◇
「…けほっ」
薄暗い倉庫の中、その埃っぽい空気に、たまらず喉が反射を起こした。
雅の咳が思ったより響いたのか、反対側の棚から気遣うような声が届く。
「大丈夫か?無理はしやんようにな」
「分かってるよ、ありがと」
再び咳こみそうになるのを堪えながら返すと、それさえ見越されているのか、空気から苦笑が伝わった。
少しムッとなるものの手を止めることはしない。
早く目的の物を見つけなければ、いつまでたっても帰れない。
「んー、最後の一個が中々見つからんなあ」
相方である白石のぼやきに力強く頷くと、元凶である担任を軽く呪った。
そもそも、授業が終わったにも関わらず教室に残っていたのが間違いだったのだ。
本に熱中しすぎて、気がつけばガラリとした教室。
そこに忘れ物を取りに来た白石が合流し、偶々通りかかった渡邊に見つかった。
『なんや、都合よくクラス委員が揃っとるわ。よっしゃ、初仕事やでぇ。今から倉庫で宝探しや!』
豪快に笑った担任は、あろうことか居合わせた生徒に自分の仕事を押し付けた。
恐らくクラス委員でなくても変わりはなかっただろう。
手間が省けたわ。
去り際にぽつりと聞こえた言葉を、見逃すわけもない。
探し物メモを白石に渡して気分良く去っていく背中を思い出し、溜め息を零しそうになる口を結ぶ。
−注意が、散漫になったらしい。
「…あ、」
気が付いた時には既にそれは起こっていた。
不安定な所をつついてしまったのか、伸ばした手の先の箱がぐらりと揺れる。
かなりの重さがありそうなソレに、血の気がひいた。
ここぞとばかりにスローモーションで脳に届く映像。
ぐらり。
箱が完全に傾いたその時、視界の端を何かがよぎる。
「−…無茶したらアカン、言うとるやん」
落ち掛けた箱を抑えたそれが人の手であるのを理解したのは、すぐ耳元で声が発されてからだった。
見慣れた包帯に包まれた手が、顔の真横を抜けて箱を安全な場所まで押し込む。
「っ白石…」
慌てて背後を振り向けば、白石が困ったように微笑んでいた。
「頑張るんはええことやけど怪我でもしたら元も子もないやろ。頼るとこは頼ってほしいなあ」
「ごめん、…どこも痛めなかった?」
「何ともないでぇ。気にせんとき」
自分のせいで人がどこかを痛めるなど耐えられない。
笑って返された応えに胸をなで下ろすと、余計に早く探すことに火がついた雅は棚へと視線を戻した。
今度こそ迷惑をかけないようにと手を伸ばさなくても済む中段棚を漁り始めるが、間もなく軽く肩を叩かれる。
「飴凪さんのお陰で見つかりそうやで」
「え?」
怪訝な顔で白石の方に向き直ると、彼の手には先程の箱が収まっていた。
首を傾げるが、すぐにその意図を理解する。
箱の裏部分−棚に乗っている時点では死角になっていた箇所に、最後の探し物の名称がひっそりとその身を主張していた。
箱を押し戻す時に目敏く見つけたのだろう。
あんな一瞬を見逃さない能力のクオリティに少しの嫉妬を見いだしながらも、これで帰れると心の底から感謝した。
「先生捕まえて報告してくるよ」
「ああ、おおきに。じゃあ俺は探したもん整理しとくわ」
「お願い」
相変わらず、どこまでも完璧を求めるらしい。
しかし同じ係をこなすにあたってこれほど心強い相方はいないだろうと、珍しく少し表情を和らげて扉に向かった。
初めは対抗心しかなかったのに。
彼の完璧さに敵対心を燃やしていた少し前の事を思い出し、そっと笑みを零す。
−こんな日が、続くことを疑わなかった。
−自分の運命を、忘れていたわけではなかった。
がちゃり。
「っ…!」
ざわ…
ドアノブを捻った瞬間、何とも言えない感覚が全身を浸蝕した。
形容しがたい、妙な空気が肌に纏わりつく。
後々思えば、これが第六感というものだったのかもしれない。
得体の知れないそれはほんの一瞬のもので、次の瞬間には不思議な香が鼻腔を擽った。
「あの…」
開いた扉の隙間から、柔らかい声が入り込む。
ギィ。
徐々に広がる視界に合わせ、その音の持ち主の姿が露わになった。
「お忙しいところ、すいません」
花のように顔を綻ばせる少女に目を見張る。
そういえば、今年はえらく可愛い子が入ったと周りが騒いでいた気がする。
間違いなくこの子だろうと確信しながら、その綿菓子のような亜麻色の髪に視線を奪われた。
守りたくなる女の子とは、きっとこういう子のことをいうのだろう。
どことなくクラクラしてきた頭に、麻薬のような甘い空気の振動が入り込む。
「−ここに白石先輩がいると伺ったんですが、いらっしゃいますか?」
可憐な唇から紡がれた名前に、世界から色が失せた気がした。
(この胸騒ぎは…)