◇
雅は格闘していた。
「んー…もうちょい」
グラグラ揺れる脚立の上で、更に背伸びをして片手をめいいっぱい伸ばす。
相変わらず、体重移動が下手な自分に呆れてしまう。
目的のものを掴んだのと、視界が反転したのはほぼ同時だった。
ついでに、すぐ近くの扉の方から「はぁあ!?」なんて叫び声が聞こえる。
とりあえず、手にした物は壊れ物であるためしっかり胸元に抱え込んだ。
自分の身体は、ある程度の怪我なら一般人より断然回復が早いためあまり気にしない。
打ち身やかすり傷程度なら1時間もあれば治ってしまうだろう。
痛みだけは少し嫌だけれど。
空中に舞う己の黒髪と天井を見つめながら、その時を待つ。
ガッシャーン!
こてん。こてん。
衝撃に備えて構えるが、派手な音の割には痛みはなかった。
最後の効果音は、恐らく上からついでに降ってきた達磨が何かにワンクッションいれて着地した音だ。
ころんころんと床を転がる達磨を見送ってから、そろりそろりと視線を上げる。
先程の声と人より敏感な嗅覚が拾った匂いで、既に誰かは確定していた。
「ごめんね、黄瀬君。ありがとう。大丈夫?」
滑り込みで自分を受け止めてくれた彼に謝るが、その明るい金髪をさすっているあたり達磨の中間地点はそこだったらしい。
それにしてもあのタイミングで救出に間に合うだなんて、相変わらずずば抜けた反射神経と運動センスだ。
さすっている部分を一緒に撫でてやると、一瞬惚けたのち我にかえったようにがっつり肩を掴まれた。
「〜っちょ、何度言ったら分かるんスか!危ないッスよ!こっちは毎回心臓止まる想いなんだけどっ」
「相変わらず心配性だね。私の身体のことは黄瀬君が一番よく知ってるでしょ」
吸血鬼の血を受け継ぐこの躯体の維持のために、血を分けてもらっている間柄だ。
その能力や特色も、常に身近で実感しているだろう。
軽く首を傾げるが、少し怒ったように端正な眉をひそめて諭された。
「いくらケガが治るの早いからって無茶はダメだって、女の子なんスから。そういうところはもっと頼ってほしいというか…心配なんで」
「多分私、黄瀬君より強いけど」
「うん分かってるけどね!そこは男として頑張らせて!…大事だから、血をあげる以外にも色々助けになりたいんスよ。何ならもっと吸ってもらっても、」
「うん、要らない」
「被せないで!?えぇえもうその反応は傷付くんスけど…」
格好をつけたいところで尽く雅にいなされて本気で落ち込みかけるが、彼女は真剣そのもの。
素の対応であることが分かっているだけに、余計にダメージが大きい。
いつになったら理解されるんスかねこの気持ち。
ルーと涙を流していると、不意に頬を白い温度が滑った。
ギョッとして見つめ返せば、変わらず澄んだ瞳が不思議な色をたたえて黄瀬を魅了する。
「ーだって、あんまり血もらったら足りなくなるかもでしょ。黄瀬君が倒れる方が私には困るから」
どきゅん。
己の胸から変な音を聞くなり、勢いに任せてネクタイをぐいぐいっと緩めた。
「っ雅さん…!今日の分どうぞッス!」
「あ、今日は大丈夫。鉄分ジュースで足りてます」
「温度差で風邪引きそう!」
君不足が否めない。
(その明るさに救われてるのは私の方、なんだよ)
(好きな人に笑顔でいて欲しいと思うのは当たり前ッスよね)
飲んで、呑んだ。
2021/04/02
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