◇
そろり。そろり。
予鈴も鳴って人もまばらな朝の学校の敷地内。
辺りを確認しながら慎重に歩みを進める雅は、手馴れた動作で靴を脱ぐとそっと連絡通路に足を踏み入れた。
我が校では、予鈴と共に正門は閉められる。
そのため間に合わないと判断したときは裏口から侵入し、ここから何食わぬ顔で皆に合流するのだ。
風紀委員の幼なじみを推しアイドルで釣りまくって、なんとか教えて貰った裏技である。
根は真面目な彼のことだから渋ってはいたが、昔から一緒にいたが故に雅自身の“体質“もよく分かっているため同情はしてくれているらしい。
ふっと笑みをこぼして、いい顔で額の汗を拭った。
「今日もギリギリセーフ」
「…なわけねぇだろ、余裕でアウトだ」
「っいた!って、げ。宮地…」
ぱこん。
こぎみのいい音に衝撃を受けた後頭部を抑えて振り向くと、不機嫌丸出しな幼なじみがにっこり笑顔を披露している。
高身長に甘い顔立ち、口は悪いが優等生なスポーツマン。
ギャップだらけで雅の周りにもファンが多い宮地は、母親同士が親友なため生まれた時から一緒だった。
「オマエ…今月入って何回目か分かってんのか」
「まあまあ、そこは宮地さまのお力でなんとか」
「いくら幼なじみだからってそう何度もひいきできねーから」
「あはは」
「とりあえず進めよ、マジで遅刻する」
「はぁい」
溜息混じりに促されながら、彼が持ってきてくれていた上履きに履き替える。
何だかんだで面倒見は最高級だ。
己の蜜色の髪をぐしゃりとかきまわすと、片眼を細めて再び雅の肩を小突いてきた。
「毎度毎度裏口から入って来やがって…、ったく、今日はどこで時間くったんだよ」
「すれ違った散歩中のわんちゃんのリードがなぜか切れて追いかけ回されて、着いた先で水まき中の水を頭から被ったから一旦家に帰って着替えてきた」
「また壮絶だな」
昨日はトラックに頭から泥水を被せられ、一昨日は胡散臭い宗教の集団に絡まれ、三日前は近所の痴話げんかのとばっちりで飛んできた生ごみを被ったのだったか。
普通の女子高生がこんな目に遭えば、もう学校に向かう気も無くして休んでしまうかもしれない。
しかし、なんせ生まれながらの不幸体質である雅にとってはもはや日常であり、常に隣でサポートし続けてきた宮地にとっても知るところだ。
ただし、自分が同じ目に逢ったとして彼女のように素直に明るく過ごせる自信はない。
どれも怪我に繋がるほどではないが、精神的には削られるし生活に支障がでるレベルだ。
ーまあ、オマエのその打たれ強さと根性だけは認めてるよ。
一瞬見えた苦笑いにキュンしかけるが、すぐに裏のあるブラック満面笑顔に切り替わったため秒で顔を背けた。
「言っとくけどこれでリーチかかってんぞ。あと一回遅刻で校庭草抜きな」
「そんな殺生な…!今は命かけてクリア目指しているゲームがあるから即帰りたい」
「よーしそれ今度オレにもやらせろ。寧ろたたき割ってやる」
「勇者は渡さない!」
「居残りが嫌ならやっぱオレの時間に合わせて起きろ。なんなら目覚ましコールもしてやるよ」
「もはやお母さん。だって宮地の朝練えぐい早さだもん…絶対他の人よりかなり早いでしょストイックモンスターめ」
試験期間でさえ許可を取って部活の練習に励むために、成績も上位でキープする努力家だ。
人にも厳しいが自分にも超絶厳しい。
「なるほど分かった。じゃあ夜更かししないようにおやすみコールも追加だな。スルーしたらゲーム埋めんぞ」
「全力で返すからゲームだけは助けてください」
本気の目に全力で頭を下げた。
確かに、もはや雅のフォローマスターである宮地と登校すれば百%安全に登校できるだろう。
しかし花の女子高生、何とか寝られる時間ギリギリまではゆっくりしたいのである。
唸った末、希望の光を見いだした。
「あ、分かった」
「何が分かったんだよ」
「近所に同じくらいの時間帯に出てく後輩がいるんだよね。その子に一緒に登校頼むよ」
「…いや、オマエのとばっちりくらって終わりじゃねえ?」
「大丈夫大丈夫、男の子だから何とかなる」
ケラケラ笑ってその背中を叩くが、何故かぴたりと止まったためつんのめる。
「っと、いきなり止まったら危ない…、ひ!?」
安全第一とする彼にしては珍しい急停止に、どうしたことかと顔をのぞき込んだ雅は悶絶した。
暫くぶりのレベルの凶悪笑顔だ。
あれはいつだったか、宮地の部活の後輩達にちょっかいをかけた時だった。
何だかんだで後輩想いであることは知っているため、今回ももしかしたら何か地雷を踏んだのかも知れない。
「…そいつのクラスと名前は?オレが交渉してやるよ」
「…イエ。やっぱり宮地と頑張ろっかな!」
ここで素直に吐いたら自分が危険な気がする。
ああさようなら私の朝のまどろみの幸せ。
「!雅、」
遠い目をしていると、不意に肩を引き寄せられて頭ごと抱え込まれた。
滅多に呼ばれない名前のオプション付きだ。
「っななななに!?」
さすがにイケメン幼なじみにこんな少女漫画顔負けのシーンを展開されれば動揺する。
反射的に顔をあげようとするが、痛くないくせに全く身動き出来なかった。
なにこの謎の技術。
どこまでもハイスペックな彼に慄くが、次の瞬間に数センチ先の足下に転がった物に固まる。
カランカランと渇いた音を立てるのは、少量の中身を飛び散らせるコーヒーの空き缶だった。
あのまま歩けば雅の頭に直撃だった位置だ。
ばっと先を見れば、走り去る影がちらりと覗く。
恐らくゴミ箱に投げ入れようとしたところに、ジャストタイミングで来てしまったのだろう。
死角から出て来たため仕方がなくとも、謝罪もないとはいただけない。
つーか外したなら拾えや立派なポイ捨てだぞ。
少しむっとするが、宮地のおかげで精神的にも物理的にもノーダメージだ。
感謝を伝えようと今度こそ顔を上げるが、言葉は出なかった。
「はっはー風紀委員相手に逃げるなんて良い度胸じゃねーか。顔覚えたから覚悟しろよ絶対ぇ埋める」
「…」
無言で合掌していると、空気が動く。
くっついていた温度が離れたことで軽く身震いするが、離される寸前に頭に一度手を置かれた。
一瞬のそれに惚ける雅の前で、空き缶を拾った宮地が少しだけ唇の両端を引き上げる。
「ーまあ、一緒にいる間は責任もって守ってやるよ」
だから、頼るならオレにしとけ。
ボソリと付け足してスタスタ先を行く背中を、赤い顔で見送った。
アリスが穴に落ちたのは兎のせいではない
(少しでも一緒にいる時間を増やしたいとか、自己中な理由まんま言えるか)
(また下の名前で呼び始めてみようかな)
溢れる興味、好奇心。
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