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 音もなく開いた自動ドアを見つめて、雅は汗ばむ手を握り込んだ。
 半歩前に立つ虹村からのアイコンタクトに、頷きで返す。

−地蔵からの指令を受けてから歩き回って約15分ほど。
 予想よりあっさりと、それは姿を現した。

 町並みより少し逸れた道に入って数分後、ぼんやりと曖昧な灯りと共に、よく見慣れた看板が視界に入る。
 元の世界でも愛用していた、某コンビニ。
 異なる点を挙げるとすれば、周りが自然に囲まれているということくらいか。
 駐車場に車は一台も見あたらない。

 此処に来るまでに誰ともすれ違わなかった所から、割と遅い時間帯なのか。
 それとも、自分達以外に存在する者がいないのか。
 できれば前者であってほしい。

 そんな希望を掲げながら、扉の向こう−明るい店内を見据えた。
 特に異様な箇所はなく、至って普通の雰囲気にそっと胸を撫で下ろす。
 そんな雅に対し眉を顰めたままの虹村は、最終確認とばかりにしっかり視線を絡ませてきた。



「…行くか。離れんじゃねーぞ」

「うん」



 固唾を呑んで、足を踏み入れる。
 実際に入ってみても、自分たちのいた世界と何ら遜色なかった。

 店内を見渡しながら2・3歩進んだ時点で、ソプラノが空気を揺るがす。



「−いらっしゃいませ」

「ぅわ!?」

「!」



 思わず叫んでしまった口を両手で抑えてその方向を確認しようとするが、生憎、大きな背中が隠すように視界を遮っているため、身動きがとれなかった。
 そのままの状態で五秒ほどだろうか。
 先程と同じ、鈴の転がるような音が、コロコロと笑いを含んだ。



「こんばんは」



 優しい、女性独特の音域だ。
 虹村の身体で認識はできないが、方角から察するに場所的には奥のレジの方か。
 店員であることは明白だった。


−よかった、人がいた。


 この異空間に来てから初めての、自分達以外の“人間”の存在。
 何か情報は得られるだろうか。

 雅が安心するのとは裏腹に、すっとのびてきた虹村の後ろ手が彼女の手首を掴む。
 込められる力はそんなに強くはないが、向こう側の相手を警戒しているのだろう。



「どうも」



 雅がリアクションを返すより先に、虹村が相手の挨拶に対し軽く頭を下げた。
 そのまま後ろ手に、出入り口から見て一番手前の商品棚へ誘導される。



「…虹村君?」

「おら、さっさと選ぶぞ」

「あ、うん。甘味っていうと…チョコとかかな」

「まあそこらへんなら無難だろうな」

「じゃああっちだね」

「まあそう焦んなって。飲み物とかも範囲内だろーが」



 レジ側からお菓子コーナーに回ろうと振り返るが、そのまま進めとばかりに背中を押された。
 首を傾げるも、意見はごもっともだ。



「あ、確かに。ココアとかミルクティとかアリかも…、」



 左側の雑誌コーナーを横目に、奥にある硝子張りの飲料棚へ意識を定めるも、不意な耳鳴りが雅を襲った。



「!っ、」



 きーんと高い音域のそれに、思わず足を止める。



「飴凪?」



 虹村の心配そうな呼びかけに被せて、何かが直接脳内に響いた。



“…し…たる…からず”


「…え?」

「どうした」

「聞こえなかった?」

「…何か聞こえるか?」

「ちょっと待って、」



 再び意識を集中すると、今度ははっきりと言葉が拾える。



“はし、わかるべからず”



 透き通った音で告げられた内容に、結びついたのは有名な彼だ。



「…一休さん?」

「は?」

「虹村君、一休さんが」

「オレにも分かるように頼む」

「ああ、うん。はし、わたるべからずって聞こえたんだけど」

「…一休だな。何で飴凪にだけ聞こえんだ?」

「それは分からないけど…、これは某話そのまんまの意味で捉えていい感じ?」

「コンビニ内じゃ渡る橋なんてねぇし」

「だよね」



 二人で頭を捻るも、動いてみないことには何も分からない。

 声の指す“端”がどこまでの範囲を指すのかも不明だった。
 とりあえず、たった今目指していた飲料棚は間違いなく端とやらだろう。
 飲み物は候補から外したほうが安全そうだ。

 一応、雑誌コーナーからも更に距離をとっておく。
 しかし、ずっとこの場に佇んでいるわけにもいかない。



「まあそうなるとお菓子コーナーに行かないといけないよね。そこのコースは端とやらに含まれるのかな」

「…しゃーねぇな」

「え、」



 飲料棚方面の道を見詰めて考え込む雅の隣で、虹村がおもむろに商品棚からスプレー缶を手に取った。

 意図を尋ねる前に、それを床に転がす。
 突発的な行動にぎょっとするが、その意味を理解するのに時間は必要なかった。
 何の変哲もなく転がっていた缶だったが、間もなく、変化に見舞われる。



−とぷん。



「…うそ」



 物理的な原理を無視して、缶が、消えた。

 否、正しくは“呑み込まれた”と言うべきか。
 飲料棚に進行していた物体は、壁に衝突するかと思いきや、そのまま動きを止めることはなかった。
 まるで鉄の塊が豆腐の塊を通過するかの如く、滑らかに壁の向こうへ姿を消したのだ。



「え、一体どうなって…」

「あー…こりゃ厄介だな。もういっちょ行ってみるか」



 完全にフリーズする雅に対し、虹村は新たに歯ブラシを入手して床に置く。
 缶とは異なり転がってはくれない為、絶妙な手技で床を滑らせた。
 音もなく移動するそれの末路を見守るが、結果は同じだった。

 何の抵抗もなく、壁の向こう側へとすり抜けていく。



「…範囲をみる限りだと本当に端っこだな。吸い寄せられるって訳じゃなさそうだし、触んなきゃ大丈夫だろ」

「おおう」

「とりあえず移動すんぞ。ぴったり後について来い」

「了解です」



 何とも頼もしい背中にこっそり感動しながら、言いつけ通りぴったりと虹村の後を追った。
 お菓子コーナーに一歩踏み入った時点で、一旦止まる。



「…飴凪、こっからは商品選びに集中しろよ」

「うん?」

「…まあ、その時になったら言うわ。変に意識しても困るしな」

「?分かった」



 虹村に倣って、ずらりと並んだ商品達に焦点を定めた。
 甘味と言うならば、やはりチョコレートが一番失敗がない気がする。
 ポケットに入れていた五百円を取り出して、前髪を揺らした。

 地蔵から特に指定はなかった。
 この金額を使い切っていいのであれば、見積もって二つか三つは買える計算だ。
 どういう組み合わせにしよう。

 悩んでいると、手の平の五百円玉が大きな手にさらわれた。



「え?」

「預かっとく。そっちは何買うか大体目星ついたか?」

「あ…えっと、やっぱりチョコを二つか三つくらいでどうかなと思ってるんだけど」

「ああ、それで問題ねーだろうな。もうひとつ相談なんだが…五百円ぴったり選ぶことはできると思うか」

「…ぴったり?」



 中々ハードルの高い申し出に、一瞬固まる。

 買い物中の計算など、ざっくりとしかしたことがない。
 まず、恥ずかしながら消費税の計算が未だに分からない。
 しかも携帯も手元にない今、暗算しか選択肢がない。
 以内に留めるのならともかく、ぴったりというのは可能なのだろうか。

 余程酷い顔をしていたのか。
 雅の表情を伺っていた虹村が、突然口元を腕で覆った。

 何かあったのかとぎょっとするが、よく見れば肩が僅かに揺れている。



「…虹村くん?」

「悪い…思ってた以上に素直だな飴凪。まあそこまで考え込む内容じゃねぇよ、忘れてくれ」

「本当に?何か考えがあるんだったら教えて。努力はする」

「…、そんな大層なもんでもねーけどな。おつりなんかはない方がより早く此処から出れるだろ」

「うん、確かに」



 言いたいことはよく分かる。
 どんなリスクがあるかまだ未知であるし、少しでも早く撤退するべきだ。
 ただ、店内に入ってからの虹村の警戒ぶりが気になっていた。

 勿論、こんな状況だ。
 あらゆることに敏感になるのは当然で、それに越したことはない。
 しかし彼のそれは、曖昧に全ての事柄に備えているというよりは、もう明らかに警戒対象を明確に定めているような。

 彼だけが目にして、自分が目にしていないもの。
 それを挙げるならば、恐らくひとつ…−、

 そこまで雅の思考が及んだ瞬間、空気が大きく揺さぶられた。



「−肉まんあんまん入りました、いかがですかー」

「!あ…っ」



 突如空間を割いたソプラノ。
 なんの変哲もないものであったが、状況が状況なだけに、必要以上に反応してしまったらしい。
 反射的に引いた身体が棚に接触し、いくつかの商品が床に散らばった。

 それを拾おうとしたのは雅にとって当たり前の行動で、一番遠くに飛んでしまったスナック袋の方へ手を伸ばしたのも偶然だ。



「っば、飴凪!」



 どこか焦ったような虹村の制止が、やたら遠くに聞こえる。

 それが何を意図するのか、次の瞬間には理解した。
 大きく体勢を変えたせいで、今まで虹村の存在により“隠されていた”場所がひらける。
 先程思考に登場した、唯一の、雅がまだ確認していなかったモノ。

 レジ側−

 店 員 、 の 姿 。



「?!ひ…!っ」



 目に飛び込んだそれに、一瞬で吐いたはずの酸素が体内に逆流した。
 ひゅっと喉が鳴り、呼吸がままならなくなる。
 一目で二度見してしまいそうな、その容姿。

 これがいつもの日常であれば、何らかの宣伝やイベントだろうかと好奇の注目を浴びるだろう。

 しかし、今は訳も分からず移動してしまった見知らぬ世界の中だ。
 いわゆるお多福の“お面”を被って佇む彼女は、異常にしか映らなかった。

 直ぐにでも視線を逸らしたいのに、停止した脳は指令を出してくれない。
 不可抗力で見つめる中、店員は雅に向かって、ニコリと“笑った”。



「は…、なん…」



 元の形より上乗せして歪められた、真っ赤な口元に、悪寒がはしる。

 お面の表情が変化するわけが、ない。
 しかし現に、彼女は笑みを深めているのだ。
 加えて唇からちらつく舌が、より不気味さを増大させた。

 思わず魅入る雅の前で、店員の唇の端から何かが零れ落ちる。
 プラスチックの破片のような、明らかな無機質のそれ。

 ぺろり。

 湿った舌が唇を妖艶に舐め上げた瞬間に、先程の光景が脳裏を過ぎた。
 壁に呑み込まれるように消えた、商品達。
 無意識に噛み合わせた思考に、冷たいものが背中を這い上がる。

 つまり、あの壁にもし近寄っていたら…、



−ぐい。



 息を吸うことも吐くことも忘れた身体が、不意打ちで後ろに引かれた。



「っ…」



 背中と目元に温度を感じると同時に、閉ざされた視界。
 一瞬何が起きたのか理解できずに、双眼を覆うそれに手を添えた。

 耳元に落とされた声に、視界を奪っているものの正体が、彼の片手だと認識する。



「−見んな」

「…っ、虹…」



 とりあえず深呼吸な。

 促されて、思い出したかのように酸素の入れ替えを始めた。
 雅が落ち着いたのを見計らって、新たに彼女の右頬へ当たる皮膚温。
 何だ何だと疑問符を飛ばす間に、添えられた手に力が加わる。



「ちなみに見んならこっちだ、こっち向け」



 ぐき。

 両瞼に触れていた温度が離れたかと思いきや左方向に首が回され、奇妙な音を体内から聞いた。



「う!?あの、痛っ…いたた首から変な音…」

うっし、ちゃんと目は生きてんな





 色んな意味で遠い目をする雅に対し、ひとつ頷いた虹村はニッと口角を上げる。



「此処から出るまであんまごちゃごちゃ考えんじゃねーぞ。オレの方だけ見てろ」



 なにこれどんな殺し文句。
 有り余るイケメン度。
 無自覚怖い。

 彼に意図がないのは大いに理解しているが、思春期の女子には少々刺激が強い。
 喉元に引っ掛かった言葉もそのままに惚けていると、ふいと視線を商品棚に戻した虹村が手を伸ばした。



「んーじゃあこれとこれと…これにすっか」

「え、虹村君もしかして…」

「おう、長居する必要もねぇしさっさと出んぞ。レジにはオレが行くし、まあ大丈夫だ」

「いやいやいや、ちょ、そういう問題じゃなくて…も、もう少し考える時間を」


 あんな得体の知れない人に近付くなんて、危険に決まっている。
 直接ぺろりといかれない保証もない。
 相変わらずの男前度だが、虹村に危ない目には遭ってほしくない。

 何か手だてはないものか。
 今にもレジに向かいそうな彼を引き留めるべく、雅は頭も目もぐるぐる回した。


「あ、わさびが口で持って行くとかカップラーメン詰め込む?!」

分かったとりあえず落ち着け。つっても、多分そろそろ時間切れだな」

「時間…」

「入った時はまだ、ただのお面女だったんけどよ。ありゃ大分高ぶってきてんぞ」

「ええー」

「離れるのは危なそうだし一緒には来て貰うけど、何があってもテンパんな」

「!それはもちろん!な、何かあったら盾にでもなりますっ」

「…いや、頼むから後ろにいろよ?」



 全然安心できねーんだけど。

 頭に乗った温度を、離すまいと握りしめる。
 びっくりしたような顔を見上げて、思いっきり笑ってやった。






運命共同体ってやつですよ

(色々怖いけど、この人のためなら頑張れそうな気がする!)
(とりあえず、こいつがひとりじゃなくてよかった)

あんまん肉まん、普通マン。