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次の日、いつもの祠の傍で雅は幸村と並んでいた。
本日のお供え物はゼリーだ。
昨日はとりあえず疲れただろうからと幸村が家まで帰してくれたため、改めて仁王の話を聞いている。
「ーなるほど、つまり仁王様はお友達なんですね」
「普段から掴み所のない部分はあるんだけど。多分、どこかから雅の噂を聞いたんだろうね」
「噂、ですか」
「いつの間にか広がってしまったみたいでね…俺が人の女の子にベタ惚れだって」
「ごふっ」
「フフ…大丈夫かい?」
サラリと囁かれた告白に、確実にゼリーが変なところに入った。
背中を擦ってくれるのは嬉しいが、今回も明らかに確信犯だ。
ぷるぷるしながらも、雅の心の叫びはひとつ。
そんなの私の方がベタ惚れです好き。
身体的にも精神的にも落ち着いたところで、昨日のお礼をまだ伝えられていないことに気がついた。
「そうだ、お礼も言えていませんでした。精市様、昨日は駆けつけてくれてありがとうございました」
「さっきも話した通り、そもそも俺が巻き込んだようなものだよ。こちらこそ、怖い思いをさせてしまってすまなかったね」
「確かにびっくりはしましたけど、そのおかげで仁王様にも会えましたし。本当に精市様そっくりでびっくりしました。あれも能力のひとつなんですか?」
「そうだよ、俺たちの中ではイリュージョンと呼ばれているけど。彼は成りきりを得意としていてね、一度でも会ったことのある人物になら誰にでもなれる」
「それは中々のチート能力ですね」
色んな使い道がありそうな能力だと思う反面、疑心暗鬼にもなってしまいそうだ。
今回は対象が幸村だったからこそ見抜けたが、あのレベルの完成度で来られれば下手をすれば家族でも違和感なく一緒に過ごしてしまうかもしれない。
恐るべしイリュージョン。
ひとり唸りながら、最後の一口を流し込んだ。
ごくりと喉を鳴らすと、幸村の方は既に食べ終わっていたのか。
明らかにこちらに意識が向いているのを視界に捉える。
「…そういえば、“それ“が残っていたね」
「え?どれですか?」
何も考えずにぱっと顔を挙げるが、瞬間的に後悔した。
その眼差しは、最近よく目の当たりにするそれだ。
え、なんかこれスイッチ入っていませんか何故。
幸村が好きな以上何も問題はなく寧ろ望んですらいるが、なんせ毎回自分の心臓が持たない。
1週間はかかるだろうがせめて心の準備はさせてほしい。
思わず腰が引ける雅にお構いなしに、音もなく伸びてきた手がサラリと彼女の髪をかき上げる。
首元が空気に晒されて身震いするが、そこに何があったか。
昨日は気にも留めていなかったが、確かに今朝は自分でも洗面所で確認した。
白い首筋に残る、赤い痕ー。
着けられたであろうその場面を思い出して、意識せずとも顔に熱が集まるのを感じる。
「…、やっぱり仁王は1回絞めておくべきかな」
「どうか早まらないでください。昨日も言いましたけど、絵面的には精市様だったんですよ?」
「へぇ。ーじゃあ、今度は本物で再現してみようか?」
「は?いやあの待っ」
「残念だったね。今回ばかりは俺も少し余裕がないんだ」
「う、っ」
抱え込まれるようにして、首筋に唇が寄せられた。
相変わらずの冷たさに反射的に肩を竦めるが、やはりあの時のような拒否感は全くない。
逆にゾクゾクと駆け上がってくる何かに、視界にちらつく袖口を握り混んだ。
あれ、今回も何もそもそも待ってくれたことなんてなかったような。
初めのうちは心の中でそんな突っ込みをいれる余裕があったが、それも長くは続かなかった。
「っん!?」
仁王につけられた場所だけにとどまらず、軽いリップ音と共に少しずつ位置がずらされる。
さすがに抗議しようとしたが、同時に耳の後ろを撫でてきた指先にそんな気力も奪われた。
いよいよ何も考えられなくなって、意識がフワフワしてきたあたりでやっと肌への刺激が止まる。
代わりに今までの温度がまぶたに降ってきたことで、とりあえずは気が済んだのだと理解した。
「ごめん、ちょっとやりすぎたかな」
「…いつもの、ことなので」
「それもそうだね」
可笑しそうに笑う振動が届くが、おかげさまで腰も立たない状態である。
そんな無邪気な音で返されて、心奪われないわけがない。
このお茶目さん。
いつの間にやら幸村の首に腕を回してしまっていたため、 どさくさに紛れてそろそろと髪を撫でてみる。
相変わらずの極上の触り心地に和んでいたが、不意に空気が変わったのを敏感に察知して動きを止めた。
「ところで雅、」
いやいやまさかね。
どこか含みを持たせた声色に、恐る恐る意識を戻す。
未だに潤んだままの視界の中、覚悟を決めて視線を交えた。
「昨日今日の君の言葉を解釈すると、普段から俺に“こういうこと“をして欲しいって言っているように聞こえたんだけど」
ーそう認識していいんだ?
緩やかに首を傾げる幸村の表情はなんと穏やかなままだった。
つまり、今度は癒やしモード状態での攻めである。
お色気モードも心臓に悪いが、こちらはこちらで胸が高鳴って仕方がないためどのみち苦しい。
ただでさえ頭がまわっていないのに、明らかにキャパオーバーレベルの熱量を押し込まれている。
立て続けのアプローチに、言葉を返せるわけもなかった。
「ひえ」
君に華を贈るのは俺だけでいい
(余裕のなさに一番驚いているのは、多分俺自身なんだろうね)
(私は絶対この人に心臓を止められる…冗談抜きで)
染まって、染め上げて。
2023/10/02