想像よりも冷たく想うより熱い、焦がれた体温 ◇ カチカチ。 手慣れた動作で携帯のボタンに指を滑らせていた財前は、ふと動きを止めた。 いつも通り記事を書こうと自身のブログに飛ぶなり、コメント欄に見慣れたネームを見付けて少し微笑む。 “今日は誕生日ですね。おめでとうございます。これで暫くは同い年だね” シンプルな文に、柄にもなく弾む心臓を押さえ付けた。 “彼女”とはちょっとしたブログ仲間だ。 互いに音楽鑑賞が趣味で、財前が彼女の記事にコメントを残したのがきっかけだった。 会ったこともなければ名前も知らず、顔なんか見たことがある筈もない。 知っているのは、吃驚するくらい趣味が合うことと、一つ年上の女性であることだけだ。 気にならないと言えば嘘になるが、無理矢理突き止めたいとまでは思わない。 今は、この関係を保てるだけで充分だった。 誕生日を覚えてもらえていた事が素直に嬉しく、その気持ちに呼応するように座る椅子がギシリと鳴く。 コメントを返そうと画面に意識を戻したところで、ガラリと扉を開ける音が鼓膜を揺らした。 「すいません、本返却したいんですけど…」 入ってきた女生徒の言葉で、自分がいる場所と現在の役割を思い出す。 そういや図書室やったわここ。 図書委員にあるまじき思考で何事もなかったかのように携帯を閉じると、すました顔で座り直した。 「ええですよ。貸して下さい」 スリッパの色で3年生であることを確認すると、当たり障りのない敬語で対応する。 少し戸惑いがちに差し出された本を受け取りながら、財前は軽く目を見張った。 「…えらい手、傷だらけやけど。何かしはったんですか?」 「え!?ああ…」 まさか話し掛けられるとは思っていなかったのか、驚いたように顔を挙げた女生徒は慌てて両手を胸元まで引き戻す。 絆創膏だらけの左手を右手で庇う様に覆うと、困ったように笑った。 「ちょっと…苦手克服してて」 「苦手克服?」 「うん、裁縫とか…料理、とか」 「ふーん…それは立派や思いますけど、今そない急いでやることなん?」 しどろもどろな反応が何だか小動物のようで構いたくなったのか、いつもなら興味なく終わってしまうような会話を更に切り返す。 この学校では珍しい標準語は、真面目そうな彼女の雰囲気にとても合っていた。 返答を待っていると、暫くの沈黙ののち、おずおずと視線を合わせてくる。 「…笑わない?」 いつの間にかうっすらと色付いた彼女の耳に何となくその類のものを感じとり、訳も分からずモヤモヤしたものを抱えながら頷いた。 それを確認すると、一拍置いて大人しそうな口がそっと開く。 「…今、ちょっと憧れてる人がいて」 「へえ…」 やっぱりか。 雰囲気から読み取る限り、同性への憧れというよりは異性への好き寄りの感情だろう。 予想通りの言葉に溜め息を堪え、興ざめしたように視線を落とした。 第一印象で思った以上に彼女の事を気に入っていたらしい。 認めたくないものの、いつもの作業をする間に視覚はちゃっかり貸出カードの名前を拾った。 “飴凪雅” 飴凪先輩…聞いたことあらへんな。 今まで気付かなかったのも無理はない。 学校自体がずば抜けて常識外れなこの場所だ。 彼女のような大人しそうなタイプは、個性的な人間が多い我が校では簡単に埋もれてしまうだろう。 せめて同じ学年だったらと微かに眉を寄せるが、そんなことを思ったところで何が変わるわけでもない。 とりあえず話せるうちに話しておこうと顔を戻すと、どことなく心配そうな視線とぶつかり苦笑した。 初対面の相手に私情で八当たりだなんて、勝手にも程がある。 「堪忍、あんま見掛けん名字やったから気とられてしもて」 「そうかな」 「飴凪なんて名字は先輩が初めてッスわ。で、その憧れの奴に弁当でも作る気やったんですか?」 「えぇ!?」 まさか話を戻されるとは思わなかったらしく、引きかけた朱が再度肌に戻った。 静かなイメージに反して、中々表情は豊からしい。 意外な一面にこっそり笑っていると、唸っていた雅がポツリと呟いた。 「作りたいのは山々なんだけど…顔すら知らないんだよね」 「…は?」 思わず間抜けな声が漏れる。 憧れの人間の顔を知らないだなんて、そんな事があり得るのだろうか。 しかもそれだと尚更、苦手克服と称して家事類を練習している理由が分からない。 そんな財前の困惑を素早く察知したらしい雅は、両手をパタパタ振りながら焦ったように弁解した。 「や、文でコンタクトはとってるんだよ?ただ会ったことはないんだけど…」 「…、文?」 その言葉に対し考え込むように顎に手を添えた財前に気付かず、雅は彼にとっての爆弾を投下する。 「それでその人のタイプが、その…家庭的な人らしく…」 「…」 口にするのが恥ずかしくなってきたのかどんどん小さくなる語尾に、落ちていく視線。 うつ向いたせいで、雅は財前の表情の変化に気付けなかった。 言わなきゃ良かった…! 訪れた沈黙に後悔の念が押し寄せる。 耐えきれずカウンターに置かれた返却済みの本をじっと見つめていると、静止していた空気が揺れた。 「―、その憧れとる奴は先輩から見てどんな人間や思います?」 「え?」 まさかの問いに反射的に見返せば、不敵な笑みとかち合う。 不意打ちのそれにドキリと跳ねた心臓を落ち着かせながらも、一生懸命思考を巡らせた。 “彼”とは、ネット上でしか会話を交したことしかない。 ただはっきりしているのは、趣味が似ていて好みが同じことと、一つ下の男の子であること。 そして何より、自分が彼に惹かれていることだった。 「…自分の意見をしっかり主張出来る人、かな。結構クールそうなんだけど意外に熱いっていうか…」 一つの記事から始まった関係。 些細なやりとりがいつの間にか楽しみになって、気が付けば相手に焦がれるようになった。 そんな時にちょうど好みのタイプの話題が出てきて、返ってきた答えは“家庭的な人”。 不器用な部類に入る雅にとってそれは落ち込む内容だったが、少しでも理想に近付けるようにと頑張ってきたのだ。 スカートの前で指に巻かれた絆創膏をそっと撫でると、照れたようにはにかんだ。 「実は今日はその人の誕生日で、本当は直接おめでとうって言いたかったんだけど」 「…―、俺も是非聞きたいッスわ」 「…はい?」 今度は雅の番だった。 ついていかない思考に振り回されながら、首を傾げる事で意思表示をする。 そんな雅の姿に笑いを堪えつつ、財前は楽しそうに唇を吊り上げた。 「確かに俺のタイプは家庭的な人やけど、その努力見過ごすほど小さい人間ちゃいますよ」 「へ…?」 ああ、そういや暫くは同い年なんやっけ? とどめとばかりに最後のヒントを付け加えると、片手で頬杖をつきながら、絆創膏で埋め尽される雅の手に視線を送る。 標準より小さめの手には、普通のタイプに紛れて少々凝ったデザインの絆創膏も紛れていた。 ヘッドホンや音符をあしらったそれを見つけると、嬉しそうに目を細める。 「薬指の絆創膏、ええですね。今度から怪我したら先輩んとこ貰いにいこ」 「あ、いつでも…じゃなくて!ちょ、待って…!?…っ、ええぇ!?」 「焦りすぎッスわ」 「いやいやいや…!」 逆に何でそんなに冷静なんだと突っ込みたいが、そこまでの余裕はなかった。 なんせ、会ったこともない憧れの人物が同じ学校の後輩だったのだ。 普通に、驚く。 熱る両頬に手を当てた雅がグルグル目を回していると、ガタリと椅子を引く音が鼓膜を揺らす。 相手が立ったのだと認識した時には左手をとられていて、じわりと冷たい熱が伝わった。 「おめでとう言ってくれるんやろ、先輩?」 至近距離で覗き込むように言われ、掴まれた部分が更に熱をおびる。 退くことも顔を背けることも許されない状況で、せめてもの反抗にと視線を外して唇を開いた。 「その…おめでと、ございます…」 「おおきに。明日からは弁当期待しとるんで」 「っ本気で!?」 「何や、その為の予行練習みたいなもんですやろ」 「…ハイ」 絆創膏だらけの手を見せつけるように掲げられれば返す言葉もなく。 してやったりと微笑む財前に、引かない朱もそのままに肩を落とした。 想像よりも冷たく想うより熱い、焦がれた体温 (…絆創膏買いだめしなきゃ) (俺の為に創った傷や、責任はとるんで安心して下さいよ) 触れた指先、絆創膏ひらり |