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 キャンパスを前に、雅は首を捻った。
 どうも筆が乗らないと真っ白な平面と睨めっこをする。
 出展祭も近いのに、全く作品が進まない。

 何かいいモチーフでもないかと、ぎしりと椅子を鳴らした時だった。



「−…ん?」



 視界の端で何かが動いたような気がして、頭を傾ける。
 ゆっくりと窓の外へと視線を動かした雅は呆気にとられた。


−何アレ。


 窓枠からひょっこりと生えたソレに、怪訝そうに眉を寄せる。
 雪色の長い、モフモフ。

 雅の目を奪うその物体は、うさぎの耳以外の何者でもなかった。

 普通なら固まるなり騒ぐなり、真相を確かめるなり、様々な対処のパターンがあっただろう。
 しかし飴凪雅というこの少女は、それらのどれにも当てはまらなかった。



「…これだ!」



 嬉々と叫ぶなり、キャンパスを窓側へ向けてペンを持ち直す。
 窓の景色に紛れ込む異質感とその絶妙な同調具合に、瞳を輝かせた。
 しかし構図を考えるために指で窓を作るなり、その窓から逃れるように耳が移動する。



「ああ!?ちょ、動かないでっ」



 慌てて指の窓を耳の動きに合わせてパターンするが、止まる気配はなかった。
 このままでは美術室の窓から消えてしまう。
 そう判断するや否や、音をたてて椅子から立ち上がると窓際へと駆け寄った。

 何とかうさぎの耳に交渉を持ちかけねばと、少し一般とはズレた思考で窓に手をかける。


−ガラッ


「んん!?」



 白いモフモフを見失わないようガン見しながら窓を開けた雅は、今度こそ唖然とした。
 黒髪を揺らして身を乗り出す。



「…何故に?」



 ポカンと口を開ける彼女の前には異質な景色が広がっていた。
 窓を開ける前は、そこには確かに校庭があったはずだ。
 しかし、硝子一枚を取り払った今、雅の瞳に映るものは校庭などではなかった。



−“無”。



 一言で現すのなら、まさにその言葉に尽きる。
 先程まで睨めっこをしていたキャンパスに更に絵の具で白を塗りたくったような、そんな白さだった。
 手をかける窓枠を境に、眩しいほどの白が視界一面を覆っている。

 あまりの光景に目を奪われる雅だったが、ふと鼓膜を揺らした音に我にかえった。



「―あまり乗り出すと落ちますよ」



 落ち着いた心地よいアルトに視線を動かす。
 男の子独特の、しかしそう低くはない音域。

 辿り着いた先は、白に溶け込む白だった。

 無の世界で唯一存在を主張する薄い桃色部分に、その存在を思い出す。
 声の主は、うさぎの耳だった。
 しかし、うさぎが喋るわけもない。

 再び目を見張る彼女の様子に気付くと、うさぎの耳は納得したように揺れた。



「ああ、すいません。身体イメージしとくの忘れてました」

「え…?」



 その言葉を理解する前に、耳は窓枠から離れて雅の視線より高めの位置で停止する。
 耳の下には本来在るはずの頭や肢体は存在せず、二本の耳だけが宙に浮いた、異常な光景が出来上がった。

 こんなモノでさえ、絵の題材にできないかと頭の何処かで思う自分に苦笑する。
 しかし、そこからは考える時間すらなかった。

 するすると白い空間に線が現れ、形を象っていく。
 まるで鉛筆でスケッチするかのように、うさぎの耳の下に身体が描かれていった。
 リアクションをとる前に、更に色までついていく。
 絵の具を塗り付けるようにリズミカルに色が生まれた。

 信じられない現実を前に睫毛を上下するしかなかったが、“完成”した彼がそんな彼女を現実に引き戻す。



「驚かせてすいません。もう少し常識的に伺おうと思ってたんですけど、準備する前に見つかっちゃいました」

「ごめん、常識ってのはどの範囲…?」



 夢心地になってきた雅が悩むように切り返した。
 尤もな疑問である。
 彼女の問い掛けに、その特徴的な瞳が静かにパチリと瞬いた。



「…“アリス”は“白うさぎ”を追いかけて不思議の国に入るのが常識だと思ってました」



 違うんですか?

 こきゅりと頭を傾けたうさぎに、雅もつられて首を傾げる。
 確かに、そのストーリーに間違いはない。
 しかし問題はそこなのか。

 答えは否だ。



「いや、違うくはないけど…もっとこう、根本的な、」



 不思議そうに見返してくる彼に唸りながら、ふと気付いた。



「…待てよ。その流れだと―私がアリス?」

「あなた以外のアリスは知りません」



 さらりと返された言葉に、何とも言えない気持ちになる。
 とうとう雅の脳は深く考えることを諦めた。
 とりあえず、このまま固まっているわけにもいかないと引き気味だった身体を再び乗り出す。



「えーっと、私はこれからどうするべき?」

「ボクと一緒に不思議の国に行く予定です」

「…ですよね。シナリオとかはもうどうでもいいの?ここはやっぱ後から追いかけた方がいい?」



 何故こんな普通に対応しているのだろうかと自分に疑問を持つものの、既に開き直っているという自覚はあった。
 そんな態度を少し意外に感じたのか、一拍置いて返答がくる。



「本来そこまでのこだわりはないんで普通に案内します。要はアリスと白うさぎが不思議の国に入ればいいですから」

「そういうもんなんだ」

「はい」



 軽く頷きながら僅かに口元を弛めたうさぎは雅に手を差し出した。
 少し戸惑うものの、その着ぐるみのような手に自身の手を預ける。
 モフモフとした感触に本物かどうか検証したくなるが、そんな考えは真っ先に消された。

 不意にふわりとした浮遊感に襲われ、気がつけば周りの景色は一変。
 今まで己が存在していた学校の美術室は消え去り、自分も白の世界に放り出される。
 それだけではなかった。

 確かに彼に触っている感覚があるのに、いつの間にか自分の手が見えなくなっている。



「…え!?」



 手だけに収まらず、髪や肢体など、己の身体の一切が視覚で認識できなくなっていた。
 手足を動かしてみても異常なく、動かしている感じはあるのに、そこにあるのは白い空間だけ。
 まるで完全な暗闇の中にいるような−最も色は白であるが−、そんな感覚。

 雅の動揺を感じ取ったうさぎは、落ち着かせるように彼女の頭を撫でた。
 迷いなく頭に伸びた手を見る限り、彼には自分が認識できているらしい。



「慌てなくていいですよ。これがこの世界の原則です。イメージの世界ですから、自分の身体をイメージして下さい」

「イメージ…?」

「はい。紙に描くように、脳内に自分の姿を思い描きます。服とかも自由ですよ」

「まじでか」



 空気を読むならばアリスっぽい服の方がよいのかと、口を結んで考え込む。

 毎日デッサンを繰り返しているのだ。
 雅にとって人間の身体の形をとることなど容易いし、イメージ力だなんて、常に絵の構図を考えている以上、勝手に身につく。
 まさに彼女の為にあるような世界だった。

 視界を閉じて、脳内に準備したスケッチブックに鉛筆を滑らせる。
 顔のパーツから始まり、頭、髪型、四肢、服。
 ひとつひとつを思い出しながら、丁寧にイメージする。

 日々の賜物だろう。
 あっと言う間に自画像が完成した。

 好奇心と不安に圧されながら恐る恐る瞼を上げると、僅かながらも驚きの滲む瞳が映る。



「…想像以上ですね。やっぱりアリスなだけあります」

アリスは関係あるんですか



 突っ込みながらも視界に映った自分の手に安堵の息を吐いた。
 見慣れた、標準よりも少し小さな手だ。
 鉛筆や筆によって出来た指のタコも健在。

 服もうまくいったらしい。

 アリスの服装としてお馴染みの水色を基調とした色合いのワンピースに、ボーダーのハイソックス。
 個人的な好みで、小さな薔薇をあしらったカチューシャ付き。
 雅なりの精一杯のアリスイメージだ。
 想像に忠実な、麻のサラサラした着心地に満足そうに笑んだ。

 こんな世界だったら世の中の女性は両手を掲げて喜ぶのではないだろうかと思案する。

 そこまで考えたところで、先程突っ込んだうさぎの言葉の意図を理解した。
 この世界ではイメージ力が足りなければ、そこにあるのはただの“無”。
 己の存在すらアピールできないのだ。
 主人公であるアリスが認識されなければ物語は進まない。


−だから私がアリスなわけか。


 美術部で創造力も画力も長けている自分はこの世界でのアリスにもってこいなわけだ。
 選ばれた理由に納得するなりここに至るまでの目的を思い出し、ちょいちょいと繋いだ手を引っ張った。



「?」



 頭の整理がつくのを黙って待っていてくれたうさぎが、その行動に対して不思議そうに顔を傾ける。



−ここではそれすら具現化するらしい。

 ふよりと彼の頭上に浮かび上がったハテナマークを反射的に目で追った。
 なるほど、分かりやすい。

 クスリと笑みをこぼしながら、ずっと忘れていた交渉を持ち掛ける。



「不思議の国から帰ってきたら絵のモデルやってくれない?」

「モデル、ですか?」

「うん、さっきみたいに窓から耳だしとくだけでいいから」

「?いいですよ」

「やり!」



 キョトンとしながらも快く縦に振られた首に、嬉しそうに歯を見せた。
 そんな雅に穏やかに瞳を細めたうさぎは、繋いだ手はそのままに、小脇に挟んでいた大きめの懐中時計を目の前に掲げる。



「“大変大変、このままじゃ遅れてしまいます”」



 …棒読みもいいところだ。

 唐突な彼の行動に今度は雅がハテナマークを創りかけるが、それより先に事は進んだ。
 どうやら合い言葉だったらしい。
 彼の言葉に応えるように、時計に刻まれた複雑な模様がゆらりと揺らめいた。



「では、行きますよ」

「あ、はい?」



 一層しっかり握られた手の真意に気付くのと、身体が浮遊感に包まれたのはほぼ同時。
 いきなり現れた黒い円に、うさぎにつられて飛び込んだのである。

 真っ白な紙に落ちたインクのようなそれが俗に言う“穴”だったと認識したのは、重力に引き寄せられ、落ちるという感覚を脳に届けてからだった。



「うっわ…!」

「すぐ着きます。手は離さないで下さい」

「っ了解」



 原作のようにゆっくり周りを物色する余裕もない。
 思ったより強い風圧に、瞳が乾いた。

 やはり何か面白い光景でもあるのだろうか。
 好奇心が勝り、靡く髪を片手で押さえつけながら周りの景色に目を凝らそうとする。
 そんな彼女の聴覚が、あっ、と短い音を拾った。

 何かあったのかと音の発信源である隣に焦点を固定すれば、変化の少ない、しかしどこか愛嬌を感じさせる顔にかち合う。



「言い忘れてました。“白うさぎ”の黒子です」



 よろしくお願いします。
 ぺこりと動いた耳に、堪えきれず笑い声が飛び出した。



「私は“アリス”の雅です」







物語は突然に(礼儀正しい白うさぎ、どうか私を導いて!)


(あ、スケッチブック持ってきたらよかった…!)
(イメージで出せますよ)


嗚呼、なんて便利な世界でしょ。