◇
雅はボンヤリと窓の外を見ていた。
数時間前のやり取りが脳内で再生される。
『あ、』
『…―はい。もう落としたらアカンでぇ』
『ん、ありがと…』
まさかのご対面で動けない雅の様子を見て取ると、白石はいつものように爽やかな笑顔で生徒手帳だけ手渡し、そのまま去った。
―またやらかさんように気をつけたってな。
隣で同じく固まっていた金江に声を掛けることも忘れずに。
雅の学校で会いたくないという気持ちを見越してか、最低限の会話で済ませたのだ。
読み通り空気の読める人間だったらしい。
真っ赤になる金江の隣で、訳の分からない敗北感に歯ぎしりした。
「―…、…雅!」
「え?」
不意に、現実に引き戻される。
気が付くと、金江が呆れた表情で此方を伺っていた。
いつの間にか休み時間に突入していたらしい。
アンタ大丈夫?
熱でもあるんじゃないかと額に当てられた手に、慌てて謝る。
「ボーッとするなんて珍しいじゃない」
「や、ちょっとね」
「は…!まさかアンタも白石君に」
「ないないない」
わざとらしくのけぞる金江に、気の抜けた表情で手を振った。
私が白石に持つのは敵対心だけ。
自分に言い聞かせて一人頷くと、ちらつく憎たらしい笑顔をポフポフと消して、本日も飴をほおりこむ。
甘ったるいチョコの味に少しだけ口を曲げた。
そんな雅のポケットからさりげなく飴を手に入れた金江は、彼女の抗議の視線を受けながら包装紙を開ける。
「それよりアンタ良かったの?」
「?なにが」
「…やーっぱ気付いてなかったか」
大袈裟に溜め息をついた友人は赤い飴を口に押し込みながら、前方の黒板を指し示した。
あ、苺好きなのに!
むっとしながらも素直に黒板に視線を移す。
そこにはズラリと文字が並んでいたが、どう見ても授業内容ではなかった。
そういえばLHRだったんだっけと思考を巡らす。
確か文化祭のクラス行事と係決めだったか?
そこまで思い出し、ふと嫌な予感がした。
「…まさか」
「そ、そのまさか」
ニヤリと笑う金江が親指で示した方向に、視線を定める。
クラス行事内容が『喫茶店』となっていることなど、この際どうでもいい。
問題は、その隣に嫌味ったらしくわざわざ赤で書かれた項目だ。
―文化祭運営係。
運営係と言えば聞えはいいが、実際は物品準備や管理を行う、いわゆる雑用係である。
朝一登校、昼休み呼び出し、居残りは当たり前。
目が回るほど忙しいと評判の、この時期一番のハード係。
その項目の下に紛れ込んだ自分の名前に、口の中の塊を思いきり噛み砕いた。
…しくった。
◇
窓の外からは部活に励む生徒達の声が聞こえる。
誰もいない教室で、雅は一人机に突っ伏していた。
「初日から集まりとか…」
帰り際にかかった文化祭運営係集合の放送に、この後金江と行く筈だったケーキバイキングの予定が先延ばしになってしまったのだ。
哀れみの視線と共に肩に置かれた友人の手が悲しかった。
その上、他の同じ係の奴は揃いも揃ってサボリときた。
元々、他の係に入らなかった、やる気のない生徒が無理矢理入れられる係だ。
これからの仕事ぶりも期待はできないに違いない。
他のクラスもどれだけ集まるか。
既に放送がかかってから30分。未だに他の生徒が来る気配はなく、気分は重くなるばかりだった。
「まさか誰も来ないなんてオチじゃないだろーな…」
一層のこと帰ってしまおうとも思ったが、雅の性格上サボるなんて出来る筈もなく、これからの苦労に頭を悩ませる。
そもそも考え事などせずにちゃんと係決めに参加していれば、こんな係にならずに済んだのだ。
最終的に、考え事の原因となった男に怒りは向いた。
とんだ逆ギレだが、他に怒りのやり場がない。
拗ねたように口を結んで唸る。
「うー…白石め!」
不意に、笑う気配が、した。
「俺がなんやって?」
「!」
ガバリと身体を起こせば、開いた扉に手を掛けて楽しそうに笑う白石が立っている。
雅と目が合うと、申し訳なさそうに眉を下げた。
「堪忍な、先生に捕まっとったんやわ。にしても飴凪さんだけか。噂には聞いとったけど、ホンマに集まり悪いなあ…」
苦笑を浮かべて隣の席に着いた白石を、真っ白になった頭で見つめた。
(最早誰かの陰謀としか思えない!)