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 いつも通りの放課後の図書室。

 ー…五秒前までは平和だったのになぁ。

 雅はズキズキ痛む後頭部に遠い目をしながら、違う意味でも痛む頭に思わずこめかみを抑えた。



「…完全にデジャヴな台詞ですが。説明をお願いします花宮さん」

「ふはっ、相変わらずの間抜け面だな。こんな愉快な日にオレの契約者サマがぬくぬく平和に過ごしてていいわけねぇだろ」

「はいはいそうでしたね。まずは退いていただけますでしょうか」



 目の前に迫る端整な顔立ちが、通常運転の悪い笑顔に歪むのを溜息混じりに眺める。

 本の整理に没頭中、棚が不自然に揺らいだのが四秒前。
 向かってくる棚と降りかかる本を視界に映したのが二秒前。
 地面にご対面して土煙と共に床ドン状態になっていたのが、一秒前だ。



「おいおい、身を挺して盾になってる男にいう言葉か?」



 確かに、自分に覆い被さっている花宮のお陰で棚と本からの被害は全くないわけだが、かと言って彼がダメージを受けているはずもない。
 その背後、本棚と本が宙で完全に固まっている光景を確認して、軽く肩を竦めた。

 ハロウィンだなんて絶好の日に、彼が大人しくしているなんて思ってはいない。
 手違いで契約してしまった“悪魔“のお遊び訪問に、諦めたように前髪を揺らした。



「おかげさまで助かりました。でもそもそも本棚倒したのも花宮さんでしょ?」

「人聞きの悪いことを言うなよ。これだってオマエのためを思ってしたことなのに」

「いや花宮さんなら暇潰しと称して喜んでやりそうですが。私のためってのも意味が分からない…、ってあれ?」



 今回は珍しく身体に物理的な衝撃があったためそちらに気をとられ、今になってその違和感に気付く。
 普段、悪魔である花宮の服装は黒一色のシンプルなもの。
 しかし、本日は雅があまりに見慣れすぎた−この学校指定の制服だった。



「え、なんでうちの制服…、」



 疑問を口にしたのと、扉の開閉音が空気を揺さぶったのと、花宮の表情が変化したのはほぼ同時。

−ガラ。



「飴凪さん?いる?」

「っ!?」



 友達繋がりで最近仲良くなった1学年上の男子生徒の声に、身体が強張る。
 確かに、今日はこの時間に此処に訪ねてくるようなことを言っていた。
 こんな非現実的な場面を見せるわけにはいかないと咄嗟に己の口を覆うが、生憎この悪魔が倒してくれた棚は出入り口から隠れるような位置ではない。

 ちょっと待って、まさかこの人初めからこれを狙って…!

 反射的に見上げれば、愉楽に満ちた双眼が細められた。
 雅が反応する間もなく、花宮の指がパチンと音を弾けさせたのを合図に静止していた全てが動く。
 といっても、全ては数センチ直前の寸止めからで、本棚からも巧妙に身体をずらしている彼の被害はほぼ皆無だろう。

 しかし、常識的な感覚でこの場に居合わせれば、かなりの衝撃的出来事だ。
 案の上、次の瞬間には息を呑む音に続いて慌てたような足音が近づく。



「は!?え、なんで本棚…っもしかしてそこにいるのか!?」



 駆け寄ってきた先輩と目が合うと、その両眼が驚愕に染まるのを見た。



「飴凪さん…!大丈夫かよ!?オマエもっ」



 雅の上に被さる花宮にも気付いたらしく、すぐさま本棚に手を掛けてくれる。
 予め作られた計算づくしの空間のおかげで難なく脱出はできた。

 から笑いで先輩にお礼を伝えながらも、気にすべきは花宮の意図だ。
 隣でさりげなく肩を庇うようなその仕草が視界に入り込み、嫌な予感が募る。
 雅の無事を確認していた先輩も、その様子に気付いて心配そうに尋ねた。



「もしかして肩を痛めたか?保健室に行こう」

「いえ、大丈夫ですよ。先輩が来て下さって本当に助かりました。オレは彼女との仕事がまだ残っているので」

「…でもぶつけたんだろ。仕事とかより、一度みて貰った方が」

「必要なら彼女に一緒に行ってもらいますから」

「…そっか。じゃあオレの用事はまた次にするかな。無理はするなよ」

「ありがとうございます」

「…、ーうん?ええっと」



 目の前で着々と進む内容に、雅は一人置き去りだった。

 なんだこの茶番劇は。

 花宮の本性を知っている身としては、彼の演じる優等生キャラの全てが白々しくて仕方ない。
 そもそも残っている仕事とは何なのか。
 そんな約束はした覚えもないし、本棚の後始末も結局自分に回ってくるに決まっている。
 自作自演の打算にまみれた舞台で、同級生を庇う優しい学生なんかをちゃっかり演じる 悪魔は、恐らく片付けに関しては傍観に徹するだろう。

 オレも手伝うよと言ってくれている優しい先輩を巧みな話術で追い出してしまった彼を、じと目で睨んだ。



「こんな意味のない茶番劇をするために、わざわざ制服まで着てきたんですか?」

「意味はあっただろーが。無駄な誘いを正式な理由で断れただろ」

「いや無駄な誘いって。花宮さんが決めることではないですけどね」

「まあこれで、アイツの脳には“飴凪雅には男がいる“っつー意識の刷込ができたわけだ」

何がどうしてそうなった

「あ?オレの顔は覚えてねぇよ。そんなヘマするわけねぇだろバァカ」

「いや顔を覚えているとかはどうでもいいんですが」

「一応悪魔にもルールがあるからな、脳に直接干渉するには対象との会話が必要なんだよ」

「私が知りたいのは何故その必要があったかなんですけど。あれ、なんだかいつもに増して会話が成り立ちませんね



 雅が常識に則った会話を諦めたあたりで、花宮が満面の笑みを浮かべる。
 瞬時に背筋を駆け抜けた悪寒は、今までの経験値からの賜物だ。




「さて。肩慣らしも済んだことだし、メインディッシュにいくとしようか」

今までのが肩慣らしだと?いえもう私は既にお腹も胸もいっぱいなので…」



 いつの間に着替えたのか。
 いつもの装いになっている彼から少しでも遠ざかろうと後退るが、許して貰えるわけもない。

 ジャラリ。

 つっかえるような金属音とヒヤリとした感触に、無意識的に左手首に視線を落とした。



「…花宮さん、何やら手違いが起きているようですが」

「何が」

「手枷が、花宮さんと繋がっているみたいですよ。はめるなら私の両手では?」

「へぇ?オマエにそんな願望があったとは初耳だったな。お望みならすぐにでも嵌め変えてやるけどどうする?」

「イエ。とんだ誤解なのでこのままで結構です」



 思惑はくみ取れないが、変な風に解釈されるよりはマシだと腹を決める。

 そんな雅の心境を分かってか否か、何とも愉しげに考え事をする彼の視点が不意に定まった。
 つられて窓の外に目をやれば、先程見送ったばかりの見慣れた後ろ姿に血の気が引く。



「え。あの、まさかとは思いますが…」

「−そうだな…手始めに、ここ最近オマエにべたべたな視線を送ってる野郎を呪いに行こうか?」

却下で



 やっぱり初めから先輩を狙ってたか…!

 引きつる頬で無理矢理笑みをつくると、重たい鎖がジャラジャラと軽やかに鳴った。







頬を撫でる指先は優しいくせにひどく冷たい。


(…いつの間にか、いるのが当たり前になっちゃったなぁ…)
(分かってるようで全く分かってねぇからな。あーあ、こんだけお鈍い契約者サマだと先が思いやられるぜ)


飴、じゃらら。




2021/10/29