に告白でもするつもりだったのだろう。
人の恋愛沙汰なんぞに興味はないが、今回ばかりは完全に自分にも責任がある為、何とも言えない気持ちになる。
ビリッ。
不意に鼓膜を揺すった音にギョッとしてそちらを向くと、雅が紙を破っていた。
慌ててその手を掴んで止める。
ジャラリ、と鎖が音を立てた。
「オマッ、…何してんだよ」
「…ほっといて下さい。もうこんなもの意味がないんです」
涙を浮かべてうつ向く雅を見つめると、ガシガシと頭をかいて握った手に微かに力を込める。
「俺が言うのも何だけどな、んな簡単に諦めるもんじゃねぇよ。一回や二回で根挙げるくらいの気持ちなら初めから持たない方がいい」
風が二人の間を通り過ぎた。
雅の肩がピクリと動いたかと思うと、ゆっくり銀時に顔を向ける。
真っ直ぐな瞳に、取り込まれそうになった。
いい目持ってんじゃねぇか。
ニッと笑うと、雅も笑顔を返して立ち上がる。
「今から行っても良いですか?」
「この状態で大丈夫かねぇ」
繋がったまんまだけど。
手錠のかかる腕を持ち上げるが、雅は関係ないと目を細めた。
「そんな半端な気持ちじゃありませんから」
真剣な瞳で笑う雅を確認するなり、銀時は満更でもなさそうな表情で腰を上げる。
「っし、行くか!」
「はい!」
どちらからともなく走り出すと、前方を見たまま銀時が口を開いた。
「大体目安はついてんだろうな」
「勿論です」
同じく視線は前に向けたまま言い切る雅に頷いて、彼女のリードのままに走る。
暫く行くと、スーパーが見えてきた。
セール中らしく店前にいくつもの商品が並び、それを囲む人垣が凄まじい。
その中に、確かにいた。
眼鏡をかけた賢そうな顔が、人混みに紛れながらキョロリキョロリと辺りを見渡している。
あの人混みの中よく見つけたもんだと感心するが、心なしか輝いた横の顔をチラリと見るなり、どことなくモヤモヤした気持ちが広がった。
「…―?」
ああ、あれか、娘を見守る父親みたいな。
世の中のお父さんってのはこんな気持ちになるわけだ。
勝手に結論付けて一人うんうんと頷く銀時を気に停める者はいない。
気が付けば、その人混みへと突っ走っていた。
ドン、ドカ。
雅は立ち塞がる人の塊にも怖じけず、どんどん突き進む。
大した気迫だと心中で拍手を送る銀時の視界の隅に、キラリと眼鏡が光った。
同時に雅もその姿を捕えたらしい。
「ッ通男君!」
「!雅…!」
振り返った青年はパッと顔を輝かせて、二人に身体を向けた。
「俺が悪かった!あの時は取り乱してしまって…」
申し訳なさそうに目を伏せる様子から、銀時は二人が両想いであることを確信する。
このまま雅が彼の元へ辿り着けばめでたしめでたしのハッピーエンドだ。
ちょっとした寂しさを胸に抱えて、銀時はそっと目を閉じた。
グイと手錠のかかる腕を引く力が強くなる。
―幸せになれよ。
フッと口元を緩ませる銀時を引っ張る形で、雅は青年の元へと駆け寄り、
「通男君!」
「雅!」
ギラリと雅の瞳が光った。
「ごめんなさい邪魔ッ!!」
「ぐふっ」
ズンッ。
「…………エェ?」
青年の横っ腹にめり込む雅の肘。
何が起こったのかも理解できぬ銀時の横を、気を失った青年の身体が過ぎる。
そのまま進もうとする彼女を止めないわけにもいかず、銀時は気合いで足を止めた。
「いやいやいや!ちょ、待て待て待って!お願いだから待って雅ちゃぁあああん!!」
ビィインと大変耳によろしくない音を奏でながら手錠の鎖が最大限まで張り、雅の動きを止めた。
続けて雅が泣きそうな顔で振り返る。
「何で…何でとめるんですか!応援してくれたじゃないですか…ッ」
「え、いや何かちょーっとしたすれ違いがあったようななかったような…つかさっき通男君突き飛ばしたけど!あれいいの!?」
「?何訳の分からないこと言ってるんですか?時間がないんです、早く行かないと私…!」
「…あの、大変聞きにくいんですが通男君とはどういう関係?」
「通男君?彼はただの友達ですけど」
「…」
あっさりと返された台詞に放心する銀時は、見た。
彼女が握り締める、ずっとラブレターだと思っていた紙―『好きです』の裏に書かれた、『大感謝激安セール!早いもん勝ち!』の文字を。
「あは、あはははは…」
「あ!ほらもう残りないですよっ。お一人様三つまでなんです!通男君はもうダメなんでお侍さんが代わりに三つ持って下さい!」
私も合わせてこれで六個ゲット!
生き生きと顔を輝やかせた雅にトイレットペーパーを持たされ、銀時は笑った。
ただ、笑った。
◇
「んじゃあ何、通男君はセールの為だけに呼んだお友達だったと」
「それ以外に何かありますか?」
トイレットペーパー六袋を両脇に置いたベンチで、雅はご満悦だった。
あれから知り合いを捕まえて何とか手錠を外して貰ったのだ。
解放された手首を擦りながらの銀時の問掛けに対し、雅はこきゅりと不思議そうに首を傾げた。
それに、銀時は心の中でそっと合掌する。
あのやり取りを見る限り青年の方は明らかに雅に気があるのだろう。
そして、確実に勘違いをしている。
「通男君が使い物にならなくなって予定になかった公園散歩で時間もロスしてもうダメかと思いましたけど、お侍さんの言葉信じて頑張って良かったです!」
ふふ、と花のような笑みで顔を綻ばす雅は銀時から見ても大変可愛らしかった。
しかし、内容が何気に酷い。
報われない彼を想って空笑いを浮かべる銀時の横で、雅はカサリと紙を広げた。
今度は先程道端で配られた広告だ。
何故かもう、見なくても内容は分かってしまう。
「わ、近くのスーパーで卵と牛乳のお買い得が!」
「…、おっかしーなァ俺いつからエスパーになったんだろーなァ」
予想通りの展開に軽く頭を抱えるが、彼女の口は止まらなかった。
「あ、お一人様五個まで!?わあ太っ腹ー」
「あー…ごめん俺そろそろ帰んないと。こう見えても社長でさー俺がいないと社員が路頭に迷っちゃうんだよ」
銀時はどっこらせと腰を上げながら何ともやる気のない声で言い訳を口にする。
しかし、そこから彼が動くことはなかった。
腕を束縛する感触にどこか遠い目をすると、ギギギとロボットのような動きで振り返る。
自分の手をしっかり掴む、素敵無敵の笑顔と目があった。
「暇ならこの後も付き合って下さい」
「あのさ、俺の話聞いてくれてる?」
「あれ、これおみくじ券までついてますよっ」
「雅ちゃーん?オーイ」
「さあお侍さん、目指すは卵と牛乳十ずつゲットついでにおみくじで商品券ゲットですよ!」
「…」
聞いちゃいねえ。
これはアイツらとかなりいい勝負だと自分の周りの人間を思い浮かべるが、そんなことをしてもどうにもならない。
相手が少女ではお得意の強行突破も難しい。
フッと諦めの笑みを溢す銀時を覗き込んで、雅は嬉しそうに微笑んだ。
「これ終わったらお礼に何か奢りますから!」
「あー…」
跳ねる黒髪を見て頬を掻くと、一つ頷いてから思い切り伸びをする。
息を吐いて、ポツリと一言。
「まあいいか」
その呟きを聞いていたのかいないのか、雅の笑顔は益々輝きを増した。
そうして恋は始まった
(え、何コレ何この気持ち。俺ロリコンじゃあないはずなんだけど)
(一目見てビビッときました!)
ストン、音がした。
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