神に見放されたと叫ぶ私の前の天使の微笑み【後篇】 ◇ ざわざわと活気のある人々のざわめきをバックに、雅と幸村は商店街を回っていた。 先程と違う点と言えば、幸村が大きな帽子を深めに被っているところか。 数十分前に、雅が彼にプレゼントしたものだ。 ―彼女が幸村と歩き初めて、真っ先に気付いたこと。 (…女の子の視線が、痛い) 思わず顔をひきつらせる雅を幸村が心配そうに覗き込む。 「飴凪さん?顔色悪いけど」 「………いや、全然平気です」 端正な顔が近付いたことに動揺するがそれ以上に、鋭くなった視線に泣きそうになった。 注目の原因は言うまでもなく、隣を歩くこの青年だ。 見た目麗しい彼が花のような笑みを浮かべながら歩いていれば、嫌でも目をひくだろう。 帽子は、嫉妬の視線に耐えきれなかった雅の最終手段だった。 不思議そうにしながらも快く被ってくれた彼に感謝する。 色々な物を手にとっては繁々と見つめる幸村に、悪戯っぽく歯を見せた。 「やっぱり幸村さんの国とは大分品物が違いますか?」 「いや、基本的には同じかな。ああ、でも果物とかの色や大きさとかは微妙に違うね」 「へえ…育てる環境の違いでしょうか」 「そうかもしれないね。ここは俺の国より少し温度が高いみたいだし」 「なるほど」 楽しそうに話を聞いてくる雅に、幸村は優しげに微笑みかける。 「飴凪さんは他の国に興味があるのかい?」 「はい!私、この国から出たことないんですよ。でも両親が仕事であちこち飛び回ってるので、便りとかで色々な景色とか文化とか見て…」 どこか遠くを見つめるようにして語る雅の姿は、両親への誇りと尊敬と異文化への憧れを、存分に幸村に伝えた。 同時に、その内容で納得がいく。 雅と店を回っている時も思ったが、彼女はやたら家庭的なのだ。 食材を見る目も肥えているし、それに関連する知識の方も申し分ない。 恐らく両親がいない為に家事全般を担っているのだろう。 そこまで考えたところで、ふと幸村の脳裏によぎったことがあった。 行き着いた果物屋で林檎を物色し始めた雅に、控え目に問掛ける。 「さっき通信機で話していた子は…」 幸村の質問の意図をいち早く汲んだ雅は、林檎を選ぶ手を止めて笑みを返した。 「あ、リョーマですか?リョーマは幼なじみです。私兄弟とかいなくて一人暮らしだから、彼の家には昔から色々お世話になってるんですよ」 「そうなんだ。じゃあ兄弟みたいなものなんだね」 「はい。ちょっと生意気だけど、凄い優しい子なんです」 にこにこと自慢げに幼なじみの事を語る雅が何だか可愛くて、思わず笑う。 彼女がそんな幸村に目を瞬かせた、その時だった。 ―ザワザワ。 近くに人だかりが出来ている事に気が付く。 「何だか騒がしいね」 不思議そうにそちらに視線を向ける幸村に習い、雅も同じ方向を見つめた。 その中心にあるのが国からの知らせを伝える掲示板であることを確認するなり、一人納得する。 恐らく騒がれているのは、朝通りかかった時に見た内容だろう。 それならば人だかりが全て女性であることも説明がつく。 ああ、と一つ頷いた雅は既におぼろ気な記憶を引っ張り出した。 「えっと、確か…ある国から貴族の方が来るらしくて。まあこんな下町には来ないと思いますけど」 クスリと笑いながら淡々と喋る雅に、幸村の視線が動く。 「飴凪さんはそういうのには興味ないんだ?」 「貴族の方に、って事ですか?」 「そう。気に入られたら色々得があると思うんだけどな」 「んー…」 確かに、貴族のお目がねにかなえば其ほど素晴らしい事はないだろう。 巧くいけば一気に貴族の仲間入りだ。 町中の女性陣が浮かれるのも分かる。 皆気合いを入れておめかしをしているらしく、よく見てみれば今日はいつもより綺麗な人が多い。 そんな中、雅の服装はいつも通りの質素なもので、髪は軽く束ねて横に流しているだけ。 化粧はしておらず、全くの無関心に見えても仕方がなかった。 少し唸った後、雅の視線は林檎に戻る。 「興味がないわけではないです。寧ろ気になります」 「へえ」 意外な答えに幸村の表情が僅かに変化するが、彼を見ていない雅はそれに気付くことなく続けた。 「富と権力はあるに越したことはないし、贅沢できるし、きっと何でも手に入るでしょうね。働かなくていいなんて最高じゃないですか」 綺麗事ならいくらでも思いつくだろうに、ここまで異性に本音を暴露する女性も珍しい。 一般女性の気持ちをそっくりそのまま代弁するかのようなその台詞に、幸村は面白そうに笑う。 「フフ、正直だね。でも、だったら何でそんなに無関心なんだい?下町だからどうせ会わないって諦めてるのかな」 雅の指がツゥっと林檎の表面を滑った。 お気に入りを見付けたらしく、艶やかな赤をそっと持ち上げて店主に声を掛ける。 二人に向かって歩いてくる笑顔の老婆に笑い掛けながら、雅は言葉を紡いだ。 「諦めているのとも違います。もしかしたらっていう希望は捨てきれないし、憧れる。でも、それ以上に―」 言い掛けて、雅は微かに睫毛を伏せる。 それに何か重いものを感じた幸村は、余計な事を言ってしまったかもしれないと悔んだ。 明るく振る舞っていても、何か抱えているのかもしれない。 話を切り替えようと口を開け掛け―、 そこで、雅が拳片手に振り返った。 「―っ平和に暮らしたいんですよ私は!」 「…、平和?」 いきなりの雅の勢いに多少戸惑いながら、その単語を繰り返す。 そんな幸村に力強く頷くと、フルフルと肩を震わしてキッと瞳を鋭く細めた。 「そんな立場になったら嫉妬が怖いんですよ…!女の嫉妬ほど恐ろしいものはありません!どこまでも陰湿に影からネチネチねちねちと…!!ああもう考えただけで恐ろしい…っ」 「え、それが理由かい?」 あまりの剣幕に一歩後退しながらキョトンと聞き返す幸村に、雅の拳が固くなる。 「重要なんです!男は女の本当の怖さを知らないんですよ…!」 何かを思い出したらしく雅はブルリと身体を震わせた。 しかし幸村からの反応が返ってこない事に気が付くと、我にかえって頬を染める。 「あ、すいませ…、…?幸村さん?」 慌てて顔を上げるが、幸村は此方を見てはいなかった。 うつ向いて片手で口を覆うその姿に、まさか体調が優れないのかと顔を蒼白にして顔を覗き込んだ。 「大丈夫ですか!?」 「〜…っく」 幸村の唇から漏れた音にますます心配そうに眉を寄せるが、次の瞬間にはそれは驚きに変わる。 「―あはは…っ」 「?え、幸村さん…?」 いきなり笑い声を上げた幸村に、雅はキョトキョトと睫毛を上下させた。 どうやら笑いを堪えていただけらしい。 安心する反面、何がそんなに面白いのかが分からない。 今までの記憶を必死に辿るが、これといって引っ掛かるものもなかった。 困惑する雅を前に、幸村は生理的に出た涙を拭きながら視線を上げる。 「はは…、ごめん。いきなり笑ったりして、気分悪いよね」 「あ、いえそれは全然大丈夫なんですけど…!」 寧ろ何か得した気分です、なんてこっそりその笑顔に見惚れる雅をよそに、幸村は姿勢を直した。 緩いカーブを描く柔らかそうな髪が、フワリと揺れる。 「話は戻るけど、まとめると問題になるのは女の子の嫉妬だけってことかな」 「え?んー…まあそういうことですかね」 「じゃあそれを何とかすれば問題ないよね」 「?そうですね」 クスリと綺麗に綺麗に微笑んだ幸村にトキメキと妙な違和感を感じながらも、ゆったりと自分達の元に辿り着いた老婆に気付いて、お金を払った。 買った赤色に満足そうに口元を弛めていると、隣にスッと人影が立ったのを感じる。 「いい色だな。艶も申し分ない」 「へ?」 その内容で声を掛けられているのが自分だと理解した雅は、目を見開いて声の発信元に顔を向けた。 目を閉じた優しそうな男を見るなり、危害はなさそうだと判断したのかニヘリと笑う。 「ですよね!此処のお店は果物の質が凄くいいんです」 「そのようだな」 二人の会話に、店主である老婆が緩慢な動作で嬉しそうに頷いた。 そんな彼女に、いつもお世話になってますとペコリと頭を下げる雅を微笑ましそうに見つめたのち、男も一つ林檎を手にとる。 「やはり微妙に色や形が異なるか…興味深い」 「…?」 ボソリと聞こえた男の呟きに何か引っ掛かるものを感じるが、雅が声を発する前に、彼女の後ろに控えていた幸村が口を開いた。 「フフ、やっぱり柳の言う通りだったね。国によってかなり技術の進行も異なるみたいだ」 「ああ、特に此処は通信技術が素晴らしいな。是非我々の国にも取り入れたい」 「そうだね」 突如始まった二人のやり取りに、雅の頭には疑問符が浮かぶ。 とりあえず、知り合いだったらしい。 それだけ確信すると、後は成り行きを見守ろうと口を閉ざした。 そんな彼女をチラリと見てフッと笑うと、林檎を買うことにしたらしい柳は老婆にお金を手渡す。 「どうやらお目当ての物は見付かったらしいな」 「ああ、思ったより早く見付かって良かったよ。そうでなければ真田の目を盗んでまで此処に来た意味がないからね」 「フッ、お前のことだから丸井と赤也に協力させたんだろう。二人が真田に追いかけまわされていたぞ」 「あはは、それは二人に悪いことをしたな。早く戻って誤解を解いてあげないと」 あれ、幸村さんてこんなお茶目なキャラだったのか。 意外そうに二人のやり取りを見つめる雅に、幸村の爽やかな笑顔が向けられた。 思わず胸を高鳴らせるものの、微かに混じる違和感。 確かに今までと同じ、美しいとしか言いようのない笑みだ。 しかし、何か違うような…。 雅が答えを出すより先に、幸村が優雅な仕草で彼女の手をとる。 「さて、お迎えも来た事だし行こうか」 「え?あの、お迎えって…?」 「ん?何だ精市、まだ説明していなかったのか?」 雅の反応に疑問を持った柳が首を傾げると、幸村は楽しそうにニコリと笑った。 「うん、その方が面白そうだったからね」 「全く、お前のその性格にも困ったものだな」 「フフ、そうかい?」 透き通る声が空気を震わせるのを間近で感じながら、雅は繋がれたままの手に視線を落とす。 話に割り込むのもどうかと思ったが、このまま黙っているわけにもいかない。 「えっと、すいません。話が読めないんですが…」 謙虚に空気を裂いたその声に、二人の視線が雅に戻った。 「ああ、すまないな。どうやら精市の説明不足のようだ」 「説明不足、ですか?」 「代わりに俺から説明しよう」 柳の言葉にそっと幸村を見上げるが、彼からは穏やかな笑みが返ってくるだけだ。 雅がそれに苦笑して、お願いしますと柳の方に向き直ると、頷きが返ってきた。 「立海国は聞いた事はあるか?」 「はい。移動技術が発達している国ですよね?」 「詳しいな、その通りだ。俺達は立海出身の人間なんだが、最近は移動技術以外の技術の方にも視点を置き始めた」 「あ、それで他の国を観光してらっしゃるんですね」 「さすが呑み込みが早いな。精市が見込んだだけのことはある」 感心したように唇の両端を上げる柳に、雅はブンブンと手を振る。 「そんな大層なものじゃないですよ」 「いや、知識も充分だ。これなら真田も納得するだろう」 「はい?さなだ、さん…?」 新たに出てきた名前に、また脳が処理不可の信号を発信した。 何だろう、何処かで聞いたことがある気がする。 今まで考えもしなかったが『幸村』『柳』も確実に記憶の隅にある名前だ。 何処だったか。 脳をひっかき回して検索するものの、中々思い出せない。 しかし何だか面倒な事に組み込まれている気がすると第六感が告げ、雅の足が微妙に後退する。 それをめざとく感じとったのか、繋ぐ手に微かに力が籠った。 恐る恐る幸村を見れば、変わらず柔らかい笑みが返される。 「え、と…」 ここにきていきなり頭に鳴り響き始める危険信号。 顔が引きつってきた雅に構うことなく、柳は止めをさした。 「まあつまり、結局は『第一王子』の嫁探しにきたわけだ」 「すいません話が飛びすぎてます…!!!」 何故技術発達から花嫁探しに!? 激しく突っ込みをいれる雅だったが、問題はその『第一王子』だ。 立海、真田、柳、そして…幸村精市。 色々なキーワードが頭を巡り、パズルのように嵌っていく。 カチリ。 最後のピースが嵌った時には、雅の顔からは血の気がひいていた。 背中を、冷たい汗が流れる。 「飴凪さん」 彼女が全てを悟ったのを感じとったのだろう。 天使のような声が雅の鼓膜を悪戯に揺らした。 ギギ。 ロボットのようなぎこちなさでそちらを向けば、輝く笑顔が瞳に入り込む。 「安心して、君のことは何に代えても俺が守るから」 最高に素敵な笑みで言いきった、立海国第一王子―幸村精市の言葉に、雅はそっと涙を呑んだ。 神に見放されたと叫ぶ私の前の天使の微笑み (ああ私の心臓は持つのでしょうか…色んな意味で) (一目見た時からこうなる気がしていたんだ) 高鳴り、キュン、ドキドキ。 |