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心臓が踊る病と名付けよう、原因はほら目の前






 カリカリ。

 板書された内容を紙に書き留める音が空間を占める。
 どうせ自分しか読まないのだ。
 自分が確認できる程度の字で十分だろうと黒板文字を高速で写し終えた謙也は、クルンクルンと指先で器用にシャープペンシルを弄んだ。

 彼お得意のペン回しは計測不能とされているが、更にスピードを極めようと集中力を高めたその瞬間。



「あれ…?」



 不意に聴覚が拾った弱々しいソプラノに手から意識が逸れ、居場所をなくしたペンが軽い音をたてて机と接触する。

 顔を挙げた先−隣の席では、クラスメートがペンケースを覗き込んで頭を傾けていた。
 昨日席替えをしたばかりだ。
 クラスメートということで勿論名前は知っているものの、実はあまり関わったことがない女生徒。
 今朝も自分が朝練をこなしていてギリギリだったため、挨拶程度しか交わしていなかった。

 その物静かな横顔に、記憶を辿る。
 飴凪雅。

 この学校では珍しい標準語で性格も大人しく、教室内でもあまり積極的に話しているところは見たことがなかった。
 しかし、同じテニス部兼部長である白石と彼女が喋る姿はよく目撃した記憶がある。

 ホンマにアイツは何でも完璧やっちゅー話や。

 聖書の異名をもつ部活仲間は人間関係で困ることもないのだろう。
 尊敬と羨望を絡めて、元隣の席であった男の背中に視線を定めた。
 しかし、微妙な音の振動が謙也の鼓膜を刺激する。



「…はあ…」



 聞こえてきた控えめなため息に再度彼女の方を覗き見ると、大きな瞳と視線が絡んだ。



「!」

「…、−」

「−、…」



 あっと思った時にはもう外すタイミングは逃してしまっていて、互いにどうすることもできず数秒間見つめ合う。
 先に限界がきたのは謙也の方だった。



「な、なんやため息なんかついて…困ったことでもあったんか?」



 少し照れくさそうにハハハと笑う謙也に、雅は数回睫毛を上下させてから、こっくりと頭を落とす。
 そのまま完全に視線を固定しまった彼女に首を捻った。
 やはり、個性の集まりのようなこの学校では中々珍しいタイプだ。

 気質のせいか、こういう大人しい子を相手にそうですかと引き下がることはできない。



「世の中助け合いやしな、俺にできることなら協力すんで」



 軽く彼女側に乗り出すようにしてコソッと話しかけると、慌てたように顔が挙がる。
 人と話すのが苦手というよりは、人見知りが強いといった方が無難なのだろうか。
 謙也の見守る中で少し迷ったように視線を泳がせたのち、彼女は意を決したように唇を開いた。



「あの、消しゴム…忘れちゃったみたいで」

「…ん?」



 おずおずと申し出された内容に、思わず目を点にする。
 次の瞬間には軽く吹き出して、可笑しそうに歯を見せた。



「なんやそんなことかい」

「結構一大事なんだけど…」

「せやな、それやったら俺の消しゴム分けたるわ」

「いいの?」

「ええで。こう見えても消しゴムはぎょうさん持ってんねん」



 いそいそとペンケースをあけると、中を覗き込む。
 真剣な面立ちで首を捻り始めた謙也に、雅は一緒になって顔を斜めらせた。



「んーどれがええやろなあ…」

「…?」



 どうやら自分に渡す消しゴムの選定をしているらしい。
 大小や使いやすさの問題だろうと目星をつけ、何でもいいよと断ろうとするが、彼の方が一瞬早かった。
 よっしゃコレや!と頷くと、手を出すように催促してくる。

 言われるままに右手を差し出すと、三秒後にはコロリと何かが転がった。



「え?」



 思わず手を引き寄せて眼前で見てみると、トマトの形をしたプラスチック消しゴムが収まっている。
 暫くそのまま見つめていると、雅の沈黙をどうとったのか。
 慌てた様子の謙也がペンケースごと渡してきた。



「気に入らんかったんか!?俺はどれでもええんや、自分で好きなの選んだらええわ」

「っそんなこと、…え?」



 彼の好意は素直に嬉しいのだ。
 思わぬ早とちりに反論しようとするが、視界に入った光景に全ての意識が持って行かれる。

 布製のペンケースに所狭しと押し込まれている、色とりどりの消しゴムたち。
 トウモロコシからお寿司、おじさん、電車、テニスラケットなど、あまりお目にかからないような形のものまで勢揃いだ。
 シャーペンや定規など使用度の高そうなものが完全に埋もれてしまっていた。



「…、…」



 自分の手に乗っかっているトマトと、ペンケースの中身をしみじみと見比べる。
 その様子に不安を感じたのか、そわそわした謙也が再び雅の顔を覗き込んだその瞬間。



「…−かわいいね」



 ふわりと黒髪が揺れて、見えた双眼は柔らかく細められて、緩やかに弛んだ唇からは白い歯がチラついて。

 よく見たら髪がツヤツヤだとか、
 意外に睫毛が長いだとか、
 唇が綺麗だったとか、
 片方だけえくぼができるんだとか、

 一気に情報がなだれ込んできた頭は使い物にはならなかった。

 唐突に投げ込まれた破壊力抜群の笑顔は、見事に謙也の世界を塗り替える。



「っ…は…!?」



 結果、がったーんと清々しく響き渡った騒音に、教室中の視線が集中する。



「おーい忍足どうした?さっきから顔がうるさいで!」

「堪忍!何でも…って顔かい!?」

「あっはっは、ええツッコミやな。頭も顔も大丈夫そうで安心したわ。あと五分くらいやで気張りやー」

「…おおきに」



 どっと賑わった空気の中で、ガタガタと椅子を直して腰を落ち着けた。
 こういう時、この学校の風習や雰囲気は心底ありがたいと実感する。
 通常なら怒られて然るべき場面が笑いの場になるのだから、のちの気持ちも沈まなくて楽だ。

 ふう、と軽く呼吸を整えていると、隣からおずおずと声がかかる。



「…ごめんね、大丈夫?」

「いやいや、自分のせいちゃうで。オレが勝手にひっくり返ったんや。なんやいきなり笑いが欲しくなってしもてな!」



 大阪の血が騒ぐわ。

 照れ隠しで付け足せば、一瞬きょとんとした雅だったが、次の瞬間にはふんわりと柔らかな笑みが返された。



「うん。消しゴムありがとう」

「!!」





心臓が躍る病と名付けよう、原因はほら目の前


(消しゴム集めなんて、ほんとかわいい)
(アホか!可愛いのはそっちや…!)


ころころ、止まらない。