諦めたもん勝ち? ◇ 柔らかな光が硝子を通して空気に溶け込む。 歴史を感じさせる内蔵の図書室は人気がなく、この時間帯に利用するのは図書委員である自分だけだ。 古い本の匂いが充満する空間で、雅はちらりと時計に視線を投げた。 −そろそろか。 ふぅ、と細く息を吐き出して、読んでいた本をパタムと閉じる。 そのまま本棚へと向かう彼女の背中に向かって、音の羅列が弾み始めた。 バタバタ。 もはや日常と化した鼓膜の揺れに、本を指定位置に戻しながら体勢を整える。 心を鎮めたその瞬間に、空気の揺れが最高点に達した。 「飴凪ー!」 ガラッ。 木製の扉を騒々しくスライドさせた人物に、ニコリと冷笑を投げかける。 「何回言ったら理解してくれるのかな一氏君?図書室は静かにって小学校から中学にかけて習わなかった?高校でもそれは変わらないんだけどね?ああもしかして頭の中お花畑すぎてそんなことも考えられないのかな、だったらそのお花喜んで摘んであげるけど勿論有料だから覚悟してよ?」 一息でツラツラと並べ立てられる言葉の羅列。 不良も黙る、教師も頭が上がらないなどと密かな校内名物とされている彼女のプチマシンガントークだが、現在進行形で浴びせられた人間には全く効果がないらしい。 顔色ひとつ変えず、寧ろ入ってきた時よりも増す勢いで一氏はそれを差し出した。 「好きです付き合うて下さい先輩!」 「私は同級生だ、そして花を図書に持ち込むな」 どこに隠し持っていたのか、突如視界を彩った真っ赤な薔薇の花束に露骨に眉を寄せる。 …昨日の縫いぐるみ付きのプロポーズよりかはマシだろうか。 最初こそ戸惑ったが、流石に十回を超えれば慣れてもくるし対応も身に付けざるを得なかった。 黙っていれば悪くない造りの顔に真剣な表情を乗せて、更に本気の声色でそれらをこなすものだから尚質が悪い。 「いやこれはマジな気持ちやで、偽りはあらへん」 なんて手を握ってきたからといって少し隙をみせようものなら、 「その眼鏡、ごっつ中学ん時の相方に似とんねん」 キリッと言い切る、こんなオチ。 「知るか」 「これ被って“ユウ君 ![]() 「帰れ」 花束を手放すなり今度は坊主のカツラを片手に迫る一氏に、反射的に新しく手にした本の背表紙部分をお見舞いする。 ぱこっと小気味のいい音が返ってくるが、そう痛くはないだろう。 ちょっとした抵抗で眼鏡を外して胸ポケットに滑らせば少し残念そうな声が上がった。 元々視力はそこまで悪いわけではなく、勉強時や読書中にかける程度のものだ。 意味も分からない“ネタ”として使われるくらいなら裸眼で生活する方を選ぶ。 今度からは近くにいるときは外しておこう。 何故ここまでムキになっているのか。 自分が一体何に苛ついているのか。 その原因に辿り着くこともできずに、そんな密かな決心を心中で呟いた。 とりあえず正常心を取り戻そうと、いつも通り黙々と本の整理をし始める。 しかし後ろで何やら悶々と頭を抱え始める同級生に気が散って仕方なかった。 「ちゃうって!今日はこんないつも通りの愛の確認をしにきたわけやあらへん!」 「そうだね、確認されてるのはアンタの変態ぶりだけだけどね」 「次の日曜日、予定空けといてほしい」 「うん、少しは人の話聞こうか」 ちょっとはめげろや。 本棚を透かして明後日の方向を見つめ始めた雅の目に対し、一氏の視線は真剣身を帯びる。 「−頼むわ、大事な日やねん」 「っ」 不意にグイッと肩口を掴まれ、向き合う形に持ち込まれた。 いつもとは微妙に異なる眼光に引き寄せられ、焦点が外せない。 彼の硝子玉に映り込む自分の姿が、どこか別人のように感じた。 己だけを捉えて離さない眼球に居心地の悪さを感じ、じわじわと上昇する皮膚温を誤魔化すかのように意味もなく背後の本棚に掌を這わせる。 こんな時にまで本に助けを求めるのは本好きの性か。 ひやりと感じた本に熱を移しながら、何か言わなくてはと乾いた唇を開きかけた。 「…、いちう」 一音一音が身体中に響くような心臓の脈打ち。 雅のそれに応えるように、彼女が言い切るより先に一氏の真面目な声が通る。 「−次の日曜日は相方とお笑い見に行く約束しとるんやって」 瞬間の、間。 なんだ? 何故そこで相方とやらが出てくるんだ。 そこで私に何しろと? 「……、だから?」 雅の声温度が一気に下がったことに持ち前の観察力で気付きつつも、一氏はマジな顔で言葉を放った。 「紹介したいから一緒に行こうや」 「一人で行っとけ」 「ぐふぅ!?」 どすっ。 反射的に、触れていた本を引き抜きその腹部に押し込んだ。 勿論それなりの手加減はしているが、今までの中では一番の攻撃力を誇るだろう。 「相変わらずナイスなツッコミや…!」 「いや本当に本突っ込んだだけだけど」 やはり笑いは譲れないらしい。 衝撃にプルプルと悶えながらもグッジョブと親指を立てた一氏は、雅の返しに最高の笑みを浮かべるとそのまま床に崩れ落ちる。 「ちょ、一氏…?」 そんなにモロに入ってしまったのかと慌てて気遣おうとするものの、心配は無用だった。 「世の中惚れたもん勝ちやー!!」 「っ図書で叫ぶなぁあああ!」 いきなり体勢を立て直すなり窓に向かって意気込む頭部に、激しく再来する本の愛。 ぱっこーん。 耳に熱を集める彼女がうっすらと映る窓硝子に満足げに歯を見せた。 諦めたもん勝ち? (ねぇ、絶対あたしより相方が好きでしょそれ?そんな理由で納得すると思ってんの) (大事なもん同士しか引き合わせたりせんやろ、普通。俺の愛は両方モノホンや!) ばさりぺらぺら、落ちた本の行方。 (お題配布元:伽藍様) |