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 雅は、ふと目を覚ました。

 ガヤガヤとした教室内を一周ぐるりと見渡す。
 前方では友人二人が恋愛話を繰り広げているところだった。
 手元には食べかけの弁当が広げられており、今がお昼休みであることを認識する。
 

−なんだ、食事中に寝てたのか。


 昨日は何時に寝たのだったか。
 ぼんやりと焦げかけの玉子焼きをつついていると、話を中断した友人Aが興味深そうに弁当を覗いてきた。



「そういえば雅は自分で作ってるんだよねー」

「一応ね。失敗も多いけど…、ほら玉子焼きだってこの通り」



 形の崩れた玉子焼きを箸で持ち上げれば、苦笑いが返ってくる。



「自分で作るだけえらいじゃん。それに、−…そのスパゲティもスゴくオイシソウ

「−え?」



 いつもスパゲティなど入れていただろうか。
 いや、それよりも何だか…。

 聴覚と第六感が拾った違和感に顔を挙げるよりも先に、話題に上がったそれを確認してしまった。
 自然と視線が吸い寄せられた先。
 認識した瞬間に、思考回路を繋ぐより速く身体が反応する。



「っ!?ぃっあぁあああぁあ!?」



 ガタンッ。

 箸を放り投げ、椅子から転げ落ちるようにして机から離れた。
 その衝撃で同じく床へと落下した桃色の弁当箱からは無惨に中身が散乱する。
 目の前に転がった失敗作の黄色に、うねるベージュが絡んでいた。

−見慣れたおかずに混じり床を這うミミズの大群に、鳥肌と悪寒が全身を包む。



「っな、なん…!」



 喉が痙攣して、まともに音も生み出せなかった。
 そんな雅を嘲笑うかのように、白い指先がベージュの肢体を捕らえる。



「…雅ー、モッタイナイことしちゃダメじゃんかぁ。こんなにオイシソウなのに」

「ひ…!?」



 じゅる。

 まるで麺類を啜るように、友人はそれを唇の裏側まで押し込んだ。
 信じられない光景に身体の奥から酸っぱいものがこみ上げてきて、反射的に口元を掌で覆う。

 何で、こんなことに。
 どこから間違った?

 ぐらぐら揺れる視界の中、ふと、友人の顔が此方を向いたのを感じ取った。
 にしゃりと歪むその表情は、既に彼女のそれではない。



「あ、アァアンタもオイシソウ…オォオイシソウだヨネぇ

「っぁ…あ」



 ゆらりと上半身を揺らして距離を詰めてくるそれに、座り込んだまま後退する。
 助けを求めるなんてことはしない、否、できない。

 嫌でも視野に入る、教室内。
 同級生が皆、彼女と同じ顔で自分を視ていることを、頭は既に理解していた。
 置いてきぼりなのは精神と肉体の方だ。

 それでも希望に縋るのは、人間の本能だろう。



「だ…れか、っ…」



 絞り出した声は、自分ですら聞き落としそうなものだった。
 こんな訳も分からない終わりなんてあんまりだ。

 涙でぼやける残酷な世界から目を背けたくて、強く瞼を閉じる。
 それでもどこか冷静な意識が残っていて、もう直ぐ後ろは壁だとか、そうすると窓から飛び降りるしかないかだとか、そんな思考が駆け巡っていた。

 そんな中空気が揺れ、目前まで迫られたことを知る。
 残念ながら持ち合わせの人並みの神経では、この状況でスムーズに腰をあげて窓に手をかける、なんて行動にまでは移せなかった。


 ああ、ここまでかな。


 諦めが更に体中の力を奪った、その瞬間。
 突如、絶望一色に染まる脳が新たな情報を伝達した。

 ぶわ。

 背後から巻き起こる風と、感じる温度。
 控えているはずの冷たい壁ではない。
 血の通う、じんわりと伝わる人の体温に、目尻に残っていた塩水が零れ落ちた。

 同時に無意識に開いた世界。
 まさに首元スレスレまで伸ばされていた手が、札のようなモノで拘束されている。
 意味もなく綴られる文字を視線でなぞりあげるが、読解できる筈もない。

 呆気にとられる雅の耳に、労るような音が侵入した。



「…間に合ったようだね。立てるか?」

「あ、」

「−すまない、少し抱えるよ。…紫原」

「りょーかい」

「…え?」



 当然のことながら、時間の猶予がないのだろう。
 救世主であろう彼らは、惚けている雅の反応をみるや否や、喋る暇も与えず次の行動に出た。
 身体を襲った浮遊感に驚く間もなく、突っ込みを強いられる。
 肩に担いでくれたその人物の高さと、これから起こそうとしている行動が問題だった。



「ちょ、高…ってぇええ何してるんですか!?」

「ちょっとウルサいんだけどー。助けてんだから大人しくしててくんない?」

「う…」

「悪いね、とりあえずは此処から出ることが優先だ。話はその後でさせてもらうよ」

「…ハイ」



 二人の姿は確認できないが、睨むような視線と、宥めるような視線を感じる。
 一方的な印象を受けなくもないが、助けてもらっていることは確かであり意見もごもっともだ。
 従うしかないと覚悟を決め、ついでに怖いもの見たさで顔を挙げた。

 挙げた瞬間に顔を背ける。


 …見るんじゃなかった。


 元々は友人だったそれらが既に人の形すら留めていない事実に、何を考えるでもなく呼吸を止める。
 それを境に、視界が大きく揺らいだ。
 恐らく先程の予想に違わず、開けた窓の縁に脚を掛けたのだろう。
 そこから辿る結果はひとつだ。

 つい数秒前の自分の選択肢にも入っていたコースだが、いざ実行するとなるとかなりの勇気が必要だった。



「舌噛まないでよー」

「しっかり掴まっていた方がいい」



 二種類の声に挟まれたのち、世界が反転した。



「っぃ!?、〜〜〜〜っ」



 心臓ごと浮き上がるような感覚に、歯を食いしばる。
 頭の中で数回、色彩が弾けた。

 ぐるぐる廻る気持ち悪さが治まるのを待っていると、割と乱雑に下ろされたらしい。
 接地した足から軽い痺れが上がってきた。



「わっ!?と、」

「はー、今日もめんどかった」

「…紫原、もう少し丁重に扱え」



 呆れたような声に激しく同意しながら、重い瞼を押し上げる。
 瞬間、意識内に飛び込んだ鮮やかな赤と紫に、息を呑んだ。
 改めて見ると、二人ともタイプは異なるも、怖いくらいに端麗な容姿をしている。

 ただ、そのラベンダー色にやけに吸い寄せられた。
 脳内に途切れ途切れの映像がチラつく。

 なんだ、一体これは…何…?



「…なに?あんまり見られると気持ち悪いんだけどー」

「あ、すいません。ちょっと…その髪色に見覚えが、」



 そこまで言って、慌てて言葉を切り上げた。
 初対面の相手にいきなり見覚えなどと言われても反応に困るだろう。
 完全にイタい子だ。

 やったったー、と唸る雅に対し、二人の空気が微妙に変化した。
 そのどこか固い雰囲気に、首を傾げる。


 やはりか。

 何かを確信したように微かに頷く赤髪の彼に、説明を求めるべく視線で訴えた。
 初回からの言動を見るに、もう一人よりは対応が柔らかそうだ。

 その読みは正解だったらしく、雅の無言のメッセージに気付いた彼は、控え目に微笑んだ。



「色々すまなかったね、吃驚しただろう」

「いえ」

「続けざまで申し訳ないが、これは“夢”だ」

「…はい?」



 訂正、少々ぶっ飛んだ方のようだ。
 これだったら多少当たりがキツくてもさっきの人の方がいいかもしれない。

 そんな失礼極まりない思考を読んだのか、赤髪は苦く笑んだ。



「いや、順を追って説明しようか。まずは自己紹介からかな。俺は赤司征十郎。こっちが紫原敦だ」

「…飴凪雅です」

「よろしくー」



 赤司と名乗った赤髪の彼の紹介に合わせて、何ともやる気のなさそうな挨拶が飛んでくる。
 とりあえず頭は下げておくが、どうにも話の内容にはついていけそうにない。

 明らかに困惑している雅の様子に合わせながら、赤司が語った内容は、彼女の“悪夢”についてだった。

 夢には何種類かあり、その中でも質の悪い−具体的に言うなれば人害に関わるような−モノを除去する仕事があるらしい。
 そんなファンシーな、と笑い飛ばしたかったが、現に経験してしまっているのだからどうしようもない。
 通常であれば、ひとつの悪夢を処理するのは一人らしいのだが、今回は問題があって二人で赴いたとのことだった。


−その原因は、雅の悪夢の頻度と内容にあった。


 一般的には一度払った悪夢は繰り返しにくい筈が、彼女の場合は決まって同類のものをリバウンドしている上、その数が飛び抜けていたのだ。
 それに関する予測は二つ。
 何かしらの強いトラウマを持っているか、悪夢を惹き寄せる体質持ちか。

 とうとうストップをかけた雅に対し、赤司は静かに唇を閉ざした。



「…すいません、やっぱちょっと話が壮大すぎてついてけないです」

「だろうね。それが一般的な反応だ」

「話の流れ的には私は今までも数え切れないくらい悪夢を視てきたってことですよね?」

「ああ、そうなるな」

「…記憶が、ありません」



 眉を顰める雅にとって、そこが一番の疑問だった。
 雅が悪夢を視ていることを前提に進んでいるが、今回の夢以外にあんな質の悪いものを視た覚えがない。
 恐怖体験なら、起きた後でも強烈に残るはずだ。

 そう返ってくるのを見透かしていたかのように、赤司は軽く瞳を伏せる。



「それこそがこちらが悪夢を“処理”した証拠だよ。上手く退けた悪夢は当人の記憶には残らない」

「そんな都合のいいことができるんですか」

「悪夢が残れば必然的に俺達の存在もバラすようなものだ。対象は星の数ほどいる。いつ誰と出会ってしまうかも分からない。此方としても、いちいち姿を刻まれるのは厄介だからね」



 君だって、夢に出てきた知りもしない他人が現実にいたら驚くだろう?

 薄く笑う問い掛けに、ぐっと言葉に詰まった。
 反論できない。
 そもそも、こんなイケメン達に助けられたら世の中の女の子にとってはただの幸せな夢なのではないだろうか。

 そこまで考えて、逆に納得した。
 先程の話しぶりから、その悪夢掃除をしている人間はこの二人以外にもいるのだろう。
 そしてみんなが皆彼らのような容姿なら、きっといつかは大事になる。

 それを想像して顔を蒼白にする雅に、ふと陰が被さった。



「…それよりさー、さっきの話ほんとなの?」

「ぎゃあ!?…っすいません!…………さっきの話って…?」



 いつの間にこんなに近付いていたのか。
 完全に見上げる形で頭を傾けると、面倒さを感じたのか大きな溜め息が鼓膜を揺らす。



「オレに見覚えあるって言ったじゃん」

「いや、貴方にというよりはその髪色に…」

「…充分だね」

「はい?」



 窺うように傍観していた赤司の確信じみた台詞に、今度は逆方向へと頭が傾いた。
 彼女の気持ちに応えるべく、ゆったりと腕組みを外した赤司は双眼を開く。



「言っただろう。処理が成功した場合、記憶は消える。ほんの欠片でも証拠が残る事はないし、思い出すなんてもっての他だ」

「…それは今まで失敗したことはないんですか?」

「オレが失敗したって言いたいわけ?」

「いえ、そういう訳では…」

「そうとしか聞こえないし」

「紫原、話が進みにくい。暫く黙っていてくれないか」

「…、…」

「…すいません」



 つん。

 そっぽを向いてしまった大きな背中に、申し訳なさそうに眉を下げた。
 確かに誤解を招く言い方だったかもしれない。
 言葉選びとは難しい。

 狼狽える雅に対し、気にしなくていいと首を振った赤司は、さらりと話を再開した。



「勿論、悪夢の強さもピンからキリだからね。成功率は100パーセントとは言えない」

「じゃあ…」

「ただし、その場合は悪夢の記憶も残る」

「…え?」



 それでは話が噛み合わない。
 必死に今までの内容を整理し直すが、ピースが繋がらなかった。



「そうだ。君はさっき、悪夢の記憶はないと言った。それこそが成功している証拠だ」

「だったら、なんで…」

「それを知るために、今日は二人でお邪魔させてもらった。君の悪夢については一番紫原が詳しいからね」

「……、えっと」



 それは、つまり。
 ちらりと隣に視線を向けると、怠さの中に鋭さを孕んだ瞳に睨まれる。



「…ランダムなのに何でかよく当たるんだよねー。いっつもキモい虫出てくるし、ワンパターンだし」

「ごめんなさい。大変お手数をおかけしまして。ありがとうございました」

「…別にいいけどー」



 視線を逸らされ、何とも言えない気まずさに襲われた。
 その空気を払拭するためか、すかさず赤司が口を開く。



「−とりあえず、君とは一度色々相談する必要があるね。今回のことでいくつか予測がたった。それも含めて説明するから、できれば明日、目覚めてからここまで来て欲しい」



 難しければ迎えを寄越すから連絡してくれ。

 渡された住所に、空笑いを浮かべた。






とりあえず心から思う、今、寝たい。


(非現実的すぎるよ、いやここは非現実だけども)
(どーせ思い出すなら全部思い出せばいいのに…中途半端すぎていらつく)
(…どうやら彼女のことを気にしているのは紫原だけではなさそうだ)


あいらぶ、ふとん。