◇
ポツリポツリと灯る電灯を頼りに、雅は足を進めた。
ずらりと並ぶ平屋は、人気を感じさせない。
視界は薄い闇に覆われており、町並み自体が息を潜めているような空気に、息苦しささえ感じた。
今は、一体何時なのだろう。
そわそわしているのを感じ取ったのか、隣の温度が気遣うように足を止める。
「オイ、大丈夫か?」
「あ、うん。虹村君も…平気?」
「おう。やっぱ何も手掛かりねーとなるとキツいな」
「そうだね…」
1人でなかったのが何よりの幸いだった。
こんな状況で孤独であれば、恐らく一歩も動けなかっただろう。
―何せ、突然だったのだ。
部屋の窓から見えた月が綺麗で、直接見ようと外に出た。
それだけ。
しかし、玄関のスライド扉を開けてみれば、そこには見覚えのない風景が広がっていた。
一言で言うならば、昔の町並み。
ずらりと並ぶそれらに呆気にとられて、ふらりと一歩外に出る。
江戸時代にトリップでもしたのかと思ったが、よくみれば自動車がちらほら停まっているし、道は道路と呼べるもので、自動販売機らしいものも視界に捉えた。
近代的なものを感じて一息つくが、それでも家の外の風景が一変するなんて現実的ではない。
どっきりなども頭を過ぎったが、どう転んでも人工的にどうこうできるレベルではないだろう。
とりあえず家の中に戻ろうと試みたが、それは叶わなかった。
後ろに控えていたのは見慣れた我が家ではなく、町並みに溶け込んだ一軒。
慌てて扉を開けようと手をかけるが、ガチャンと何かが引っ掛かる音が漏れるだけに終わる。
それから約五分後、途方に暮れる雅の前に現れたのが、虹村修造だった。
初対面ではあったが、訳の分からないこのシチュエーションでは、共に行動するのに時間はかからなかった。
とりあえず自己紹介を済ませ事の経緯を確認すると、ほぼ同じであることが判明した。
彼の場合は、学校から出たらこんな状態だったらしい。
木造校舎に成り代わったそこも鍵が掛けられており、侵入は難しかったとのことだった。
互いに持ち合わせもなく、手ぶら同然。
とりあえずは探索してみようということで、現在に至る。
こつ。
こつこつ。
歩みを再会しつつ、雅は周囲を注意深く観察した。
夜色に覆われた、謎の町並み。
何かが出現しそうで、心臓に悪いことこの上ない。
気を紛らわそうと、隣に助けを求めるべく口を開いた。
「−そういえば虹村君は何時くらいに此処に来た?」
「20時くらいだ」
「え、それって学校を出たのが20時ってこと?大分遅いね…」
「あー、部活の自主練でな。荷物全部外に置いて体育館の鍵を返しに行ったんだが、それが失敗だった。手ぶらじゃどうにもなんねぇ」
「なるほど、遅くまでお疲れさまでした。そうだね、私も携帯くらい持って出ればよかったかも…」
「ああ。まああったところで使えるかは分かんねーけど、外部への連絡状態とかで現状把握に少しは役立ったかもな。で、オマエが来た時間は?」
「私も多分同じくらいだったと思う」
「そうか。そこまで時間のズレはないみてーだな。とにかく手掛かりが少なすぎる。そもそもオレらだけとは限らないし、やっぱまずはしらみつぶしに情報を集めていくしかねぇだろ」
「うん、…ぇ。」
「と、何かあったか?」
虹村の冷静さとリーダーシップに惚けていた雅だったが、ふと視界にちらついたものに視線が釘付けになる。
暗闇に目を凝らせば、己の腰あたりにぼんやり浮かぶ、顔。
「ひ!?」と反射的に仰け反りそうになるも、横にいた虹村にぶつかる形で止められた。
「っ、ごめんなさい」
「大丈夫だ。それよりなんつーか…不気味な地蔵だなオイ」
「そ、だね」
その感想により改めて見直すと、佇んでいたのは地蔵だったらしい。
暗さのせいで曖昧だが、少し寂れた雰囲気のそれは、恐らく深紅の布を垂らしていた。
しかし、頼りなく引っかかっている赤は今にも首から滑り落ちてしまいそうで、思わずしゃがみ込んで手を伸ばす。
「あ?大丈夫か?」
「え、うん多分…?何となく気になっちゃって」
「中々肝据わってんのな」
「はは」
いえいえ、超恐がりですけど。
中腰で後ろから覗き込む虹村に苦笑を返し、するりと布を取り外した。
結び直すために綺麗に折り畳もうと広げ、そこで、気付く。
角の方に色の変色を見た。
彼も目敏く発見したらしい。
「−悪い、もう少しそこ広げてくれ」
「え!?あ、はい」
背後から大きな手が己の手に触れ、一瞬状況も吹っ飛んでときめいた。
暗がりの中だが状況だけに今までの距離も近かったため、何となく彼の容姿は把握している。
恐らく、完全にストライクゾーンだ。
そんな雅の思考を余所に、じっと布の一部を見つめていた虹村が難しそうに眉を顰めた。
「文字だな」
「…読める?暗いけど」
「ああ、なんとかな。大分この暗さにも慣れてきたわ。…だが、」
「もしかして日本語じゃないとか」
「いや、平仮名だから読める。ただ、意図が掴めねぇ」
「なんて?」
「…『かんみしょもうす』」
「かんみしょもうす?」
「ああ」
何回か口の中で繰り返すが、区切るとしたら漢字変換は、甘味所望す。だろうか。
前髪を揺らして振り向くと、どうやら考えは一致しているらしかった。
「甘いもんが欲しい感じか?」
「多分…、あ。」
「あんのか」
「うん、確か…、あった」
パーカーのポケットに手を滑らせれば、かさりと指に触れる感触。
引っ張り出せば、包装された飴玉が2つ掌で転がった。
「こんなのでもいいかな」
「充分だろ。よく持ってたな」
「糖分は女の子の必需品だから」
少し笑いを含んで、飴を地蔵の前にそっと転がす。
まあ、お供えしたところで何かが変わるとも思えないが、藁にも縋りたいこの心境だ。
お地蔵様お地蔵様、どうかお力添えを。
そんな気持ちで手を合わそうと地蔵に向き直った、その瞬間だった。
ゴリ。
バリバリ。
ボリ…ッ。
「…」
「…」
ボリ、バリ…。
何故か、堅いものを噛み砕くような音が響き渡る。
音の発信源は、あまり信じたくはないが、確実だった。
「…あの、」
「バカ、下がれ」
「…、飴、口に合ったのかな」
「…合ったんじゃねーの?つかもっと下がっとけ飴凪」
グイッと肩を掴まれて、地蔵から少しの距離をとった虹村の背中側に寄せられる。
おう、イケメンですね。
日常で彼に会っていたならば、惚れていたに違いない。
このときめきシチュエーションを楽しめない現状が残念だ。
どくどくと心臓が脈打ち、嫌な汗が背中を伝う。
勇気を振り絞って大きな背中から覗き見ると、まずは飴を備えた場所を確認した。
−ない。
そしてそのまま視線をお顔の方へ。
ばり。
ガリガリ。
「ぅ、わ…」
「異様な光景だな」
無表情な石は、勿論口を閉ざしたままだ。
しかし、確実にそこからは何かを砕く音が漏れており、その対象が先程のお供え物であることは事実だった。
暫くその異質な現実を見守るが、やがてそれは終わりを告げる。
「…あれ、」
「食い終わったか」
ちらりと互いに目配せするが、打って変わって静かになった空間に耐えきれず、どちらからともなく息が零れた。
「…飴凪、その布もう一回見せてくれ」
「え、はいどうぞ」
「サンキュ」
「…何か、変化あった?」
「ああ。文字が増えてやがるな」
「わあ…お地蔵様からってことかな」
「かもな」
「なんて?」
「おら」
覗き込もうとすると、見やすいように腕の位置を下げてくれた。
そんな気遣いにほくほくしながら、布に指先を添えて集中する。
なるほど、確かにこの薄暗さに幾分か目も慣れてきたようだ。
ここだ、と誘導を申し出る虹村の指に従って、瞳を細めた。
「『か、んみ…しょ、もうす』…って、さっきと変わらないんじゃ?」
「いや、さっきのはこっちだ。増えてるっつーことは、飴自体は気に入ったが足りなかったんじゃねーか?」
え、中々食欲旺盛だなお地蔵様。
思わず視線を流すが、変わらず澄ました顔で沈黙を保っている。
「んー、でももう手持ちはないし…」
「買えるとこがあるかも不明だからな」
「もしあったとしてもお金ないもんね」
「まあ探すだけ探してみっか。どうせ手当たり次第だしな、他にめぼしいもんが見付かるまで、」
ごとり。
虹村の言葉を遮るように、音が、した。
そのまま重いものが転がるような音が空気を振動させる。
何だか嫌な予感しかしない。
恐る恐る首を回せば、足下でこちらを見上げる、顔。
否。
地蔵の、頭。
「っお地蔵さまぁあああ!」
「うお!」
「虹村君お地蔵さまがぁあああ」
「分かってっから、落ち着け」
「いやぁあああ祟られるぅううう」
「おいコラ飴凪、」
「分かんない!対応の仕方が分かんないっこれはどうすればいいの虹村君!?」
「知るかとりあえず落ち着けってんだろーが!」
べし。
額に軽い衝撃が走り、我にかえった。
地味に痛い額を抑えて、呆ける。
だから言ったのに私超恐がりなんですってパニックになるんですって何これ冷静になると凄く恥ずかしい煩くしてごめんなさい。
固まる雅に何を思ったのか、虹村はバツが悪そうに頭を掻いた。
「…あー悪かったな、ついいつもの癖で。手加減はしたつもりなんだけどよ、」
やっぱ痛かったよな。
ぽんぽんと頭に乗せられる手に、慌てて顔を挙げる。
「あ、違うくて!全然大丈夫だから。寧ろ止めてくれてありがとう。昔から怖さが限界超えるとパニックになっちゃって…」
「まあ、これは誰でもびっくりするわ」
溜め息とお供に下に向けられた視線を辿れば、再び恐怖とご対面だ。
地蔵の頭だけが、じっと此方を見上げている。
少し離れた本体を確認すると、やはり胴体だけがお留守番状態だった。
何これなんてホラー。
「…これは、戻すべき?」
「ああ。その方が無難だろーな」
「じゃあ、」
「待て。オレがやるからそのままじっとしてろ」
地蔵にのばした手を掴まれてきょとんとしていると、自然な動作で地蔵の頭を持ち上げた虹村が胴体の方へ踏み出す。
うむ、イケメンである。
別の意味で速くなった左胸の鼓動を手で押さえつつ、その後ろ姿を見守った。
しかし、それから十秒弱。
腕に地蔵の頭を抱えたまま動かない姿に心配が上回り、彼の背後に忍び寄る。
「…おめー言うこと全く聞く気ねぇだろ」
「いや、やっぱり離れない方がいいかなって」
「それも一理あるな。で、これはどう見る?」
「えっと…うん?」
呆れたような声色に迎えられるが、間もなく示された部分に首を傾げた。
頭との接合部分−胴体の上に、コインらしきものが乗っている。
躊躇なくコインを持ち上げると、隣から非難の声が上がった。
「だからおめーは!無闇に触んじゃねーよ、何があるか分かんねぇんだぞ。怪我でもしたらどうすんだ」
「あ、ごめん。でも大丈夫みたい」
「ったく…。あ?それもしかして五百円玉か?」
「みたいだね」
「…甘いもん買ってこいってか」
「お遣い、だね」
「もしくはパシりだな」
意外に図々しかったお地蔵様。
しかし、それだけのために頭と胴体分離するだなんて、いささか身体を張りすぎている気もする。
どれだけ甘いものに飢えてるの。
そしてどこから湧いて出た五百円玉。
突っ込みどころは満載だが、時間が惜しい。
とりあえずはやれることからやっていくしかないだろう。
「まあ他にやることも決まってねーし。本当に店見付けられたら大きな進歩か」
「だね。でもここら辺にあるのかな」
見渡す限りは平屋と自然しか目に入らない。
遠くの方に目を凝らしていると、隣の気配が動いた。
「…コンビニがあるんだってよ」
「え?」
「おら、ここ」
目の前に浮かんだ顔に一瞬ぎょっとするが、何て事はない。
示されたのは、虹村の手にしていた地蔵の頭。
その、胴体との接合部分だ。
視界の悪さと石という材質の問題もあり、大分認識はしづらいが、確かにそこには文字が堀刻まれていた。
指先でなぞりながら確認すると、平仮名で“こんびに”と辿れる。
「…お地蔵様、中々ハイカラだね」
「突っ込みてぇのは山々だが、今はそんなこと言ってる場合じゃなさそうだな」
「うん。とりあえず、探そっかコンビニ」
「ああ」
ごとり。
お地蔵様の頭を胴体上に降ろすのを見届けると、接合部を覆うように布を巻き付けた。
月の気紛れに付き合いませう?
(とりあえず、一人じゃなくてよかった)
(危なっかしいのはよく分かった)
きらきら、逢いたかったよって。
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