×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -




 ガタン、ゴトン。

 心地良い揺れに、流れる景色。
 目の前に座っているOLが気持ちよさそうにコックリコックリ頭を揺らすのを見て、立位の雅は羨ましそうに瞳を細めた。

 昨日は課題の総仕上げをしていた為に、殆ど睡眠をとれていない。
 ぶっちゃけ、とても眠い。
 先程から、瞬きの度に肩に掛けている鞄がずり落ちそうになっていた。

 いつもは気にしている癖っ毛の跳ねも、今日ばかりは気にしている余裕がない。



「…うぅ…」



 小さく唸っては握る吊革に力を込めてみるが、睡魔は進化を遂げるばかり。
 布団まで装備して甘い誘惑を仕掛けてくる。
 何とか打ち勝とうと持てる理性を総動員して闘ったが、とうとう限界がきたらしい。

 視界が閉ざされた一瞬の間に、意識が飛んだ。
 暗闇に身を委ね、気付いた時にはもう遅い。
 ぐらりと後ろに傾いた身体に反射で覚醒した瞬間には、既に世界は反転しようとしていた。

 満員電車なら人に寄りかかってごめんなさいで済むが、土曜日のこの時間帯、車内は空いており、席は満席なものの立っている人間は少ない。
 即ち、倒れる分のスペースは十二分にあるということで。



「っわ…!?」



 慌てて、放してしまった吊革を再度掴もうとするが、生憎、彼女は俊敏さには欠けた。
 指先を掠めただけで手は見事に宙を切り、派手に地面と接触する自分の姿が脳にフラッシュする。


 っ無理!!


 背中側に来るであろう衝撃に備えて身体が固まった。
 長いようで、数秒にも満たない出来事。

 あっという間に背中に刺激が入る。



「っ…、…?」



 しかし、脳に伝わった刺激は想像とは明らかにずれていた。
 痛みでは、ない。

 触れたのは冷たくカチカチに硬い地面などではなく、温度のある程良い硬さの物体。
 咄嗟のことで思考が働かなくても分かることだ。
 “人間との接触”。

 背と肩を支える体温に呆けていると、微かな振動と共に声が降ってきた。



「立ちながら寝るやなんて器用やなあ、自分」



 普通に危ないわ。

 愉しげに空気を伝う音にそのまま上を見上げる形で顔を挙げる。



「わああすいませ…っ痛ぁ!!」

「ぶはっ…!」



 あせあせと謝ったのはいいが、その無理な体勢のせいで首からゴキュリと妙な音がした。

 そんな姿がウケたらしく、一層大きく揺れる身体。
 口元を手の甲で覆ってクツクツと喉を鳴らす彼に赤面しながら、痛みを和らげるべく首の後ろに手を回してさする。
 あまりの衝撃に涙目になりながらも、出来るだけ相手に体重を掛けないようにと、重心を自分の中心へと引き戻そうと努力した。

 しかし、つくづくタイミングが悪いらしい。

 駅に近付くことで大きく左右した車体にバランスを崩す。
 前後にはいくまいと必死に堪えた結果、今度は横方面に身体が流れ、おっとっととステップを踏んだ。



「ちょ、わわ…っ」

「っハハ、ホンマ飽きへん」



 すかさず肩に回った腕が、雅の転倒を防ぐ。

 両手で鞄を抱き込むことに徹しながらチラリと確認すると、彼は片手で吊革を把持してしっかり体勢を保ちながら、自分の体重まで支えてくれていた。
 片腕にも関わらず揺るぎない安定性に感動しつつ、そこで初めて男の容姿を認識する。

 セミロングの黒髪に、縁眼鏡。
 細められた瞳は笑っているのか、そういう顔立ちなのか。
 何にしても優しそうな人だと胸を撫で下ろした。

 見つめすぎたのか、不思議そうに顔を斜めにした彼と視線が絡む。



「なんや、大丈夫かいな。どっか捻ったか?」

「へ!?あ、全然無事です!何度もありがとうございましたっ」

「いやいや、構わへんよ。眠気も飛んだみたいやし」

「…お陰様で」



 面白そうに付け加えられた言葉に、再び熱が集まる頬を隠すように俯いた。

 駅に到着したらしい。
 アナウンスがかかり、窓に映る景色の流れが緩やかになる。
 やっと落ち着いた土台にホッと息をついて立ち直すと、肩に触れていた温度が離れた。

 当たり前の事だが、少し残念に思ったのは一体何に対してか。
 モヤモヤする胸に睫毛を上下させていると、また違う音が鼓膜を揺すった。



「今吉センパイ!あの…此処で降りないと」



 今までいっぱいいっぱいで気付かなかったが、彼の知り合いがいたらしい。
 喋り方や呼び方などからすると後輩に当たるのだろう。
 おどおどとした少々高めの少年の声に、今吉は人の良さそうな笑みで応えた。



「おう、スマンなあ桜井。今行くわ」

「っスイマセン!邪魔するつもりはなかったんですけど…」

「いや謝ることやないで、ここで降りやんと試合に間に合わん」

「っスイマセンスイマセンッ自分なんてゾウリムシ以下っす!

「そんな気にせんでも、ってゾウリムシ!?やから、…もうええわ



 いきなり凄い勢いで頭を下げ始めた後輩に突っ込みつつ、しかし日常茶飯事なのか、苦笑をひとつ零して身体の向きを換える。
 変わったやり取りだと目を見張る雅だったが、ああここでお別れなのかとガッカリする自分に気付いて首を傾げた。

 とりあえず最後にもう一度お礼をと口を開きかけるが、彼に焦点を合わせると同時に、既に此方を捉えていた視線に驚く。



「もう平気や思うけど、立ったまま寝やんようにな」

「は、はい」

「ああ…あともう一つ、」



 思い出したように足を止めた今吉は、少し屈んで小柄な雅の耳元で囁いた。



「髪、気になるんやったら括ったらええよ」

「−…え?」

「ほな、ワシは此処で」



 互いの黒髪が触れそうな距離で、意味深な微笑みを落として、彼は背を向ける。

 耳の穴から侵入した音は確かに脳に浸透するが、言葉としては中々入らなかった。
 真っ白な思考回路で二人が電車から降りる姿を見送る。

 桜井と呼ばれた少年が振り返り、小動物のような動作でぺこりと頭を下げてきたとか。
 ああ声のイメージ通り可愛い系の子だったとか。
 でも何でそんなに申し訳なさそうにしているんだとか。

 視覚が取り入れた情報は届くのに、
 感想まで持っているのに、
 まだ頭は働かない。

 ただただ、此方を気にしたように見詰めてくる桜井よりも、隣の黒髪の後ろ姿から視線を外すことができなかった。
 脳では桜井という少年のことを捉えて考えている筈なのに、今自分の世界に映るのはたった一人。
 どんな矛盾だと自嘲を貼り付ける。

 ぼぅっとした意識の中、何となく横髪に指先を押し当てると、やっぱり“いつも通り”跳ねていた。



「…2つ結び研究しよ」



 ぽつりと呟くと、閉まった扉の窓の外。
 背を向けていた今吉の顔が動く。

 聞こえる筈のない距離で、先程の独り言に応えるように微かに相槌を打った、ように見えた。







硝子一枚の距離感がこんなにも、


(また会いたいなんて、変かな)
(あ、今日は両方跳ねとるわ)


ぴょんぴょこ、揺られてハネてコンニチハ。







 ガタン、ガタン。

 次の駅に向けて出発した電車を見送ると、二人は出口に向けて足を進める。
 桜井が携帯の時刻を確認しながら、チラリと今吉の方を窺った。



「…えっと、さっきの人は…、」



 不安定な走行中の電車の中いきなり移動したかと思うと、転びかけている女子高生を助けた部活の先輩。
 今吉と彼女の関係は知らずとも、自分が水を差したことは何となく自覚していた。
 そんな桜井の控え目な問い掛けに思わず笑った今吉は、いつものようにサラリと返す。



「んー…まあ、朝よう見掛ける子やなあ」

「?…はあ」

「やっぱ想像以上に楽しい子やったわ」



 曖昧に頷く後輩を横目に、軽く空を仰いだ。

 ぴょこぴょこ跳ねる黒髪と、それを少し不満そうに弾く指。
 日常の一部になっていた光景を思い浮かべて、唇の端を持ち上げる。

 彼女と同じ黒髪が、踊るように風に流れた。