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 シトシト。

 雨の粒が硝子を伝う。
 折角の休日だが、生憎この季節は外に出る気力も完封されてしまう。

 自室のテーブルにうなだれながらぼんやりと雑誌の文字をなぞっていると、背後から手元のポッキーが横取りされた。



「…パープル君、無断で人のものをとるのはどうかと思うよ?」

「え〜、いいじゃん。減るもんじゃないし」

「いや減るからね普通に」



 ジトリと視線を投げた先には、あっけらかんと奪ったポッキーを消費する顔馴染み。
 眠そうな目は相変わらずだが、止まることをしらないその身長は最早、標準より小さい自分の首への嫌がらせとしか思えない。

 ひとりにょきにょき成長しやがって。

 彼−紫原とは特別家が近いわけでもないが、親同士が親友ということもあり、昔から一緒にいることが多かった。
 気がつけば、互いが暇を持て余す日には同じ空間にいるのが当たり前。
 ただ、どんな関係かと聞かれれば、恐らく二人揃って頭を傾けるだろう。
 そんな微妙な間柄だ。

 特に意味もなく息を吐いた雅が新しいポッキーに手を伸ばすと、長い指が、自分が先に触れたはずの棒をかっさらった。
 思わずこめかみがピシリと反応する。



「嫌がらせかコラ」



 すかさずその腕を掴み、紫原が手にしたままのポッキーにかぶりついた。
 ぱきりと小気味のいい音が空気に揺れ、チョコレイト部分が綺麗に消え去る。
 がっかりしたような絶望的な目の訴えを受けるが、彼女の知ったことではなかった。



「うわー、飴ちん意地悪い」

「君に言われる筋合いはないよ」



 どの口がモノを言っているんだとそっぽを向けば、手元に残ったプリッツ部分を躊躇なく口に放り込んだ紫原がチョイチョイと髪を引っ張ってきた。
 視線だけを動かすと、いつも通りの思考の読めない瞳に己が映る。



「飴ちんさー」

「…ねえ、その呼び方そろそろどうにかなんない?」

「パープル君もどうかと思うけどー」

「いいじゃない、パープルだよ。アメジスト色だよ?私誕生石だから愛着あるの」

「ふーん、ならいいや」



 いいんかい。
 相変わらずの緩さに軽くずっこけながらも、体勢を立て直して話題を戻した。



「で、何だっただろうか」

「ん〜…忘れたからもういいー」

「はいはい了解。また思い出したら言ってね」



−いつものことだ。

 自分から話を逸らして逃げておいて、彼が音を呑み込むとホッとする。
 そして反面、酷く寂しい気分になる。
 そんな葛藤を飽きもせずに繰り返している自分が滑稽に思えて自嘲をこぼした。



「…」

「…、」



 紫原との時間は彼の性格を反映しているのかと思うほど、やたらゆったり流れる。
 それも、彼と過ごす理由のひとつかもしれない。

 さて、と。

 読みかけだった雑誌の存在を思い出すなり意識をそちらに引き戻すが、同時に別の存在がそれを拡散させた。

 ぺとり。
 背後から被さった温度と重みに、しばしの無言の後ゆるゆると雑誌を閉じる。



「…暑いんですが」

「んー」

「重いし」

「んー?」

「髪くすぐったい」

「んー…」

聞け。私を潰す気か巨体め」



 背中側から覆うようにひっついてきた紫原に抗議の声を挙げるが、恐らく退く気は皆無だろう。
 魂ここにあらずの返答に早くも諦めの溜め息をつくと、ポッキーをひっつかんで肩口へと持っていった。
 怠そうに肩に置かれた額が浮き、次の瞬間にはサクリサクリと短くなる棒菓子。

 彼の口へと消えるポッキーを見送りながら、雅はゆったり口元を崩す。



「…ねえ、強いとこ入ったんだって?」



 主語はなくても、充分だったらしい。
 すべてを平らげたのち、大きな身体がモゾリと身じろぎした。



「あー、うん。メンドイけど誘われたし」

「どう?」

「…別にー。まあ暇つぶしにはなるんじゃない?」

「君にそこまで言わせたら充分だよ」



 小さい頃から有り余るほどの才能を持ち合わせていた幼なじみに、瞳を細める。



『絶対楽しいよ!あっくんは背高いしバスケ向いてるって』



 初めはほんの軽い気持ちで、ただ楽しさを共有したくて、首を傾げる彼を引っ張りこんだ。
 紫原にとっては何となくで始めたスポーツだ。
 恵まれた体格と天性のセンスで苦労なく勝てたが故に、のめり込める理由がなかったのは知っていた。
 だからこそ、逆に“バスケしかなかった”自分のことを、どこか敬遠しているのも感じていた。

 でもやはりそれだけ近くにいただけあって、雅のバスケへの想いの強さを誰よりも理解していたのは、彼だった。



『…ムラサキ、固まりすぎ。大丈夫だよ、バスケから完全に離れるわけじゃないんだし。マネジャーなりトレーナーなり、選手じゃなくても関わり方なんていくらでもあるんだから』



 いつかの病院のベッドの上、空笑いを張り付ける自分に向けられた表情は、どんな感情を孕んだものだったか。
 ただ強がって周りもろくに見れていなかったあの時の記憶は、あまりに曖昧すぎた。
 ただ覚えているのは、向けられた背中と、残された大量のお菓子の山。

 そして理解したのは、拍車をかけて封印してしまった、彼の情熱。
 気付いた時には、もう遅かった。
 自覚があるかは不明だが、彼には“熱血”に対しての明らかな拒否が生まれていた。


−雅自身、バスケに対して特別な才能があったわけではない。

 ただ好きだという気持ちだけで必死に練習した。
 試合で負けそうになっても適わないと理解しても、諦めずにくらいつく。

 無意識下で密かにその姿に魅せられてきた紫原にとって、雅とバスケが引き離された今、彼女と重なるような選手は目障り以外の何者でもなかった。



「…今度試合観に行ってもいい?」

「やだ」

「うん、即答デスネー」



 あちゃー、と眉間を抑えながら反応を窺う。
 自惚れるわけではないが、彼の現状が自分の招いた結果だという確信はあった。
 それならば責任はとらねばならない。



「いいじゃない、本気見せてよ」

「やだってばー。飴ちんしつこい」

「んもー、なんでそこまで嫌がるかなー」



 いつの間にか首もとに回ってきた両腕に、指先を添えてみる。

 ここまで互いの体温を感じたのは、何年ぶりか。
 その“いつか”とは較べようもない、すっぽりと収まってしまうほどの体格差。
 彼からすれば、大きめの縫いぐるみでも抱き締めているような感覚なのかもしれない。



「パープル君」

「…」

「むらさきー」

「…」

「紫原君?」

「…」



 子供か。

 無言を決め込む紫原への反抗として彼の頭の乗っている方の肩を跳ね上げてみるが、無抵抗に浮き上がったのち、再び定位置に戻る。
 ここまで無視を続けられれば、流石にカチンとくる。

 やけになって、長年封印してきた呼び名を引っ張り出した。



「…、−あっくん?」



 ぴくり。
 僅かに弛んだ上肢の力に、まさかの効果有りかよと1人突っ込む。
 いつから呼んでないんだっけか。

 懐かしい響きを吟味していると、前に回っていたはずの片手が動き、ポムポムと頭を刺激した。



「…飴ちん、この歳でその呼び方はないわー」

「ほう?その言葉そっくりそのまま返そうじゃないか紫原君」



 ぱしりと頭部に乗る重みを払いのけながら、足に力を入れて後方に体重を移動する。
 形成逆転。
 もたれられる側からもたれる側になるなり、仰け反るように紫原を見上げた。

 びくともしない身体と動揺のみられない表情に、少しだけ膨れる。



「…まあいいや。観に行くのは暫く我慢する。その代わり、本気になりそうな時がきたらその場でちゃんと呼んでね」



 駆けつけるから。
 ちらりと覗く彼女の八重歯を見つめながら、緩く髪を揺らした。



「飴ちんはテレパシーでも使えんの?」

「パープル君とは以心伝心」

「…ま、気が向いたらねー」



 その返答に満足そうに頷いて、するりと長い腕からすり抜ける。
 追いかけてはこない体温に拗ねたように息を零すが、そのまま動かない紫原に顔を傾けた。
 呼びかける前に、少し低めの音が肌を掠めて鼓膜を揺らす。



「…飴ちん」

「ん?」

「急に離れたら寒い」

「−はいはい」







ずっとそのままでいてねまるで子供な私のヒーロー


(嬉しかったよ。変わらず側にいてくれたこと、バスケを続けてくれたこと)
(…何となく室ちんには会わせたくない)

求め求められ、体温。