◇
「よっと。…これで全部かー?」
「うん。ありがとう高尾君、すごく助かった」
「いいっていいって。どうせ暇だったしな」
運び終えたプリントの山に被さるように伸びをしながら、高尾はカラリと笑った。
控えめな位置ではにかむ同級生に視線を投げる。
クラスでも決して目立つ存在とはいえない、地味な女生徒だ。
ふらふらと危なっかしく廊下を歩いていた彼女に声を掛けたのは、別に偶然でも気紛れでもない。
ただ純粋に、ちょっとした日頃の好奇心が疼いただけ。
どんな相手にでも臨機応変に絡む自信はあるが、見るからに大人しい彼女は恐らく注目を浴びるのに抵抗があるだろう。
そんなこんなで、彼女相手には声を掛けても挨拶程度に抑えることが多かった。
案外話してみると面白そうなタイプなんだけどなー。
無意識に見つめすぎていたらしい。
じっと自分を捉える瞳に気が付いたのか、微かな戸惑いを織り交ぜた視線が返信された。
「…なにか、顔についてる?」
「いや何もついてねーけど」
何をしたわけでもないのに落ち着きなくオロオロする様子が小動物を思わせて、思わず吹き出す。
そんな高尾を前に何を思ったのか。
意を決したように両手に拳を作り上げて、軽く身を乗り出してきた。
「あ、きょっ」
「…きょ?」
「今日はカチューシャしてるんだね!」
「ぶは!いきなりだな!」
そんな力んで言う事じゃないだろ。
意気込んだ雰囲気と内容のミスマッチに、堪らずバシバシと机を叩く。
その反応が羞恥心を誘ったのか、拳両手に固まる姿がまたなんともいえなかった。
「たまにつけるんだよ、寝癖ひでー時とかな。妹からの貰いもんで…、」
最愛の幼い妹の笑顔を浮かべながら説明しかけて、ふと言葉の流出を止める。
再びじっと雅を瞳に映して、十秒弱。
プリントの山にもたれこんだまま、彼女の顔をのぞき込んだ。
「…前から思ってたんだけどさ、飴凪さん、髪上げた方がいいと思うぜ」
「え、…えっと、上げるって?」
「前髪だよ前髪。ちょっと長いんじゃね?なんかもったいねー気がすんだけど」
「やっぱり、長いかな。…暗い?」
ちょいちょいと長めの前髪を指先で撫でつける雅に、瞳を細める。
そこからの彼の行動はまさしく“あっと言う間”だった。
「よっ、ちょいと失礼ー」
「わ、え!?」
不意に身体を起こして机から離すなり、雅との距離を詰め、その小さな頭部に両手を添える。
当の本人は、唐突に降ってきた温度に声を上げるしかない。
されるがままに突っ立っていると、するりと離れる指先と、拓けた視界。
「ほい、いいぜー」
「…え?あれ?」
いつも世界に入り込んでいた漆黒の線カーテンが見あたらない。
同時に、今までなかった頭皮への刺激と、目の前の高尾のビフォアアフターの間違い探し。
明らかに彼の頭からなくなっているソレは、現在己の頭頂部に移動していることだろう。
耳の真後ろに当てた指にツルツル滑るものを感じ、説明を求めるべく視線を送った。
その意図をしっかり汲んだ高尾は、満足そうに頷きながらそれに応じる。
「やっぱそっちのがいいって、そのカチューシャ貸し出しすっから。一週間お試しな」
「…いいの?」
「そりゃなんたって飴凪さんだし。それに、その方が話す機会も増えそうだろー?」
昔から、本音を冗談っぽく伝えるのは大得意だった。
しかし、どういう印象を与えるかは相手次第だ。
彼女には少々軽すぎたかとちょっとした後悔込みで顔色を窺うが、判断は易しくはなかった。
完全に、フリーズしている。
これはセーフなのかアウトなのか。
結果に至れず次の行動を起こせない高尾に対し、雅の方が先手をうった。
一瞬にして自分をいっぱいに映し出した漆黒色の瞳に、柄にもなく動きを封じられる。
意味もなく昔読んだ蛇頭の女の話が脳に浮かんで、しかしすぐに消え去った。
「−、ありがとう」
ほんわりと咲き誇った笑みに、どくりと左胸の振動を聞く。
だってこれでは石にするどころか生命を与えているではないかなんていうどうでもいい思考回路に混じり、明日からの彼女像を視た。
いつもの緊張に満ちた愛想笑いとのギャップは脅威だ。
周りの反応と、それに困惑する雅の姿が鮮明に描き出され、ほぼ無意識に彼女の両肩に触れる。
「…やっぱ回収していい?」
「え?!」
わたわたと彷徨うやり場のない手と視線に、再度小動物を重ねた。
果たして二人きりとはこんなに息苦しいものだったか
(やべーわ。思ってた以上に可愛いんだけど)
(昨日前髪切らなくてよかった…!)
その笑顔、反則につき。
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