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鮮烈な夕日色の中で感情を深める







「…どうしよう」



 先の見えない暗闇の中、雅は途方に暮れていた。

 ほんの数秒前までは、日常の見慣れた風景だったのだ。
 この得体の知れない空気、突如異世界に放り出されたような感覚は、知っている。
 自分の体質が故に、幼いころから何度か経験はあった。
 最近は色んな出逢いのおかげか、そこそこ平和に過ごしていたため、完全に油断していた。

 己の浅い呼吸音を聞きながら一歩後退りした、次の瞬間。



「っ…!?」



 ひやり。

 明らかに背中を駆け上がる悪寒。
 姿形は確認できないが、何かが背後に迫っていた。
 あと数センチもないであろうその距離に気付いているのに、逃げようにも恐怖で足が動かない。

 絶望で意識すら漆黒に塗りつぶされる中で、柔らかな笑みが瞼の裏にちらついた。



「っ幸村さん…!」



 思わずその名を呼んで両手で顔を覆うが、それ以上後ろの“何か“が動くことはなかった。



「ー、呼んだかい?」



 額に当たる温度に合わせて、後頭部から肩に掛けてふわりと抱え込まれる感覚。
 慣れ親しんだ音と匂いに、泣きそうになる。
 今度は、その存在を確認するためにその名を口にした。



「…幸村さん?」

「うん。よくがんばったね、遅くなってすまない」



 闇に支配された世界により視覚が奪われているため表情は見えないが、恐らく自分に向けられているのはいつも通りのそれだろう。



「もう少しの辛抱だから。このままじっとしていて」



 耳元に落ちた囁きに、今更ながら羞恥心がこみ上げた。
 完全に、前方から抱き締められている体勢だ。
 状況も忘れて顔に熱が集まるのを感じるが、勿論彼から離れるという選択肢など存在しない。

 返事の代わりに、顔を覆っていた手を外して指先で彼の服を握り込んだ。
 それを確認したのか、触れられている指先に少しの力がこもるのを感じる。



「…さて。来て早々に悪いんだけれど、」



 次に幸村の唇から紡ぎ出された音は、真っ直ぐ雅の背後に向けられていた。
 明らかにトーンの下がったその声に、彼女に向けていたような熱は微塵もない。



「この子からは手を引いてもらおうか」



 例えるなら、氷だろうか。

 自分宛ではないと分かっていても、爪の先から血の気を奪われるような。
 静かな怒りをじわじわと染みこませるようなそれを聴きながら、雅の意識はそこで途切れた。




ーざわざわ。

 葉の擦れるざわめきと優しく頬を撫でる風に誘われるように、雅の意識は浮上した。
 ゆっくりと瞼を持ち上げると、鮮やかな朱色に世界が浸っている。
 あちらに引き込まれる前の、通い慣れた河原に横たわっていた。

 ぼんやりする頭で隣を見ると、慈愛に満ちた眼差しとぶつかる。



「幸村さん…、」



 身体を起こす際に掛けられた上着に気が付いて返そうとするが、冷えるといけないからと戻された。



「気が付いたみたいだね。痛みや違和感はないかい?」

「おかげさまで。助けていただいてありがとうございました」

「いや、本来なら接触前に避けられたはずなんだけど…今回は色々な不運が重なったみたいだ。無事で本当によかった」

「やっぱり、ここ最近何事もなかったのは幸村さん達が何かしてくれていたんですね」

「大したことではないよ。みんな、好きでやっていることだしね」

「重ね重ね、なんとお礼を言ったらいいか…」



 怯えていた日々を思えば快適この上ないが、人様に手間を掛けさせていると思うと申し訳なさも否めない。
 与えられた安息を何も知らずに当たり前のように享受してしまっていた事実が、何とも悩ましい。

 思わず睫毛を伏せた雅の鼓膜を、美しいメロディが揺らした。
 人の肉声ではない、楽器のようなそれに反射的に顔を挙げる。

 その先では、唇に葉を当てた幸村が悪戯っぽく瞳を細めた。



「フフ、そうそう。雅にはそうやって顔をあげていてほしいな」

「…はい」



 相変わらず顔がいい。
 真剣に心の声で呟きながら、興味は幸村の手元に向かう。



「それは葉っぱですよね。そんな綺麗な音が出るんですね」

「うん、草笛っていってね。香港の方では800年近い歴史があるんだ」

「わあ…それって私でも吹けますか?」

「もちろん。コツは教えるよ」

「嬉しいです、ってこれを使うんですか!?」



 そのまま手渡された葉っぱに戸惑うが、差し出した本人は当然とばかりに首を傾げた。



「葉っぱにも向き不向きがあるからね。見た限りこれが一番音が出やすいと思うんだけど。何か問題かな」

イエ



 こんなの間接キスではと雑念が浮かぶが、天使のような微笑みの前では従うしかなかった。
 自意識過剰というやつだろう。



「持ち方は両手を使ってこんな感じで…そうそう、あとは下唇に添えるように当てて…」



 言われるがままに指導を受けて息を吹き込むが、やはり一発では上手くいかない。
 耳に残る繊細な音を目標に集中していると、不意にポツリと名前が呼ばれた。



「雅、」

「?なんですか」



 少しばかり真剣味を帯びたその双眼に、吹き込んでいた息を止めて見詰め返す。



「今日は怖い思いをしたよね。こんな時に言うのは卑怯かもしれないけど、君には俺の気持ちを正確に知っておいて欲しい」

「なにを、ー」



 言葉は、続かなかった。

 前兆も音もなくゼロになる距離に、停止する世界。
 葉っぱをもつ雅の指先に添えられた幸村の片手は、頬にまでかかって彼の低い体温を伝える。
 葉っぱごしの感触に、目眩がした。

 ほんの数o、直接唇同士が触れあった部分に意識が集中する。
 瞬きも忘れるその時間の中で、長い睫毛と柔らかそうな髪がふわりと揺れた。





「ー。“これ“は、ほんの一握りの俺の良心だよ」





 距離をとると同時にスルリと抜き取られた艶やかな緑を、追いつかない思考の中必死に目が追う。





「誰かを想うのも、中々難しいものだね」




 困ったような微笑みを前に、ありったけの理性で悲鳴を呑み込んだ。











鮮烈な夕日色の中で感情を深める。

(はい確信犯ですね分かります!)
(君と会ってから、自分が自分じゃないみたいだ)

かすれる、きこえる。



2022/10/09