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熱の奪い合い





「財前ー」



 上から降ってきた声に、財前は気だるげに顔を上げた。
 開いた二階の窓から、見知った人物が大きく手を振っているのが見える。
 一つ溜め息をつくと、いかにも裏がありそうな笑みを浮かべるその先輩に向かって問掛けた。



「何か用ですかー雅先輩」



 待ってましたとばかりに満面の笑顔を見せた雅は、身を乗り出して叫ぶ。



「荷物運ぶの手伝ってー」

「…行きますんで身乗り出すん止めて下さい」

「助かるー。後で何か奢るよー」

「期待してますわ」



 雅が身を引っ込めたのを見届けた財前は、冷静な表情とは裏腹に校内へと急いだ。
 無鉄砲というか考えなしというか、とにかく危なっかしいのだ、彼女は。
 ほおってほけば何をしでかすか分かったものではない。
 基本的に他人には無関心な財前だったが、雅は彼にとっては特別だった。






『ねぇ、調子悪いなら保健室行った方がいいよ?』


 初対面でいきなりそう声を掛けてきた雅に、初めは不信感しか感じなかった。



『あ、一人で行きづらいなら一緒に行ってあげよーか?』


 ヘラリとした笑顔にいらつきさえ感じた。



『先生いないけどベッド勝手に使って良いと思、わ…!』


 よく転んでは余計な手間を掛けさせる姿を見る度に面倒だと溜め息をついて。



『財前ー丁度良かった!謙也君にこれ返しといてくれないかなー?』


 他の男の名前を紡ぐ声をうっとおしく思うようになった。






 そういや部長とも仲ええんやったか。

 部活関係で白石の教室を訪ねた際に彼と楽しそうに雑談していたのを思い出し、少し眉を寄せる。
 
 考え事をしているうちに、目的地に着いた。
 確かこの辺りにいたはずだと辺りを見渡すが、それらしき影はない。
 荷物を運ぶのを手伝ってほしいと言っていたのに、荷物ごと消えるとはどういうことだ。
 動くなと伝えるべきだったかと額に手をやりながら、財前は歩き始めた。

 さほど時間はたっていない。

 適当に動いていたら会えるだろうと、突き当たりの階段にさしあたった、その時だった。



「あ、財ぜ、んぇ!?」



 上からひょっこり雅が顔を出したかと思えば、何を焦っていたのか。
 彼女はあろうことか、

 何も無いところでつまづいた。



「ちょ…!」



 階段の一番上でつまづけば、あとはどうなるかなんて分かりきっている。
 慌てて掛け上がろうとするものの、落ちると昇るでは明らかに分が悪かった。



「にあーーーっ」



 一回転、二回転、綺麗に三回転した雅を、体制を崩しながらキャッチする。

 よくコケる割に運動神経はいいのが救いか。
 目は回しているものの目立った外傷はない雅に安堵の息を吐くと、腕の中の小さな頭を恨めしげに見つめた。



「毎度毎度、ようやりますね。その頭ん中一回覗いてみたいッスわ」



 絶対お花畑やろ。

 ボソリと呟けば、ヘリャリとした顔が上を向いた。



「あー…財前の頭の中はアナログっぽいよねー」



 自分で言っておいて楽しそうに笑う雅に呆れたように肩を落とすと、己の上に乗っかっている身体に退いてもらおうと口を開く。
 小柄な彼女が少々体重を預けてきたところで大した負荷ではないし中々おいしい体勢だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。



「先輩、重いんでそろそろ…」



 思ってもないことを言い掛けて、しかしその言葉は続かなかった。

 自分から身体を離し上体を起こした彼女の左膝に、視線が釘付けになる。
 四天宝寺独特の制服から覗く膝には、うっすらと赤が滲んでいた。
 大した傷でもなさそうだが、元の肌が白いために血がちらつくだけで痛々しく感じる。

 財前の視線に気付いた雅もそれを追うものの、彼女から見ても大した傷ではないらしい。



「ん、大丈夫大丈夫ー。それより下敷きにしてごめんね。ありがと」



 クリクリした目を細めて笑った雅はそのまま立とうとしたが、それは叶わなかった。



―グイ


「おお?」



 財前がその手首を掴み下に引っ張ったことで、雅はすぐ後ろの階段に腰掛ける形になる。

 彼の方が下に位置する為、普段は見上げるその顔を見下ろした。
 中々新鮮なアングルだが、意図が掴めない。
 思わず首を傾げる雅と一瞬だけ目を合わせた財前は、ニッと笑って彼女の左膝窩部へと手を回す。



「大人しくしとって下さいよ?」



 そう言うや否やその膝に顔を近づけ―、









 唇を、落とした。




 ピクリと雅の身体が動く。



「わ、ちょっと財前!」



 珍しく慌てた彼女の声を耳に入れながらも、財前が膝から唇を離すことはなかった。

 怪我のせいだろう。
 白い見た目に反して、触れた部分から熱が伝わる。
 そのまま舌で軽く赤をなぞれば、鉄の味と引き換えに白が覗いた。
 顔を上げると、顔を真っ赤に染めあげた雅がこちらを見ていて、満足そうに唇の端をつり上げる。



「消毒ッスわ」



 それを聞いた雅は顎に人差し指を当て、何か考え込むような仕草をしたのち、いつものようにフニャリと笑った。



「確かに痛くなくなってきたかも!」

やっぱお花畑やな。蝶々まで飛ばしとるやろ先輩」



 あまりに早い赤面タイムの終了に少々不満げな財前だったが、その反面、相変わらずの脳天気ぶりに突っ込む。



「キスって不思議な力があるらしいしねえ」



 雅はコロコロ転がるような声で空気を震わした。

 切り替え早すぎや。

 ここまであっさり元の調子に戻られると、男として意識されてないのではないかとさえ思う。
 視線を少し下げた財前の頬に、小さな手が添えられた。



「?なにを」



 言葉は音に、なりきらない。

 不意に額に触れた温度が、感触が、財前から全ての思考回路を奪った。
 唐突に額に押し当てられた唇は、自分とは比べものにならないくらい、熱い。
 自分の体温が低すぎるのか、それとも彼女の体温が高すぎるのか。
 それすら分からないまま、温度が混ざる。

 狂った時間の中、ゆっくり温度が離れた。
 触れ合っていた部分が空気に触れ、名残惜しむかのように寒さを主張する。



「お返し」



 呆気にとられる自分に微笑む雅を、財前は少し鋭くした瞳で睨んだ。



「何のつもりや」



 中途半端な気持ちなら、戯れ程度の行為なら、彼女に焦がれる今の自分にはただの侮辱だ。
 その華奢な首に手を掛けてやりたい衝動に駆られる。
 
 そんな財前に雅は少しびっくりしたような顔をして、しかしすぐに口元を弛めると当たり前のように首を傾げた。



「だって財前、今日頭痛かったでしょ?」

「…は?」



 思わず間抜けな声が出る。



「さっき見かけた時に顔色悪かったから」



 財前みたいにキスしたら、少しは良くなると思って。

 そう言って困ったように眉を下げる雅に、全てが繋がった。

 荷物運びを手伝えと言ったくせに見当たらない荷物。
 いなくなったと思えば、急いで自分に向かって階段をかけ降りてきた様子。


 ホンマに、何なんや。


 ―嘘だ、本当は全て分かっている。






『ねぇ、調子悪いなら保健室行った方がいいよ?』


 不信感じゃなくて、驚いただけ。
 自分の体調の変化なんて、今まで気付けたヤツはいなかった。



『あ、一人で行きづらいなら一緒に行ってあげよーか?』


 イラついたんじゃなくて、怖かった。
 この笑顔に敵わなくなると直感したから。



『先生いないけどベッド勝手に使って良いと思、わ…!』


 面倒だなんて思ったことはない。
 寧ろ自分が必要な気がして、嬉しかった。



『財前ー丁度良かった!謙也君にこれ返しといてくれないかなー?』


 うっとおしいのはその声じゃなくて、紡がれる単語の方。
 ただの嫉妬だなんて、とっくの昔に気付いてる。






「…財前?」



 やっぱよくならない?

 不安げな表情で顔を覗き込んでくる雅を見て、自分に嘲笑をくれてやる。

 阿呆は俺の方か。

 でもやっぱりやられっぱなしは悔しくて。
 せめてもの仕返しにと、その身体を思い切り抱き締めた。








熱の奪い合い

(…えーっと、保健室行く?)
(正常なんでお気遣いなく)

あちちのち、火傷寸前。