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花宮が玄関の扉を開けると、いつも通り律儀なお出迎えがあった。
周りの音、雰囲気、環境と、様々なことに敏感な彼女ならではだ。
恐らく自動車の音などで反応しているのだろう。
にこりと控え目なはにかみと共に、鞄に白い手がのびた。
「花宮君お帰り」
「…いい加減慣れろよ」
オマエも花宮だろーが。
呆れたように溜め息を漏らすと、雅は受け取った鞄を両手に抱えつつ前髪を揺らす。
「うーん、外では意識して直してるんだけど」
「こっちでこそ意識するべきだろ」
「そうだね、気を付ける」
なんて言いながらも、二人きりのときに彼女が花宮の下の名前を口にしたことなんて、五本指で足りる程度だ。
少しムッとした表情を作ると、踵を返そうとする彼女の腕を引いて、バランスを崩しかけた身体をそのまま引き寄せた。
それに対し特に拒否もなく、されるがままにその胸に耳を押し当てる。
彼からの突然の抱擁は、別に珍しいことでもない。
−花宮真という人間は、その非道とも言える性格から常に冷静淡泊邪道などといった印象を周囲に抱かせていた。
実際に、彼の思考は一般的には酷く湾曲しているものであったし、言動もその本性を知る者からすれば、“ゲス”と評価せざるを得ないものだ。
そもそも、大抵の人間−興味の対象となり得ない者には関心すら示さず、偽りの対応で済ませることが殆ど。
己と対照的な信念の者には嫌悪を滲ませるが、裏を返せば、本質的な対応で関わるということだ。
その上で一度懐に入れた相手であれば、何を代償にしてでも優先して尽くす。
そんな彼は、主に言葉ではなく行動で伝えるタイプだったと、それだけの話だった。
付き合って間もない頃、その事実に触れて驚いた雅が冗談で「花宮君は、むっつり?」なんて聞いてしまった暁には、三日間程全く触れてこないなんて事件も起きた。
プライドは高いが、思うより繊細だったらしい。
学生時代の知り合いが知ったらあらぬ方向を向くか、爆笑するかの二択か。
想像して思わず口元を緩く崩した雅の思考を、不意に肩に置かれた手が引き戻した。
「…おい雅、今日何かあったか」
いつもより少し低めの音に、どきりと背筋が強ばる。
「え?何も…」
「ふはっ、相変わらず詰めが甘いんだよ。隠すつもりなら徹底的にやれよな」
「いや、何のことかさっぱり…」
視線が泳いでいるという自覚は、全くないのだろう。
昔からバカ正直なとこは相変わらずだと、愉しそうに唇を歪める。
その素直で穏やかな性格からあまり知られていないが、彼女はこう見えて割に頑固で論理的だ。
物理的な証拠を突きつけないと、認めないし納得しない。
しかし、その分野は花宮にはお手の物。
既に知り尽くしている彼女の癖のひとつを、分かり易い証拠として指摘した。
「−寝癖、ついたままだバァカ」
「…あ。」
基本的には動いていないと落ち着かない雅は、考え事や悩み事に直面すると、普段の動きが嘘のように活動を停止する。
つまりは、ふて寝だ。
そして大概は、それはこっそり行われる為、気づく者は花宮以外にはいるかいないか程度だ。
家族なんかも、ただの仮眠としか捉えていないかもしれない。
自然な流れで華奢な身体を解放するが、当の本人は示された寝癖部分をゆるく抑えつけながら、もにもにと唇を開いたり閉じたりしている。
「未だにオレに隠し事が通用すると思ってんのか。まあとりあえず話せよ」
「…ハイ」
リビングへの扉を開いて視線で促すと観念したのか、僅かに肩を落ち込ませる姿。
さて、大事な人生のパートナーを追い込んだ原因には、どう責任をとってもらおうか。
慈愛を込めて雅の黒髪に触れながら、ゆったりと瞳を細めた。
アナタのためなら何でもござれ。
(花宮君の眉毛の可愛さについて考えてたなんて言ったら一週間くらい喋ってくれなさそうだよなあ…何をどうでっちあげよう)
(オレといる限り何も悩む必要ねぇんだよ)
問題です、可愛さ余って笑い何倍?
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