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 ぼんやりと瞼を持ち上げた黄瀬は、オレンジ色に染まる教室内をぼんやりと見渡した。

 どうやら寝てしまったらしい。
 朧気な意識の中で先ほどまで女生徒達が騒ぐ声が聞こえていた気がするが、近くにもそれらしいソプラノは聞こえないため、もう帰ったのだろう。
 テスト前であるため部活も中止期間であり、いつもなら活気のある、運動場からの掛け声もない。
 もう一眠りしてしまおうかと再度机に突っ伏そうとするが、不意に耳を掠めたドアのスライド音に気怠げに頭を持ち直した。

 重い瞼を押し上げると、小柄な人影が柔らかく髪を揺らす。



「…黄瀬君?」

「え?あ…、」



 誰だと認識する前に名前を呼ばれ、反応が遅れた。

 体格と女性独特の高音により性別は判別できたものの、あまり記憶にはない声で、言葉に詰まる。
 徐々にクリアになっていく視界の中、席ふたつ分隣まで近付いた彼女には確かに見覚えがあるのだが、名前が出てこなかった。

 黄瀬を前に賑やかな女子と異なり、大人しく、喋ったこともない。
 標準より少し小さめの身体に、漆黒のストレート。
 制服も校則通りに着こなしている、見るからに真面目な模範生だ。
 下手をしたら一年間何の関わりもなく過ぎてしまうのではないかと思うほど、黄瀬の彼女に対する認識は薄かった。

 そんな彼の思考を読み取るように、控えめな笑みが空気にとけ込む。



「飴凪雅です。まだクラス替えして間もないもんね」



 同じクラスになったの、初めてだし。

 やんわりとはにかむ彼女に、無駄な罪悪感が胸に引っかかった。

 カタン。
 言葉のでない黄瀬の見守る中、静かに睫毛を伏せて自身の席から椅子を引き出す。



「期間中は部活もできなくて退屈だね。身体鈍るでしょ」

「そうなんッスよー。テストとかどうでもいいのに」

「赤点とると問題なんじゃない?」

「う…。まあそうッスね、ちょっと…」



 痛い質問に気まずそうに語尾を濁したのち、思いついたように話題をそらした。



「えっと、飴凪さん、は…」



 チラリと見やると、机の中に手を突っ込みゴソゴソと何かを取り出している。
 擦れるビニール音は複数の包みを予想させた。

 その視線に応えるように、雅は机から引っこ抜いた手に掴んだ物を掲げてみせる。



「私は忘れ物。やる気の元」

「………、飴?」

「うん。これがないと口が寂しくて集中できないから。…こっそり授業中も食べてたりする」

「マジッスか」

「内緒ね」



 悪戯っぽく歯を見せる姿に、意外そうに瞬く。
 真面目の塊のような彼女からは想像もつかない告白に、何となく親近感が沸いた。
 きょときょとと睫毛を鳴らしていると、何を思ったのか。

 考え込むように黄瀬を見つめた雅は、方向転換をするなりカツカツと彼に歩み寄る。
 ツイと差し出された手に反射的に受け皿の形をとれば、白い指先から色とりどりの包みがこぼれた。



「おっと…ってあの、ちょっと…?」



 突然のことに情報処理が追いついていないのだろう。
 手元に残る飴玉達を前に疑問符を飛ばす黄瀬に対し、席へ戻るべく既に背を向けた雅が声で笑う。



「お裾分け。なんか気分落ち込んでるみたいだけど元気出してね」

「…分かるんスか?」

「んー、何となくだよ」

「まあ憂鬱は憂鬱ッス。このあとモデルの仕事が入ってるんだけど、なんか乗り気じゃないっていうか…」



 思考を形にし終えてから、ハタリと我に返った。

 今日初めて会話を交わしたような子に話す内容ではない気がする。
 そもそも相手には関係のないことだし、どうせ適当に言いくるめられて、頑張ってと締められるのがオチだろう。
 話すだけ、無駄だ。

 そんな黄瀬の考えを余所に、雅の唇が動いた。



「…じゃあ、−サボっちゃったら?」

「そうッスね…、…え?」



 あまりにサラリと流れる台詞に、綺麗に受け流してしまいそうになる。
 片耳から出かけた音を慌てて封鎖して情報処理を行っていると、手助けするように補足がついた。



「乗り気じゃないから無理する必要ないよ。連絡だけしてそのまま帰っちゃったらいいと思う」



 テスト期間中だし、理由にはなるんじゃない。

 鮮明に脳に伝わる彼女の意見に動揺が生まれる。
 開いた口が塞がらないとはこのことか。
 返ってこない反応に、雅が小首を傾げた。



「どうしたの?」

「いや、なんか意外ッス。なんて言うかもっと真面目な感じが…」

「あはは、よく言われるなあ」



 カラカラとした笑い声に、第一印象が早くも書き換えられていく。

 その有り余るギャップのせいか。
 急速に彼女に興味を持ち始めている自分に蓋をするように、視線を机へと落とした。
 握り締める飴玉を、お礼の言葉と共に手ごとポケットへと突っ込む。



「…モデルの仕事をサボれなんて勧められたのも初めてッスよ」



 総てとは言わないが、近付いてくる異性の殆どが“モデルと付き合っている”というステータスを欲しがっている。

 見ているのは自分などではなく、現在注目を集めつつある“人気モデルの黄瀬涼太”。
 そんな彼女たちがわざわざその仕事を止めてくる理由などない。
 寧ろ背中を押し出して送り出す勢いだ。
 ここのところモデルの仕事に気が進まないのも、そんな現状に反抗したがっているのかもしれない。

 モデルをしている自分ではなく、今の自分を見てほしい。
 価値を、見出してほしい。
 見てくれだけで寄ってこられても響かない。

 そんな心中を見透かしたかのように、淡々とした言葉の羅列が鼓膜を揺らした。



「嫌々やってても誰も得しないでしょ。今一番やりたいことをやるべきだよ」

「!…、」



 思わず顔を挙げると、鞄の中に大量の飴を放り込んでいる雅が映る。
 そんな量を机の中に忍ばせていたのかと突っ込みたい気もしたが、合わない視線が何となく新鮮で、悔しくて、動けないでいた。

 こちらを向いてほしい。
 自分を瞳に映してほしい。

 カタン。

 思わず椅子から立ち上がると、乾いた空気の振動が大袈裟にその場に響いた。



「…飴凪さん、今度部活見にきてくれないッスか」

ごめん、無理

って即答!?



 まさかここまであっさり断られるとは思っていなかったのか。
 明らかに沈む黄瀬の様子をチラリと見やると、緩やかに鞄のチャックを閉じながら理由を連ねる。



「悪いけど人多いとこ苦手なの。女の子の歓声って結構頭に響くし。何より平和に過ごしたいから正直なところあまり黄瀬君と話してるところは見られたくないんだよね」

「…結構ズバズバ言うタイプだったんスね」



 迷いもなく語られた内容に、最早驚くべきか落ち込むべきか、脳が判断に迷い始めた。
 いっそのこと清々しいかもしれない。
 予想外の返答続きにどこか楽しみを感じている自分に、無意識に瞳を細めた。

 鞄を肩に滑らせる姿が目に入り、明確な寂しさが胸につっかえる。
 引き止める理由も術も思いつかず、意味もなく窓へと視線を投げるが、ふわりと鼻腔を擽った香りに引き戻された。
 考えるまもなく腕を攫われ、掌に触れる感触。

 瞬間的に目を向ければ、先程貰った飴玉達の倍ほどの大きさの包みが2つ乗っかっていた。



「…へ?」

「おまけの大玉。まあ飴しか持ってないけど、お裾分けなら任せて」



 だから、元気出してね。

 振り向きざまの笑顔と緩やかに舞う黒髪が、鮮やかに夕日色とマッチする。
 暫くは頭から離れなさそうだ。

 彼女の軽やかな足音に耳を澄ませながら、手に残る丸い温度を握り締めた。







確かにいつもと違う動きをしたこの心臓の原因は君


(ヘタレなとこは愛嬌あるし、負けず嫌いなとこも推しだと思うよ?)
(誰もいないとこなら話しかけてもいいってことッスよね)


手のひらコロリ、あめだまふたつ。