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09:




 カチャリ。

 テーブルに置いた衝撃で、湯飲みの中身に波紋が広がる。
 同時に、鏡と化したお茶に映る笑顔も揺れた。



「おおきに」

「どういたしまして」



 最近やっと慣れてきた笑顔に、ここぞとばかりに笑顔を返した雅は、向かいの席へと腰を下ろす。

 久しぶりに店員とお客という感覚を思い出した。
 お茶を出すだとかいう行為はこうやって割りきれるから好きだ。
 しかし、お茶を出し終った後は、また敵対心を燃やす同学生への対応へと元通り。
 自分の分のお茶を一口すすると、雅は少し眉をしかめて正面を見た。

 話題は勿論、彼を家に上げる前に言われた台詞についてだ。



「で、何で私なのかな?」

「俺が飴凪さんを誘いたかったからやなあ」

「まんまだね」

「ストレートでええやろ?」



 妬ましいくらい綺麗に微笑む白石を目の前に、雅は溜め息を隠そうともしない。

 彼ならわざわざ自分なんか誘わなくとも、腐るほどお誘いがあるだろうに。
 からかわれてるのかと追い返すことも考えたが、流石に荷物運びまでさせておいてそんな失礼な事をするほど非常識にはなれなかった。
 お茶くらいなら出せるからと引きとめたまではいいが、ここからどう対処すべきなのか。

 次の行動に迷いを見せる雅に、今度は白石から口を開く。



「まあ飴凪さんの意思を無視するわけにはいかんからなあ。いきなりやったし、暇やったらでええんやけど」

「…」



 そう言うと、白石は軽く首を傾けて少しだけ困ったように笑った。
 雅も少し視線を落とし、沈黙を守る。

 現在の時刻は五時過ぎ。
 買い物に行ったのが夕方と言ってもいい時間帯だったのもあり、ぶっちゃけこの時間帯に家にいる時点で用事がないですと言っているようなものだ。
 ここがアパートで、その狭さから一人暮らしということもこの相手は察していることだろう。

 クリスマスイブに誰とも用事がないなんて、寂しい女だと思われてるんだろうなぁ。

 苦笑混じりにそんな事を考えていると、それを遮るように軽快な着メロが流れた。
 振動を始めたポケットに手をやり、気遣うように白石に視線を送る。



「気にしやんでええで」

「ごめん」



 すかさず返ってきた柔らかい声に甘えて、通信ボタンを押した。
 着メロの種類から、相手はもう割り出してある。



「もしもし」

『あ、姉さん? 今時間大丈夫かな』

「久しぶり。いいよ」



 相変わらずの律義さに思わず笑みを浮かべて、携帯を持ち直した。
 女性が好みそうな、優しげな少年の声が機械を通して鼓膜を揺らす。



『元気?また無茶してるんじゃないかと思うと心配だよ』

「あはは、心配しすぎだって。そっちはどう?忙しいんでしょ?」

『ああ、うん。それで元旦なんだけど…』



 突如落ちた相手のトーンに、雅はふと自分の胸に靄がかかるのが分かった。

―ああ、今回もか。

 即座に張り付く、嘘笑い。
 いくら表情を変えたところで電話の相手に見えるわけではないのだが、これは雅の一種の癖と言っても良かった。
 三日月形で氷の様に固まった唇で、相手より先に言葉をつむぐ。



「―、大丈夫だよ、無理しないで?会えないのは寂しいけど、そっちの事情が分からないほど子供じゃないよ」

『姉さん…』

「電話、嬉しかった。わざわざありがと」

『…一段落したらすぐ会いに行くから。また電話するよ』

「ん、待ってるね」



 雅は相手の感情にも敏感な部類だった。

 会話の間や、声のトーンの上がり下がりからも相手の表情くらいは容易く読み取れる。
 いつでも柔和な笑みを浮かべる彼の、申し訳なさそうに眉を下げる顔が脳裏に浮かんだ。

 嘘笑いが素の苦笑に切り替わるのを感じながら、会話を切り上げる。



「じゃあ、身体に気をつけて」

『うん、姉さんもね。何かあったらすぐ連絡するんだよ』

「分かってる。またね」



 彼らしい気遣いの言葉が胸に染みた。
 ゆっくり本来の笑みを浮かべると、携帯を耳から離して通話ボタンを切る。

 …そっか、やっぱ今回も無理だったか。

 待ち受け画面の仔猫と見つめ合いながら、そっと息を吐いた。

 折角材料買い集めたのにな…。

 しんみりと睫を伏せると、不意に空気が震えた。



「んー…、やっぱ飴凪さんは笑顔の方がええなあ」



 バッと顔を上げれば、片手で頬杖をついて此方を見ている白石と目が合い、その内容に顔が熱くなる。

 だから何でそういうことをサラッと言うかなぁ…!

 照れ隠しも助長して、雅の口からは無意識にキツイ言葉が飛び出た。



「…残念なお知らせの時に笑えるほど、お気楽な人間でもないからね」



 言い終わってからそっけなさ過ぎたかと後悔したが、白石は気にした様子もなく口元を緩める。



「せやな、さっきのは俺の我が儘や」



 ここで電話の内容を問い詰めるなんて野暮なことをする男だったなら、雅は再び『嘘』を顔に張り付けることになっていただろう。
 しかし生憎、白石は激しく空気の読める人間だった。

 少しの間を置いて、静かに、雅の唇が開く。
 視線はテーブルに落としたまま。


「…、電話、弟からだった」

「弟さん、おるんやな」

「腹違いだけどね。弟も遠くで寮暮らしで、元旦には会える予定だったんだけど…、」



 そこで一旦、区切った。

 先程の電話内容からも、ここまで言えば伝わるだろう。
 やはりそれで情報は十分だったらしく、白石は頬杖を解いて雅に向き直る。

 落ち着いたトーンの声が、脳を揺らした。



「―飴凪さんは、それで良かったん?」

「…え?」



 ドクリと心臓が跳ねる。
 今まで誰にも触れられなかった場所に、触れられそうで。
 
 視線が、あげられない。



「ああ、相手を困らせろって言ってるわけやないんやけど…引き際が良すぎるっちゅーんかな」

「…それで?」



 やっと絞りだした声は、本当に自分の声かと疑うくらい、かすれていた。
 自分の声に驚く雅を見た白石は、スッと目を細める。

 淡々と、その一言を彼女に投げ掛けた。



「…無理しすぎや」

「ッ無理なんかしてない!こんなの、いつものことなんだから…!今更…、」





―今さら、寂しい、なんて。





 勢い良く立ち上がった拍子に倒れた椅子が、後ろでゴトリと乾いた音を立てる。
 
 それをどこか違う世界で聞いてるような、そんな現実離れした錯覚の中。
 これ以上踏み込まれる事を恐れた雅は、仮面を被る事を選択した。

―…いち、に、さん。

 顔を上げた時には、彼女は柔らかく微笑んでいた。



「もう、慣れたから」



 眉をハの字にして、それでも何ともないという風に笑ってみせる。

 そう、いつものことだ。
 クリスマスも、元旦も、誕生日だって、一人で過ごせる。

 迷惑をかけちゃいけない。
 束縛しちゃいけない。
 困らせちゃ、いけない。

 表情とは裏腹にぐるぐるまわる言葉に、気分が悪くなった。
 それでも、『慣れ』は彼女に仮面を外す事を許さない。
 当たり前のように、強がりを吐き出す口。



「こんな話になってごめんね。言い忘れてたけど、私これから行くとこあるから。白石ももう帰っ」



 最後まで言い切ることは、できなかった。

 目を開けた瞬間目にした、白石の表情。
 その優しすぎる笑みに、魅入られた。
 慈しむように、困ったように。
 ただ見つめてくる瞳は、視線を外す事をいとも簡単に拒否する。



「ホンマに、意地っ張りな子やなあ」

「ッ…!!」



 目を見開いて固まる雅に構わず、ゆったり立った白石は、そのまま彼女の前まで移動した。
 まるで子供をあやすような手付きで雅の頭に手を置く。



「確かに我慢強いとこは飴凪さんの魅力やけど、たまには甘えることも必要や」



 プツリ、と何かが切れる音がした。

 張り付けた笑みが、あっけなく崩れる。
 どうしてもそちらを見る勇気がなくて、雅はうつ向いたまま声を絞り出した。



「…子供扱い、しないでよ」

「子供扱いしとるつもりはないんやけどなあ」



 強いて言うなら女の子扱いや。

 弱ったように笑う白石の声に、視界一杯に広がる床がユラリと滲んだ。







(いつから、こんなに弱くなったんだろう)









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