私を幸せにする絶対条件
◇
じとりと汗が滲む。
グランドや校舎からもれる音の合唱を聞き流しながら石段に座り込んでいると、ふと膝あたりに陰が落ちた。
「雅さん?大丈夫ッスか」
聞き慣れた音に顔を挙げると、逆光で反射的に片目を細める。
影しか分からないが、声とそのシルエットで人物の特定は容易かった。
しかし、偶然にしてはできすぎた出会いだ。
学年も部活も違う、共通点の見当たらない後輩に目をまるくする。
「…西谷、なんで」
「いや、何か呼ばれた気がしたんで」
「呼んだ覚えがないんだけど」
「そうッスか。まあオレが会いたかったんで来ました!」
「うん」
相変わらずの清々しさだ。
淡々とした自分の返しにも難なく対応してくる器の大きさ。
ああ、清子ちゃんで慣れてるのかな。
高嶺の花を連想させる友人を思い浮かべてひとり納得していると、一歩下がった西谷が唸るように切り出した。
「そういやさっき肘擦りむいたんスよ」
「どこ。大丈夫?」
「まあ大したことはないんですけど。雅さん保健委員でしたよね。保健室で手当頼んでもいいッスか?」
「いいよ」
「あざっす」
太陽を連想させる明るさでカラッと笑う。
その笑顔は、嫌いじゃない。
思わず口元を弛めそうになるが、すぐに結びなおした。
目の前の後輩がこちらに背を向けて屈んだからだ。
「…西谷、その格好は何」
「保健室までお連れしますんでどうぞ!」
「いやいや、普通に自分で歩くから」
小柄な部類に入るであろう自分とほぼ身長が変わらないといっても、仮にも男だ。
力はあるだろうし、そこの心配はしていないが、彼に淡い恋心を抱く身としては刺激と羞恥心が強すぎる。
まず、話の流れがおかしい。
何がどうしてそうなった。
何とか冷静を装ってふるふると首を振るが、西谷から発せられた静かな音に動きを止めた。
「−雅さん、捻挫は甘くみない方がいいッスよ」
「!え…」
体勢はそのままに、振り返る視線の真剣さに息を呑む。
彼のこの瞳は一番苦手で、ひどく焦がれる。
バレーをプレイしている時にも時折ちらつく、全てを捉えて逃がさないと言わんばかりの。
彼を初めて見た時もバレーの試合中で、“これ”にあてられた。
今思えば、一目惚れに近かったのかもしれない。
しかし座っているこの体勢で、なぜ捻挫が分かったのか。
体育の授業で捻った足首が今更痛くなって座り込んでいたなんて経緯を、彼が知るはずなどないのに。
そこまで考えてから、思い当たる。
―ああ、己の腕はついでで実は自分を保健室に連れていくことが目的なのか。
図々しい結論かとも思ったが、案外色んなことをよく見ていて情に厚い彼のことだ。
十分にあり得る話だった。
目まぐるしく動く思考回路に反して、まったくの上の空状態だ。
動かない自分に痺れを切らしたのか、おんぶスタンバイの格好のままじりじりと距離を詰めてくる。
「どうぞ遠慮せず!」
「えー…」
先ほどの雰囲気はどこに消えてしまったのか。
打って変わって爛々と輝く双眼に、為すすべはない。
だってなんかかわいい。
「…、じゃあお言葉に甘えて」
「うす!失礼します!」
遠慮がちに肩に手を添えると、ゆっくりと身体が浮き上がる。
ふらつく様子もなく動き始めたことに感心しながら、照れ隠しに右肩を軽く小突いた。
「もしボールが飛んできても落とさないでね」
「飛んできたら顔面レシーブッスね」
「やっぱり降りる」
「え」
私を幸せにする絶対条件
(何も言わずとも何でもお見通しだよね)
(そりゃ試合中のボール並みに見てる自信があるんで)
キミに、君に、飛んでいけ。
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