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if [ 32/32 ]



 ミーン、ミーン。

 蝉の合唱と幻想的な木漏れ日に目を細めながら、雅の思考は停止していた。
 公園のベンチで、隣には出会って間もないイケメン男子。
 角でぶつかるなんてベタな出会いをしてから、何故か相手方に引き留められて先程まで談笑をしていた。

 抜群のスタイルに、輝く金髪が似合う端正な顔立ち、眩しい笑顔。
 聞けば雑誌モデルをしているらしい。
 生憎、そういうものにはあまり関心を示してこなかった為か、名前を聞いても分からなかったが、容姿だけで信じるには十分な説得力があった。
 これだけの存在感なら、有名なのだろう。

 自分の無知さ加減に申し訳なく思い謝るが、多分地域が違うからしょうがないのだと曖昧に苦笑された。
 こんな美男子と関わる機会など滅多にないし、話せてラッキー程度で付き合っていたが、そんな事態が一変したのは、ほんの数秒前だ。

 繰り返すが、彼−黄瀬涼太と出会ったのは、つい先ほど。
 勿論初対面であり、恋愛小説などでお決まりの幼なじみの感動の再会などでもない。
 なのに、だ。



「抱き締めさせてほしいんス!」

「…はい?」



 この状況はどうしたことか。

 え、何がどうしてそうなった。

 いくら思い返しても、こうなった原因が思い浮かばない。
 会話を辿ってみても、軽い自己紹介やら、夏休みに入ったねとそんな話をしていた程度だ。
 流れ的にも、どう考えても不自然である。

 ああそうか聞き間違いかとじっと見返してみるが、両手を握られ、事態は悪化した。



「出会ってばっかでこんなこと頼むのは変だって分かってるんスけど…お願いします、十秒くらいでいいんで」

「え、は…何で十秒?地味に長…、いやいやいや待って、そこじゃない、長さの問題じゃないよ!落ちついて一旦冷静になろう!?」

「充分冷静ッスよ。真剣に頼んでるんス」



 特徴的な長い睫毛が、震えた。

 確かに冗談で言っているようには見えない。
 こんな距離でこんなイケメンに真摯に見つめられては、脳が正常に働くわけがなかった。
 彼ほどの男性に言い寄られて、ぐらりとこない女性は少数派かもしれない。
 実際に、自分の心臓も色んな意味でヤバいことになっている。

 ただ、ここで快く承諾するには、雅は異性に−特に男前に対しての免疫がなさすぎたし、自分に自信があるわけでもなかった。
 例えば雅自身が誰もが振り返るような美少女だったならば、話は別だったかもしれない。
 しかし残念ながら誰から見ても中の中、よくて中の上だろう。
 こんな上等の異性に言い寄られる理由がなかった。

 そうなれば、何か裏があると勘ぐるのが普通だ。
 じりじりと座ったまま後退りながら、首を振る。



「ご、ごめん無理無理!他を当たって下さい私にはとても務まらない…!」

「っ他じゃ意味がないんスよ!キミじゃないとダメなんだって!」

「っ…」

「別に下心とかないッスよ!?ただ…うん、夏だし暑苦しいと思うけど、少しだけ…。ね?」



 ひぃいい。

 恥ずかしくなるような言葉混じりに、更に距離を詰められ、いよいよ限界だった。
 自分のような平凡女子からすれば夢のような話だが、なんせ心の準備が追いつかない。
 展開が早すぎて、何がなんだか分からない。

 なんだ、罰ゲームかドッキリの類だろうか。
 もしくは、目の前の彼が驚異的なプレイボーイなのか。
 ここで彼の要望に応じたとして、明日からの人生に何か変化は訪れるのか。

 前者ならば、笑いのいいネタだ。
 暫くは後ろ指を指されるかもしれない。
 後者だったとしたら、間違いなくお先真っ暗だ。
 自分なんて、遊ばれてすぐに飽きられるのがオチだろう。

 黄瀬と過ごした時間は短いが、少なくとも会話を交わした印象では、そんな悪い人間には感じなかった。
 いくら突拍子のない展開に見舞われているからといって、勝手に悪いイメージにもっていくのは失礼も承知だったが、何せ思考回路が正常運転していないのだ。
 多少の被害妄想は許して欲しい。

 余程顔色に出ていたのか、雅の明らかな拒絶に多少ショックを受けたらしい黄瀬は、少し視線を落として握っていた手を離した。



「…ごめん、流石に無理ッスよね」

「あ、いや…ええと」



 シュンと肩を落としてうなだれる姿に罪悪感が募るが、だからといって初対面同然の異性と抱擁を交わすなんて大胆なことはできない。
 いくら人気のない公園内だったとしても、だ。

 どうこの場面を切り上げようかと、雅の思考が回復し始めたその時。
 彼女の視界に、見知った姿が飛び込んだ。


―げ!?


 クラスメートの女生徒の顔を確認するなり、雅の身体は硬直する。
 そこまで親しくはないが、恋バナや噂話が好きなことで有名な人物である。

 こんなイケメンと仲良く並んでいる姿を目撃された日には、問いつめられたり、あらぬ噂を流される可能性があった。
 目立たず平和に学校生活を楽しみたい雅にとって、それは遠慮願いたい。

 幸いにもあちらはまだこちらに気付いておらず、ルートを見る限り公園には用なしだ。
 ただ通り過ぎるだけだろうが、黄瀬のような目立つ人間が隣にいれば、彼女の視界に入ってしまう可能性は充分にあり得る。
 ここは確実にこの場から離れてしまいたいが、距離が距離だけに今から下手に移動するのは逆効果だ。
 かと言って、このまま固まっていれば気付かれるのも時間の問題。


 どうする、どうすれば…!


 ぐるぐる回る思考世界で、ふと黄瀬の心配そうな表情とかち合った。
 挙動不審を感じ取ったのか何か言おうとしてくれているが、雅の方が早かった。
 否、正確には、彼女の“身体”が速かった。

 頭で考えるより先に、行動に出たのだ。



「…っ黄瀬君ごめん」

「!?っえ、は」



 ぎゅう。

 黄瀬が反応するより先に、顔を隠すようにその胸元に額を押し付ける。
 (彼女にとって)絶体絶命の状況で雅がはじき出した選択は、顔を隠すことだった。
 幸いにも本日は部活もないため私服で、髪型も学校時とは異なる。
 行動としては目を惹くが、仲のいい友人でなければ、遠目で彼女だと判断などできないだろう。

 無意識レベルでそんな結論を叩き出した雅の頭がついてきたのは、それから数十秒後だった。
 途中、視界に緑がちらついた気がしたが、早く通過してくれと願うばかりで、それすら曖昧だ。



「…えーっと、あの…飴凪、さん?」

「!っはい!…ってああぁあごめんなさい!」



 身を隠すことだけに意識を持って行かれ、息すら潜めていた雅を我に返らせたのは、黄瀬の遠慮がちな一声だった。

 必死すぎて、最早時間の感覚すらない。
 がばりと顔を挙げると困惑した端正な顔が間近にあって、後ろに反り返りそうになった。
 しかし、いつの間にやら腰に回されていた彼の腕により、後ろにバランスを崩すことは免れる。

 ただ、ここにきてやっと現状を把握した雅は、一気に羞恥心と後悔に襲われた。
 あれだけ断り続けた行動を、自ら起こしてしまったのだ。

 いくら事情があったからといって、了解も得ずにいきなり異性に密着するのは如何なものか。
 例え相手から誘いがあった後だとしても、女性として品に欠けていたかもしれない。
 母や祖母が知ったら雷モノだ。

 しかも、黄瀬が指定してきた時間より、確実に長い抱擁となってしまった。
 一体、彼にどんな印象を与えてしまったのか。
 考えるだけで、穴を探してスライディングで滑り込みたい心境だった。

 うわぁあああ。

 冷や汗を交えながら心中で絶叫する雅に対し、黄瀬もまた、混乱の中にいた。





−終わったと思った。

 いきなり見知らぬ土地に連れてこられて、妙なメールが届いて、元の世界に帰るためにはミッションが必要だなんて説明されて。
 そんな非現実な内容、実際に体験していなければ笑い飛ばすところだ。
 頭の中を整理するまもなく、初めの対象者とやらに出会った。
 何のことはない、そこら変にいそうな普通の女の子。

 しかし、このミッション内容が中々ぶっ飛んでいた。
 一つ目の情報収集はよしとしても、二つ目はいただけない。
 昔から恵まれた身体能力と容姿で異性との関わりに困らなかった黄瀬でも、これは瞬時に判断した。

 初対面の異性相手に、いきなり抱擁はないだろう。
 携帯を叩きつけたくなったが、流石に変質者のレッテルは貼られたくない。
 そう思える程度には、対象者は平凡で、愛想があって、そしていい子だった。

 うっかりモデルをしていると話してしまった時は慌てたが、そういうことにはあまり関心のない子らしい。
 違う世界の雑誌が、こちらにあるわけもない。
 地域が違うからという苦し紛れの言い訳で納得してもらえた。

 ミッションについては暫く悩んだが、結局いい案は浮かばずに、直球で頼み込んでみた。
 自分のステータスは自覚していたし、女の子相手だったらもしかしたらいけるんじゃないかと、そんな思いも少しだけあった。

 結果は、見事玉砕。
 心なしか顔色まで悪くしながら後退する彼女に、多少のダメージは受けた。
 モデルのプライドもあったし、まさかそこまで拒否されるとは考えていなかった。


 確かに無茶なお願いだけど、そこまで嫌ッスか…!


 沈む反面、好感も感じる。
 昔から見た目ばかりに引き寄せられる異性に囲まれてきた黄瀬にとって、雅の反応は逆に魅力的に映った。
 年頃の男女ならば、見目のいい異性に迫られたら多少の魔は差しそうだが、彼女は揺らぎなかった。

 これくらいの警戒心は持っていてくれた方が、付き合った場合に一途に想ってくれそうで、安心かもしれない。
 思考がずれてきたことに気付いたのは、そこまで及んでからだった。


 いやいや、何考えてるんスか!それよりもここからどうするか考えないと…!


 ミッションには制限時間もある。
 直球にいきすぎたせいで怖がらせてしまったし、警戒レベルは跳ね上がっているだろう。
 下手したら、このまま理由をつけて去ってしまうかもしれない。
 そうなれば、もう打つ手はない。

 焦る思考の中、不意に、彼女の異変に気が付いた。
 身体は微かに震え、何か考え込んでいるのか表情も浮かない。
 明らかに普通でない姿に声を掛けようとしたが、彼女の方が早かった。

 ばちり。

 何かを決意したような双眼に魅入られた、次の瞬間。
 身体に軽い衝撃を受けた。



「…っ黄瀬君、ごめん」



 消え入りそうな謝罪と共に、彼女が胸元にもたれ掛かってくる。
 一瞬、ああこの子も結局一緒か、なんて落胆が過ぎったが、すぐに打ち消された。

 腰辺りに申し訳程度に回される細い腕。
 自分の腕にたまたま掠った温度が、この暑さに反して異常に冷たく感じた。
 触れ合うことで、彼女の震えがダイレクトに伝わる。

 自分が諦めて手を離した時のうろたえぶりや、何かを抑え込むような、強い意志をたたえた表情がフラッシュバックし、自分の中でかちりとハマった。



−ああ、これは彼女の優しさか。



 優しい彼女は、無茶ぶりなお願いも無碍にできなかったらしい。

 初対面で抱擁を強請る異性など、こんな特殊な事情を知らなければ、いくら容姿がよくても多少は怖いだろう。
 彼女の場合は、教育の賜物か。
 感心する程度の常識を貫いていた。

 青ざめるくらいに警戒して、なのに自分の落胆した様子から何かを察して、協力を決意してくれたのだろう。
 謝罪は、頼んだ際にすぐに対応できかったことに対してだろうか。

 恐怖を押し込んでまで行動に移してくれた雅に、じわじわと広がる温かいものを胸に感じた。
 恐らく、彼女との物理的な接触だけが原因ではない。
 恐る恐る華奢な体幹に腕を回すが、拒否される様子はなかった。
 そのことに浮かれて、ポケットから覗いたミッションクリアを示す緑色にすら、意識が向かない。

 ばくばく主張する左の鼓動がうるさかった。


 え、これ伝わってるんじゃ…。


 どれだけたったかも分からない。
 時間感覚の狂った世界で、名残惜しさを感じながらも前に進む。



「…えーっと、あの…飴凪、さん?」

「!っはい!…ってああぁあごめんなさい!」



 意を決して口を開けば、勢いよく挙がった顔。
 わずか数センチの距離、心なしか潤んだ瞳に、ドキリとした。






(あの、よかったら連絡先を、)

(すいません忘れてくださいもう一生会いませんから…!)






〈ミッション一人目クリア〉
実行者:黄瀬涼太
対象者:飴凪雅
使用時間:47分
ミッション1(難易度E):成功
ミッション2(難易度B):成功
失敗:0/2
成功:2/2

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