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 ぱきり。

 自分の食べていたポッキーの割れる音が、ひどく余韻を残して耳に残った。
 聞き間違いだっただろうかと笑顔を固めたまま、雅は目の前の友人達を見つめる。



「でさ、『昨日』返ってきた小テストが悲惨すぎて!」

「あー、私もヤバかったよ。今回のは難しすぎっしょ。『今日』の再テストって何点以下だったっけ?」

「えー、80だったかな」

「うっそ完璧アウトだわ。厳しすぎ!ねぇ雅?」

「−…、うん」



 鼓膜を走り抜ける言葉達を必死にかき集めるが、うまく処理ができないでいた。
 そこで初めて、今日の日付を確認する。

 自分の感覚なら、本日は24日。
 緩やかに視線を移した黒板には、女子独特の丸みを帯びた数字で、25と記されていた。
 これだけなら、日直の子が間違えて記載しただけだろうと片付けられる。

 バクバクと脈打ちを主張する左胸を抑えつけながら、手元の携帯に触れた。
 画面表示は、やはり25日。



「…な、んで」



 記憶が、ない。

 まだ彼女達の言う小テストは手元に返ってきていないし、再テストの話も今初めて耳にした。
 ここ最近学校は一日も休んでおらず、授業も真面目に聞いていた筈だ。
 なのに、丸々一日分の記憶が抜けている。

 しかも現在の時刻は昼休みであり、普通に午前中の授業も終えたはずだった。



−何故、今まで気付かなかった?



 午前中の授業内容や時間割も不思議に思わなかった。



−何故、私だけ?



 だってみんな当たり前のように過ごしている。



−私が、おかしいの?



 ここで尋ねたら、変な目で見られるだろうか。

 繰り返される自問自答。
 急激に押し寄せた違和感達に、思考と感情が追いつかない。
 知らない未来事をさも当然のように話す友人達を、ただぼんやりと瞳に映した。

 私は、“此処”にいるべき存在?



−不意に、視界いっぱいに影が落ちた。



「ねぇ、そのポッキーちょうだい」

「はい?え、あ…む、紫原君?」

「うん。なんかぼーっとしてるけど大丈夫ー?」



 ひょい。

 大きな手が伸びてきたかと思うと、雅の持つ箱からざっと五本程度の束が引き抜かれる。
 いきなりのクラスメートの介入に吃驚して動けないでいると、そのやり取りに気付いた女友達が笑いながら紫原を小突いた。



「ちょっとー、アンタにぼーっとしてるとか言われたら終わりよ」

「大体取りすぎ取りすぎ。雅まだ返事してないし!流石のこの子も怒るかもよー」

「プリッツもあるけど食べる?」

「えー、飴ちん優しいから怒んないし。くれるんだったら食う」



 のそのそと向けられた背中に、何となくホッとして息を吐く。

 とりあえず、一旦頭を冷やして状況を整理しよう。
 もしかしたら本当に自分の勘違いなのかもしれない。
 ひとり頷いた雅は、出来るだけ音を立てないように腰を上げた。

 しかしそれを見計らったかのようにラベンダー色が揺れる。



「あれー、どっか行くの?」

「…ちょっと、お手洗いに」

「お、雅トイレ?もうそろそろ予鈴鳴るし急いで行ってきなー」

「ありがと、そうする」



 にこりと万人受けする笑みを落として踵を返した雅の後ろ姿を、気怠げな双眼が見送っていた。








「…ううん、やっぱりおかしい」



 廊下の曲がり角の壁にて、階段を背後にした雅はぽつりと呟いた。

 手元には愛用している和風柄のミニ手帳。
 小さいながらもカレンダー搭載のそれは使い勝手がよく、重宝している。
 雅はその日の終わりに一言日記を付けているため、間違いようもなかった。
 昨晩の記録にもしっかり残っている。

 “今日の小テストは中々の手応え山が当たった。明日の午後はテスト返し(^-^)v”

 にこやかな顔文字付きの文が書かれているのは、23日の日付欄だ。



「今日は、24で合ってる」



 先程友人達が話していたテスト返しも、本来なら午後の授業−今からの筈だった。
 そうと分かれば教室に戻りさえすれば全てハッキリする。

 もしかしたら違うテストの話を聞き間違えたのかもしれない。
 携帯の画面表示も小さい設定だった為、見間違えた可能性だって否めない。

 無理やり自分を納得させたのち、意を決して大きく一歩を踏み出した、その瞬間−。



「−っ……え?」



 一瞬、世界の色が褪せた、気がした。

 振り出した足が地面に接地した時には何事もなかったかのように空気が動く。
 煩い心臓に気づかない振りをして、教室の方向に身体を向けた。
 耳に届く予鈴が、やけに遠くに聞こえる。

 どれくらいそうしていたのか。

 ぱこん。
 小気味のいい音と、唐突に後頭部に乗せられた軽い打撃に、雅は我にかえった。



「何突っ立ってんだ飴凪ー。予鈴聞こえただろ。もう授業始まるぞ」

「…先生、」

「暇ならこれを持っていってくれないか。もう教室行くだろう?」

「あ、はい」

「悪いなあ、忘れ物とってくるから」



 次の教科担当の教師に手渡された束を、抵抗もなく受け取る。
 そのプリント達に連想したのはテスト返しだったが、採点済みの答案用紙を生徒に預けるのは些かプライバシーに欠けている気がした。

 だったら何だと手元に視線を落として、固まる。



「せ、先生…」

「ん?」

「あの、プリント間違えたりしてませんよね?」

「何言ってんだ、失礼な。俺はそこまで年じゃないぞ」

「いえそれは承知してますが…」



 ちらりと再度確認するが、見える物は変わらなかった。

 適度な重量と共に腕に抱えるのは、見覚えのある問題が並ぶまっさらな答案用紙。
 見覚えがあって当然だ。
 自分にとっては昨日、解いたばかりのものなのだから。

 水分不足の唇を舐めて、焦る思考回路を抑制した。
 全く同じ問題を持ってくると言うことは、再テストを授業中に行うということだろうか。
 そうすると、やはり今日は25日なのか。

 震える喉を叱咤して、笑みを取り繕う。



「…えっと、今日は再テスト、ですか?」

「は?おいおいもう気持ちは再テストなのか?気が早いぞ飴凪。諦めずにまずは本テストで頑張れよ」

「……え、…あ……はい?」



 呆れたように笑う男性教師の言葉に、今度こそ思考がショートした。

 本テスト?
 全く同じ問題で?
 そんな馬鹿な。

 しかし、冗談を言っているようには見えない。
 血の気が引く。
 爪先から、冷えていく。

 温度をなくした指先を無機質な紙束の下で握り込みながら、雅は最後の希望に縋りついた。



「…すいません先生、今日って、何日でしたっけ?」

「え、本当に大丈夫か。今日は…−23日だろ?」

「−っ−−」



 容赦のない答えに、白が、頭の中を塗りつぶす。

−分からない嘘だウソだうそうそうそ何でどうして解らないよどうなってるの馬鹿じゃないの私がおかしいのみんながオカシイの誰かダレか助けてよ教えて助けてたすけてたすけ



「−落ち着いて」



 耳元に、温度が落ちた。

 とても静かで、はっきりと体温を感じる音。
 真っ白だった脳内に、色彩が戻る。
 背後からじわじわと伝う温かさに、視界までジワジワ滲んだ。

 歪む世界で記憶に新しい問題式を睨んでいると、後ろに控えていた気配が隣へと移った。



「すいません先生。彼女、朝から調子悪そうで…やっぱり心配なので保健室に連れて行きます」

「ああ、そうなのか。大分体調悪そうだしな、そうしてやってくれ…氷室」

「はい」



 心配そうに眉を寄せた教師が「ゆっくり休んでこいよー」と腕からプリントを攫って去っていく。

 その足音が遠くに消えても、雅は顔をあげることが出来なかった。
 パニック状態からは抜け出せたが、まだ状況は全く飲み込めていない。
 次はどんな未知が襲ってくるのかと考えると、怖かった。

 そして、その展開を保持しているであろう人物は、既に横に佇んでいる。
 何故か、彼はただ者ではないのだと、そんな確信があった。



「…〜、」



 ぐっと唇を噛みしめていると、柔らかい声が降りかかる。



「…飴凪雅さん、で合ってるかな」

「………はい」

「そんなに警戒しないで。と言っても今の状況じゃ難しいだろうけど。とりあえず、ここじゃゆっくり話せないし、移動しようか」

「…はい」



 そっと背中を押され、誘導されるがままに進んだ。

 警戒心が解けたわけではないが、現状では恐らく、この人に頼る他ないだろう。
 そっと見上げると、右目が優しげに細まった。
 泣き黒子も相まって、クールビューティ系の端正な顔立ちだ。

 どこか見覚えのある彼にそっと首を傾げるが、その疑問はすぐに解決する。



「あ、室ちんみっけー」

「敦…遅いぞ」



 つい先程も耳にした、間延びした喋り方が空気に混じった。
 授業はどうしただとか、もうこの際は置いておく。
 呆れたように溜め息をつく氷室の隣に紫原が並んだ瞬間に、思い出した。

 そうだ、この人はよく教室に紫原君を訪ねに来ていた…−。



「ごめーん。もらったプリッツが中々新しい味だった」

「また菓子か。まあ、“未来”から“過去”への移動の方が時間もかかるしね」

「そうそう。つーか、やっぱり飴ちんが“迷子”だったんだー」

「…まいご?」

「ああ、それは今から彼女に説明するところなんだ」



 この短時間で、既に理解量を超える言葉が行き来している。
 真顔でぐるぐる瞳を回し始めた雅に、氷室は困ったように微笑んだ。



「そうだな…折角全員揃ったことだし、とりあえず“現在”に戻ろうか」

「りょーかい、飴ちんはぐれないようにねー」

「は、…え?」



 二人の台詞を理解するより先に、両側が温度で固められる。

 訳も分からぬまま、脳を揺さぶるような浮遊感に意識が途絶えた。







迷子、無事に確保しました







「−…すいません、意味があまりよく…」



 24日現在、雅の弱々しいソプラノが、保健室内の空気を揺らす。

 目覚めた彼女を待っていたのは、少々どころか明後日の方向までぶっ飛んだ展開だった。
 こめかみを抑えて唸る姿を労るように、氷室が言葉を追加する。



「いきなりこんな事を言われて戸惑うとは思うけど、オレ達はキミを助ける為の存在だから」

「氷室先輩…」

「とりあえずは、“原因”となっている人物探しからだな」



 口元に手を当てて思案する氷室を、不安に満ちた双眼で見つめた。



−彼の説明からすると、現在自分は“迷子”になりやすい状態にあるらしい。
 一般的に言うそれならば、何となくで頷いてしまったかもしれない。

 何と言っても、幼い頃から集団からはぐれて孤立するのは大得意だ。
 昔から引率者泣かせで一番目を光らされていたが、実は今でもそれは変わらない。
 しかし、今回伝えられた迷子とは一般的なそれではなかった。

 くらくら揺らぐ思考の中、氷室の落ち着いた音が鼓膜から侵入する。



「まあ幸い明日から連休に入るし、オレ達が近くにいる以上は“時間の波”に呑まれることはないよ」

「…はあ」

「ただ、手掛かりなしでの捜索は時間がかかるんだ。少しでも思い当たりがあれば、教えて欲しい」

「えっと…、」



 先ほどの説明を思い出しながら、記憶の海を見渡した。

 本来、滞在時間がこんなに急速にずれるなんてことはありえない。
 それを可能にしているのは、過去を酷く強く変えたがっている思念であり、今回はその誰かの想いが雅を対象として働いているらしい。

 他人の時空間に影響を与えるほどの思念を持つ人物は、危険人物としてマークしていかなくてはならない。
 今回、“時空間管理専門警察官”と名乗る彼らが知りたいのは、そんな特定の人物だった。

 …そんな非現実的な。

 しかし氷室の質問に応えようにも、やはり集中できずに疑問に戻ってしまう。
 中々状況を呑み込めない彼女に痺れを切らしたのか、今まで黙って傍観していた紫原がのそりと空気を動かした。



「あのさー、飴ちんだって時間が早く過ぎてほしいとか止まっちゃえばいいとか思うでしょ」

「…うん。でも結局思い通りにならないことが多いけど…」



 早く進んで欲しいときは中々針は進まないのに、楽しい時間はあっと言う間だ。
 無意識的に苦笑いを浮かべる雅に、頷いた氷室が付け足す。



「それは、キミの念より他の人達の念が勝った時の感想だよ。時間は強い電波に引っ張られる傾向にあるからね」

「なる、ほど。つまりは多数決みたいなものですか」

「そう、実は時間の引っ張り合いは日常的に行われているんだ。今回はそれの超強化版ってところかな」

「はあ…」



 よく分からないが、とりあえず非現実的なことに巻き込まれたことだけは理解した。





時間と私と、君アナタあの人。





(でも、私との過去を変えたがっている人って誰だろう)
(そっこー見つけて捻り潰す)
(珍しく敦がやる気になっていると思ったら、そういうことか)