騙されてやるよ、それはお前が好きだから
◇
歓声と声援。
女の子達の黄色い声に紛れ、雅は立っていた。
周りの女の子達の視線は、殆どその一人に集中している。
『翼くーん』
『頑張ってー』
『椎名君かっこいー!』
椎名翼。
女の子と見間違えるような可愛らしい容姿と、学校一の頭脳を誇る秀才だ。
その上スポーツ万能とくれば、周りがほおっておくわけもなく。
彼女達のように声援を飛ばすことはないものの、雅も、毎日のように押し掛けるファンと共に彼を見に通う傍観者の一人だった。
騒ぐファン達には目もくれず、翼がゴールを決める。
更に沸き上がる歓声の中、翼の顔が動いた。
「…え?」
バチリ。
やけにゆっくり感じる時間。
その意思の強い大きな瞳と、視線が交わった気が、した。
「ちょっと雅、さっき翼君こっち見たよね?ね!?」
「あ、うん…」
隣ではしゃぐ親友に微笑みを返し、熱った顔を冷ます努力をする。
―雅は、翼が好きだった。
勿論、容姿に惹かれなかったとは言いきれない。
何処に行っても目立つ顔立ちは、面食いではない雅から見ても充分に魅力的だ。
しかし何よりも雅の心を掴んだのが、その自分の意思を貫き通す強さだった。
翼ほどの頭脳があれば教師からの贔屓でさぞ快適に学校生活を送れるだろうに、彼はサッカー部の為に教師に反発している。
そんな姿にどこか憧れたのかもしれない。
雅はそっと目を伏せた。
「ごめん、ちょっとゴミ入ったみたい。目洗ってくるね」
「大丈夫?ついてこっか?」
「平気、ありがと」
心配する親友に笑顔を向けて、その場を後にする。
この気持ちを彼に伝えることはないだろう。
チラリと振り向けば、未だにこちらを気にしている心配症な親友と目が合い、苦笑を溢した。
ズキズキ。
彼女に打ち明けることも、ない。
先に翼を本気で好きになったのは、彼女なのだから。
◇
翼はイライラしながら水場へと向かっていた。
考えるのは毎日のように練習場を囲むファンのこと。
見るのは勝手だが、それならせめて静かにするのがマナーではないのか。
あんなに黄色い声を上げられていては練習に集中もできない。
今日は宥め役である黒川が欠席の為、いつもにも増して苛立っていた。
その為だろう。
普段なら絶対やらないであろう凡ミスを冒した。
―ドン
「っわ…」
「!ッ」
水場への曲がり角から出てきた人影と、見事に衝突。
相手も自分も小柄であった為にどちらも転ぶことはなかったが、女子だったらしい。
性別の違いか、微かにふらつく相手の手を反射的に掴む。
ほっとしたのも束の間、苛立ちが一気にぶり返した。
理不尽だとは理解しつつも、口がお得意のマシンガントークを紡ぎ始める。
「…、どこ見て歩いてるわけ?目が何のために付いてるか知ってる?そりゃ僕もよそ見してたのは悪かったけどそっちの方が視界的には良かっただろ。もっと周りに気遣うべきだとか思わないわけ?大体」
「椎名くん?」
「は?」
途中で遮られ益々気を悪くするが、相手を確認した瞬間にそれは退いた。
ゆっくり手を離すと、少し驚いた顔でそのクラスメートの名を口にする。
「…飴凪」
「うん。あ、ごめん!どこも痛めなかった?」
「あのさ、そんなに柔じゃないんだけど。そこら辺のバカと一緒にしないでくれる?」
「そうだね、ごめん」
少し困ったように笑う雅が目の前にいることに、柄にもなく喜ぶ自分がいた。
翼が彼女を意識したのは最近だ。
きっかけは黒川だった。
放課後練習の為に面倒な委員会にはなるなと言っておいたのに、居眠りしているうちに決められてしまったらしかった。
偶然にも二年の黒川とその委員会で同じ担当になったのが雅だったのだ。
遅くなるかもしれないと言われていた日に普通に顔を出した黒川に話を聞けば、彼女が全部仕事を受け持ってくれたとのこと。
勿論、そんな言葉に甘えるような無責任な後輩を持った覚えはない。
寧ろ面倒見のいい部類に入るであろう彼を言いくるめて練習に出させたのだ。
そんな雅を意識するのに時間はかからなかった。
―「練習終ったの?」
首を傾げる雅に、冷静を装って答える。
「いや、休憩中。飴凪は?」
「目にゴミが入っちゃって…」
恥ずかしいな、なんて照れたように笑う彼女に、翼は僅かに目を細めた。
雅を見るようになってから、気付いたこと。
彼女とはやたらよく目が合った。
決まって自然に反らされたが、明らかに視線は交わっているのだ。
自惚れではなく、翼には彼女に好かれているという自覚があった。
翼も彼女に好意を持っているからこそ、言い切れる。
そしてもう一つ、確信していることがあった。
「じゃあ、練習頑張ってね」
ふわりと笑って横を通り過ぎようとした雅の手を、すかさず掴む。
「…椎名くん?」
翼の雰囲気が変わったのを感じとったのだろう。
微かに動揺を露にすると、雅はそっと翼の顔を覗き込んだ。
「―飴凪」
絡み合った視線に、時が止まる錯覚に陥る。
「好きだって言ったら、お前はどうする?」
風が、二人の間をすり抜けた。
「………え?」
大きく見開かれた目。
互いに視線を外すこともしない。
とてつもなく長い時間が立ったような気がする。
翼の瞳に映る雅は、今までに見たこともないくらい儚く見えた。
するり。
不意に、雅の手が、彼女の手首を掴む翼の手に伸ばされる。
その指を手首からそっと外すと、ゆっくり微笑んだ。
切なそうに。
「…私、黒川君が好きなの」
ああ、やっぱりか。
大方予想通りの反応に、翼は心の中で笑った。
彼女は、自分に想いを伝える気などこれっぽっちもない。
その理由にも検討はついていた。
簡単な事だ。
雅が恋愛よりも友情を大切にする人間だった。
ただ、それだけのこと。
しかもそこで黒川の名前を出すとこなんて、ちゃっかりしている。
確かに面倒見がよく、自分が認める数少ない人間である彼なら、説得力があるだろう。
友達の為だなんて、健気なことだね。
いつものように強気な表情で、皮肉を込めて笑ってやる。
「柾輝はサッカー以外に興味ねーよ」
「…そうだね」
それでもクスリと笑みを溢す彼女が、少し憎たらしい。
思わず漏れる溜め息。
「ごめん、からかい過ぎた」
「うん」
からかったわけじゃないという事くらい、悟い雅は気付いているだろう。
それでも彼女の決心はにぶらないらしい。
―上等。
口元に先程までとは違う笑みを貼り付け、翼は雅の横をすり抜けた。
一二歩進んだ所で軽く振り向けば、同時に後ろ姿を見せる雅の姿。
固く拳を握った。
騙されてやるよ、それはお前が好きだから
(でも我慢の限界がきたその時は、覚悟しとけよ?)
(ああどうかこれ以上気持ちが大きくなりませんように)
儚い願い、少年は笑う。
(配布元:ことばあそび様)
[ 15/19 ]