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 雅は、目覚めてからすぐキッチンへと急いだ。

 本日も隣のシーツの温度は既に冷えており、また先を越されたかと苦く笑む。
 結婚して一緒の寝具を使うようになってから、彼の寝顔を見たことがない。

 旦那より後に寝て先に起きる。
 某曲でも歌われているように、これが理想の妻の姿ではないのだろうか。
 しかし残念ながら、実際は全くの逆だ。

 以前、さり気なく口にしてみた時には緩くゆるく微笑まれた。



「構わないよ。問題にもならない」



 するりと頭をひと撫でした指先と、その一言に完全に甘えきってしまっている。
 一度目覚ましを大量に使ってでも起きるべきだろうか。
 そう思い立った瞬間に頭を振った。

 ひとつでも音が鳴り響けば、確実に、彼の方が先に目覚めてしまうだろう。
 彼の睡眠を妨害しては本末転倒だ。

 ふらつく足取りをしかりながら冷たい廊下を進むと、見慣れた居間が見えてきた。
 ソファーの奥のテーブルに、ほんわり漂う湯気がちらつく。
 芳しい香りも充満しており、珈琲を淹れてくれてあるのだと確信した。
 しかし、当の本人の姿が見あたらない。

 くるりと黒髪を翻したその瞬間に、世界が揺らめいた。



「っ…、−」



 今朝起きた時の眩暈は気のせいではなかったらしい。
 反転する視界が、途中で動きを止める。

 代わりに、肩と背中に先ほどまではなかった温もりを感じて瞬いた。



「−大丈夫かい?」

「…征十郎、さん」



 おはようございます。
 そのままこてりと頭を倒した雅に、背後から彼女を支える赤司も笑みを返す。



「ああ、おはよう」

「今日も早いんだね」

「少しやることがあってね。それより、顔色が優れないな。疲れているんじゃないか?」



 ぺたり。

 不意に額に触れたひんやりとした温度に、彼との体温差を知った。
 じわじわと混ざり合う熱の一体感が心地よくて思わず瞼を下ろすと、閉じた視界の中で身体が廻る。



「わ…!?」



 ゆったりと傾いていく体重と、適度な浮遊感。
 慌てて瞳を開いた先には直ぐそこに赤司の顔があり、反射的に焦点をずらした。
 何とも心臓に悪い。

 乱れた呼吸を整えながらも横抱きをされている現状を理解するが、降ろしてもらおうにも身体が言うことをきかなかった。
 この状態では変に抵抗する方が迷惑をかけるに違いない。
 そう悟って大人しく身をゆだねる雅に、赤司は密かに笑んだ。

 ソファに到着するなりそっと彼女を座らせると、予め入れておいた珈琲をその手に渡す。



「今日は特に用事もないし、仕事も休みだろう?ゆっくり休むといい。昼に一度帰ってくるよ。それまでに何かあったら連絡するようにね」



 穏やかな双眼に自分が映るのを見て、胸がじーんと暖まると同時に、居たたまれなくなった。

 昔から、大事にしてくれるのは変わらない。
 ただ、彼はあまりに完璧で、弱さを見せようとはしないから。
 自分ばかりが頼って甘えて、何も返せていないのではないかと苦しくなる。

 カップを持つ白い指先に力が入るのを見届けると、赤司の瞳は優しさを増した。



「…雅、」

「はい?」

「キミはもう少し自信を持っていい」

「…うん、ありがとう。でも、征十郎さんは自分の時間をもっと大切にして?」



 財閥の息子である彼が、わざわざ自分との生活の為に、こうして一軒家を設けてくれているのも。
 働きたいという意見を尊重してくれたのも。
 目が回るような仕事後も真っ先に帰ってきて一緒に過ごしてくれるのも。
 籍を入れるだけでも、親族からどれだけの反対や反発があったかなど、想像に容易いのに。

 溢れんばかりの愛情に嬉しさを感じると同時に、彼の負担になっていないかと、同じだけの不安にも見舞われる。

 手元の揺れる漆黒から、視線が動かせない。
 俯いたままの雅の耳に、不意に空気の揺れが伝わった。
 彼独特の、静かな笑いのこぼし方。



「−君は毎日尽くしてくれている、一番の支えだ。心配するのは当然だろう?」



 あまりに柔らかい音の侵入に、無意識に何かが込み上げる。

−ああ、好きだ。
 どうしようもないくらいに、私はこの人の全てが。
 例え、世間から見てどれだけ不釣り合いでも。
 この人の隣に、居続けたい。

 処理しきれない気持ちが要領の限界に達し、パンクを避けるべく、身体が対応策を投じた。
 みるみる滲んでいく視界を、止める術は思いつかない。



「…っ、ごめんなさい」



 涙など、彼を困らせるだけだと分かっているのに。
 ふう、と息を吐いた気配に、微かに肩が震えた。

 呆れられて、しまっただろうか。



「…本当は帰ってからにしようと思っていたんだが、丁度いいか」

「え?…」



 意味深な言葉にゆるりと視線を向けるが、一瞬、何もかもが吹っ飛んだ。

 眼前に迫っていたのは、ペンギン、らしき生き物。
 ペンギンだと言い切れないのは、ふくよかすぎるほっぺや、どこからともなく生える耳や、はたまた少女マンガのような煌びやかな瞳のせいか。
 そもそも、ペンギンには五本指などあっただろうか。

 人間臭いその両手にはしっかりとティッシュが握られている。

 なるほど、何とも斬新なティッシュボックスだ。
 お陰で、瞳の潤いの元はすっかり引いてしまった。

 そもそも、こんなサイズの物をさっきの一瞬で一体どこから出しましたか。



「あの、これは…」

「?この前ショッピングに行ったときに君が見ていたから買ってみたんだが」



 気に入らなかったか?

 微かな困惑の色がチラつく珍しい表情に魅入られながら、記憶を辿る。
 確かに、先日二人でショッピングに出て、何カ所か立ち止まった。
 しかし、残念ながらこんな奇抜な生き物を物欲しそうに見詰めた覚えは、ない。

 ただ、見覚えがあるのは確かだった。



「…これの…横のクッションを見ていた、覚えなら」

「…」

「…、」



 ペンギン擬きとお互いの顔を、交互に行き来する。

 一通り繰り返したのち、二人同時に吹き出した。








ふたり一緒なら何もかもを愛せる、そんな気がするんだ


(決めた、精一杯で隣をキープする覚悟)
(誰が何と言おうと、自分の意見を変えるつもりはないよ。オレには君が必要だ)


スプーンがなくても、すくえるわ。