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- ナノ -


17:





−ガリッ

 既に本日何度目か分からない苛立ちを示すその音に、雅は苦々しく笑った。



「金江さん金江さん、そろそろ今日の分がなくなります」

「もう一個」

「…話聞いてる?」



 わざとらしく振った飴専用ポーチに懲りもなく伸びた手に、反射的にポーチを引き下げる。
 見事に宙を切った金江の手が、そのまま雅の肩をがしりと掴んだ。



「…ねぇ、何でそんな冷静なの?」

「いや、何で金江がそんな苛立ってんの」

「っだって何アレくっつきすぎじゃない!?」



 カッと目を見開く金江の指す方向に、ゆるゆると顔を向ける。

 窓の外には、ふわふわした雰囲気の女生徒と歩く白石の姿があった。
 隣の美少女は他でもない、数日前に白石を訪ねてきた女生徒だ。
 あれから天音優華と名乗った彼女は頻繁に白石に会いに来るようになった。
 そのたびに二人揃ってどこかへ消えるため、ここ2・3日はまともに交わしたのは挨拶くらいだ。

 おかげで日常と化していた嫉妬に晒されることもなく平和に過ごせているわけだが、胸につっかえる何かがあるのも確かだった。
 ぼやけたピントを再度二人に合わせれば、天音の髪についた葉を白石がとっている様子が映る。

 何とも絵になる二人だ。
 彼女なら白石と並んでいてもあの恐ろしい視線が向けられることはない。
 みんなが口を揃えてお似合いだと言うことだろう。


−冷静なはずが、なかった。


 昔とは違い、今の雅は完全に白石への想いを自覚してしまっているのだ。
 金江も恐らくそんな雅の心境に気付いている。
 だからこそ、こんなにも落ち着きがない。

 自分に代わって感情を流出してくれる友人にそっと微笑むと、ポーチから最後の一個を取り出した。



「はい」

「え、最後の一個だよ?」

「散々食い荒らしといて何を今更」



 蜂蜜色の飴を手渡すなり、わざとらしく額に当てられた手をやんわり退かす。
 頭をあげたことで軽い眩暈に襲われ、不自然でない程度に瞳を閉じた。


−やっぱり、変だ。


 気持ちが晴れないこともさながら、雅にはもう一つ引っかかっていることがあった。
 いつからだったか、体調があまり思わしくない。
 身体が鉛のように重く、目の奥がズキズキする。



「ちょっと、大丈夫?」



 とうとう顔色にまで出てきたのか、雅の顔を覗き込んだ金江がギョッとした。
 今度は本気で額に伸びてきた手を大丈夫だと制し、くしゃりと前髪をかきあげる。



「ありがと平気。…ところで今、何月だっけ?」

「今って…5月だけど。体調悪いなら帰りなよ、うまいこと言っとくから」

「…ん、」



 返事ともとれる声を漏らして緩慢に相槌を打つと、そっと瞼をあげた。
 自分の掌を見つめながら訝しげに眉を寄せる。

 血の気のない白い手が幾重にもぼやけ、意識を混濁させた。



「5月…」



 曖昧な脳内で金江の答えと自分の答えを一致させ、認識が間違ってないことを確認する。


−…やっぱり…“早すぎる”。


 予測よりも早い身体の変調に戸惑いながら、ふらりと立ち上がった雅は鞄を手にした。



「やっぱ今日は帰る。あとよろしく」

「私は授業なんてぶっちゃけどうでもいいんだけど。あんたさえよければ送るよ?」

「大丈夫だって、金江は授業出て」



 いつも通りのさりげない気遣いに瞳を細めて、精一杯の笑顔を浮かべる。
 普通を装いながらも不安そうに眉元を険しくする金江に最後の飴を押し付けて、ガラリと扉の音をたてた。









 コツリ。

 つま先に当たった小石の行く先を目で追いながら、そっと息を吐いた。
 学校を離れてから幾分楽になった身体に首を傾げつつ、歩みを進める。
 登校拒否でも起こしているのだろうか。

 そこまで考えて、自嘲の笑みを零した。



「…そうだったら、どれだけいいか」



 これがただの体調不良でないことくらい、理解している。
 自分の背負うモノに重い溜め息をぶつけると、とりあえず目の前の問題について思考を巡らせた。

 この事態を『彼』に伝えるか否か。

 伝えれば心配性な彼が全てをほっぽりだして此方に来ることは、火を見るより明らかだ。
 それは避けたいが、だからといって言わないままでいるのはバレた時に、怖い。
 女の子受け確実の柔和な笑みを脳裏に描きながら葛藤するが、それがまずかったらしい。

 曲がり角から出てくる人影に反応しきれず、気付いた時には軽い衝撃に見舞われた。



−ドンッ


「!っすいませ、」



 言い切る前に、言葉に詰まる。
 微かに鼻腔を擽る懐かしい香りに、息を呑んだ。
 まさか、と勢い余って引いた身体を支えるように、ふわりと手がまわされる。

 クスッと優しげに零れた振動に、確信した。



「大丈夫?」



 安堵で力の抜けそうな足を叱って、ゆっくりと視線を上にパターンする。
 先程まで頭を占めていた笑顔がそこに存在した。



「…周、助…?」

「久しぶり、姉さん」



 記憶より伸びた身長。
 少し大人びた顔立ちになったが、雰囲気はそのままだ。
 動揺で行き場を失った手が、安心を促すようにそっと握られる。

 変わらない温かさに泣きそうになるのを、堪えた。







(何年ぶりだろう)





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