そうして恋は始まった【前篇】
◇
坂田銀時は非常に困っていた。
場所は公園のベンチ。
恐る恐るといった様子でちらりと隣に視線を向ければ、クスンクスンと鼻をすする少女がさっき買い与えたイチゴオレを握り絞めている。
ガシガシと『空いている』方の手で頭を掻くと、銀時は深い溜め息をついた。
「あー…俺が悪かったってホント。後で何とかしてやるからさあ、とりあえず泣きやもうって俺が泣かしてみたいなノリになってるからコレ」
「…ぐす」
「はあ…」
額に手を宛て肩を落とす銀時の隣で、少女は静かにイチゴオレを飲み始める。
彼女が腕を持ち上げた際に、それは光った。
カシャン。
金属音を立てる鈍色の腕輪は、少女の動きに合わせてそのまま銀時の腕を引っ張る。
「…飲みにくいんですが」
「こればっかは俺のせいじゃねーよ。俺の意思じゃないもの、コイツのせいだもの」
引っ張られた左腕を引き戻しながら銀時が指差したそれは、腕輪と腕輪を鎖で繋いだような、―所謂手錠だった。
銀時が引っ張ったことで今度は引っ張られた少女の右手から、イチゴオレが離れる。
ボトリ。
「…」
「…」
じわじわと地面に広がるピンクの液体。
沈黙が、降りた。
「…ゴメンナサイ」
―時刻は数十分前に遡る。
競馬場から姿を現した銀時は、財布を覗きながらいつもの力のない目を瞬かせた。
「あーやっちまったなあ…しょーがない、あいつらの給料代をしきつめて…」
最低な事をぼやきながら、ぶらりぶらりと歩みを進める。
「…、景気付けにやってくか」
向かう先には、懲りもなく『パチンコ』の文字が佇んでいた。
ガー。
人が出入りする度に、中から音が溢れ出す。
まるで異次元だ。
自分もそこに仲間入りしようと、銀時が自動ドアをくぐりかけた、その時だった。
「わわわ、避けてくださあああいッッッ」
突如、前方の店内の騒音に紛れて、真横からソプラノが耳を通りすぎる。
左から右へと流れたそれに、銀時は思わずそちらに顔を向けた。
その瞬間、彼の顔面にはバサリと音を立てて紙が張り付く。
風で飛ばされてきたらしい。
ブハッ。
一瞬奪われた酸素を取り戻しながら紙をひっぺがすが、そんな銀時の瞳に映ったのは、『好きです』の文字だった。
「は?」
赤でデカデカと綴られたそれに、目が点になる。
しかし、その紙に気をとられていた銀時を悲劇が襲った。
「ッだからどいてー!!」
「グフゥ…!?」
必死な声が脳に届くと同時に、銀時の身体が物凄い衝撃に見舞われる。
横からの衝突物にそのまま吹き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。
「ッてぇなオイ…」
横っ腹に喰らった塊に顔を引きつらせて起き上がると、胸元には艶やかな黒髪が見える。
位置と状況から察するに、自分を吹き飛ばしたのはこの頭による頭突きだったらしい。
とりあえず相手は少女だ。
安否の確認をしようと彼女の肩に手を掛ける。
「オイ、」
ガシッ。
その手首を、不意に伸びた白い手が掴んだ。
ギリギリと、指が食い込む。
「…エ?」
その華奢な外見からは想像も出来ない力に間抜けな声を上げる銀時の前で、フワリと黒い前髪が揺れた。
大きな瞳が、鋭い光を宿して銀時を睨みあげる。
「紙を…!」
「へ?ああ紙、これ?」
「あ、それですそれです。良かったー」
銀時が手にしていた紙を掲げるなり、先程の表情が嘘のようにヘニャリと笑った。
ぶつかってごめんなさい。
ペコリと頭を下げた少女が銀時の手を解放しようとした、その瞬間。
ヒュルルル…、ガチャン。
「…は?」
「んん?」
二人の耳に入った、奇妙な音。
一拍遅れて感じた手首への異物感に、嫌な予感が全身を駆け抜ける。
嫌でも視界に入る鈍色から逃げるように、冷や汗タラタラで必死に目を背けようとするが、そんな銀時の細やかな抵抗は少女の行動によって打ち砕かれた。
「…、手錠?」
首を傾げて腕を持ち上げる少女の動きに合わせて、銀時の腕も挙がる。
カシャリと鎖が音をたてた。
努力は報われず、無情にも現状―少女と自分の腕を繋ぐ手錠―を目にした銀時は、一瞬で顔を豹変させる。
「あぁあああ何この展開ー!?つかどっから降ってきたの何でこんな綺麗に填るのつか冷静すぎだろオマエェエエエ!?」
今の状況分かってる!?
両手をワナワナさせながら発狂する銀時を落ち着かせようと、少女が身を乗り出した。
それが、まずかった。
「落ち着いてくださ、わ!?」
「うお!?ちょっと待っ…!」
銀時の上に乗っている状態の少女が体重移動をすれば、バランスを崩すにきまっている。
しかも今はお互いに片手の自由が効かない状況だった。
手錠に気が取られて、空いている方を使うという単純な答えさえ導き出せない。
手をついて身体を立て直すことも出来ず、グラリと視界が反転する。
あろうことか背後から地面に向けて倒れる黒髪を視界に入れるなり、反射的に銀時の手が出た。
後頭部と地面の接触を避けるべく、その小さい頭の後ろに腕を滑り込ませる。
ガッ。
「ッ、はー…何とかギリギリセーフ…、」
「…あの、」
ホッと息をつく銀時だが少女の声に我にかえると、今の体勢を把握した。
後ろに倒れた少女を庇ったのだから、勿論、銀時が上に覆い被さっている状態。
ついでに言うなら、少女の後頭部に腕を回している為、顔もとてつもなく近い。
第三者から見れば、明らかに警察が介入してくる要素たっぷりだ。
現に、ざわりザワリと周りが騒がしくなってきていた。
「あ、アレ…?」
ちょっとこれマズイ感じ?
顔を引きつらせる銀時が誤解を解こうと口を開きかけるが、それは一つの声によって遮られる。
「ッ雅!?」
「!…通男君!」
眼鏡を掛けた知的そうな青年が、二人の姿を見て目を見開いていた。
雅と呼ばれたのは紛れもなく銀時の下にいる少女であり、名前を呼び返したことから知り合いであることが伺える。
ちょっと待てよ待てって何か非ッ常ーにマズイ展開になってる気がするんですけど。
「あ、あのぉ〜」
状況説明をと恐る恐る介入しようとするが、そんな銀時をよそにどんどん会話は進んだ。
「ッ君がそんなヤツだとは思わなかった…!」
「ちょっと待って下さいッ誤解です!」
「この状態で何を信じろと言うんだ…!俺というものがありながら!」
「とりあえず話を…!」
「もう何も話すことなどない!君には絶望した!」
そう吐き捨てるなり踵を返して勢いよく走り去った青年に、雅の悲痛な声が響く。
「ッ通男君!」
「…」
雅の後頭部に回した銀時の手には、先程から握り締めている紙が覗いていた。
『好きです』
赤い文字が容赦なく銀時の目に入り、事態の把握を手伝う。
分かったのは、やはりマズイ展開、それも最悪ルートを辿っているということだった。
ピクリピクリと頬を痙攣させながら、銀時は雅を抱き起こす。
「…。えっと、何だ…雅ちゃん、だっけ?」
周りの視線が、いよいよ痛かった。
「…うん。とりあえず、移動しよっか」
小さな小さな銀時の声が、ポツリと響いた。
―続。
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