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「#エロ」のBL小説を読む
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 真っ白な世界。目の前で泣き喚く女の子の映像に、酷く心乱される。

−泣くなよ。

−そこまで抱え込む必要なんてないって。

−オレが、“それ”を預かるから。

−オマエがいつか笑って受け入れられるようになったらまた−…



「−くん…、…おくん?…高尾君」

「んあ?」



 遠くから意識を引っ張りあげてくるソプラノに従って、ゆっくりと現実に引き戻される。
 瞼を押し上げると、見慣れた漆黒がちらついた。
 自分のものとはまた違う艶やかなそれに、唇の端を引き上げる。



「…よう、雅ちゃん。もうお昼?」

「そうだよ、完全にお昼寝モードだったね。一応これ、さっきの講義のノート」

「お、さっすが。助かるわ、サンキュー」

「珍しいね。この講義はいつも真面目に受けてたのに」

「あー、昨日は徹夜気味だったからな」

「え、寝てないの?大丈夫?」

「雅ちゃんが膝貸してくれたら寝れるかもだけど」

「大丈夫そうだね、よかった」

「相変わらず見事なスルー!」



 半分くらいは本気なんだけどね!

 けろりと笑うと、柔和な笑みが返ってきた。
 周りの景色から視線が混じるのを感じて、高尾は早々に席を立つ。
 並んで歩くと、目を惹く黒髪がしとやかに空気を舞った。

 長年隣をキープしてきたが、高尾から見ても、彼女は綺麗になったと思う。
 特別、容姿が秀でているわけではない。
 ただ、表情や雰囲気、真っ直ぐな表現力に磨きがかかっただけだ。

 中学時代は自分以外にその魅力に気付く者はいなかったが、年齢を重ねるごとに輝きを増す雅に、惹かれる人間は目に見えて増えた。
 高尾からすれば、嬉しさ三割、寂しさ四割、優越感三割といった比率だろうか。

 そんな雅に明らかな好意を自覚している高尾が、付き合っているわけでもないのに焦りや危機感を感じないのは、彼が彼女の秘密を把握している唯一の人間だからだ。
 今の彼女には、恋愛するにあたって決定的に欠けているものがある。



「…、そういや雅ちゃんリップ変えた?」

「目ざといね。オレンジ系に変えましたー」

「ふーん。いいんじゃね?ちょっと大人っぽくて」

「うん、少し大人の女性を目指してみようと思って」



 ふんわり瞳を細める彼女は、純粋に可愛かった。
 顔の造形は平凡なのに、そこに乗せられる彩りは人の視線を捕らえてやまない。

 こりゃまた腕をあげたなー、なんて客観的に評価しながら、薄く笑んだ。



「いいね大人の女性。…−ちなみにそれは、誰かのために目指してんの?」



 意地の悪い質問だと理解しながら、今日もまた確認をとる。

 己のしていることの愚かさを嘲笑うために。
 何が彼女の幸せで、自分の感情とどう天秤にかけるべきなのか。
 正しい答えを見出して、結論を、出すために。

 いつも通りの葛藤を繰り返す高尾を前に、雅は不思議そうに首を傾げた。



「−…今は自分のためだよ。大体、私にそんな相手ができたなら高尾君なら気付くでしょ」

「あー、そりゃ確かにバレバレだわ」



 長年の付き合いだもんね。

 くすりと無邪気に唇を緩める姿に、安心感と罪悪感が同等に降り積もる。
 いつか、この比率は変わっていくのだろう。
 どちらに転んだとしても、そうなれば取り返しはつかなくなる。

 今が、境界なのかもしれない。


 ピタリ。


 不意に足を止めた高尾に倣い、立ち止まった雅が身体ごと振り返った。



「…高尾君?」

「オレ、雅ちゃんに返さなきゃいけねーもんがあるんだけど」

「え?何か貸してたっけ」

「借りるっつーよりは、“預かる”かもな」



 ますます謎が深まったと訴えてくる視線に、自嘲じみた表情が滲み出る。



「…ごめんね、思い出せない。私は何を預けたの?」

「…」



 ほら、そういうとこ。
 いつ何時、誰に何を言われたって、真剣に向き合うその姿勢。
 その真摯さに、今まで一体どれだけ魅せられてきたか。

 初めて逢ったあの時だって、強すぎて一途なその想いに、心奪われた。



『−好きで仕方ないの!誰よりも幸せになって欲しいけど…私はきっとそれを望めない。弱いから、醜いことを考えちゃうから。こんな思いをするくらいなら、嫌な人間になるくらいなら、っこんな感情いらない。“恋なんて、もうしない!”』



 大粒の涙をこぼしながら、泣き叫んでいた。
 己の醜さを認めた強い弱者の姿に受けた衝撃は、今でも鮮明に思い出せる。
 彼女にこれだけ想われる相手が羨ましくて仕方なかった。

 オレだったら絶対大切にすんのに。

 初対面ながら、そんな想いを抱いて少女を視ていた。

 今の彼女と面影を重ねるように、少しだけ双眼を細める。
 じっと返答を待つ雅に向けて、いつもの顔に作り替えて言葉をのせた。
 できる限りで、普段の調子を織り交ぜて。



「雅ちゃんがオレに預けたのは、“恋心”ってやつだよ」



−度合いは違えど、青春時代にはきっと誰しもが持ちうるであろう感情。

 それを思春期真っ盛りに“預かり屋”の高尾に預けた雅が、恋愛を出来るはずがなかったのだ。
 いち個人としての愛しさや慈しみは感じられても、それが異性への想いに発展することはない。

 “預かり屋”では、依頼者は感情と共にその原因となる記憶も預けることになる。
 心が癒えて、再びその感情を受け入れられるようになるまで預かるのが、高尾が祖父から受け継いだ“預かり屋”だ。
 その感情の返し時を見定めるのも、仕事のうち。
 仕事をやりやすくするために、得意のコミュニケーション力で彼女の隣に滑り込んできた。


−“このままでいたい、いてほしい”


 最終的には依頼者に感情を返すのが目標なのに、それに戸惑いを感じるようになったのは、いつからだったか。

 透き通る空気の中で、時間が動きを止めたかのようだった。
 ぶれない空気は、先程の大告白をちゃんと彼女の鼓膜まで届けてくれたのだろうか。

 気の遠くなるような時の流れの中で、彼女だけが色彩豊かに映る。



「…、−」



 固まる彼女の唇が微かに震えたのを認識して、その一音に備えた。
 僅かも聞き逃すまいと集中力を召集する高尾に対し、彼女独特の柔らかな振動が拡散する。



「−それって、支払いはどうだったっけ?」

「………は?」



 沈黙が、落ちた。
 三度瞬いてから、一旦彼女から視線を外して、再び見つめ直す。

 しかし、その瞳は揺るぎなくいつも通りの色でこちらを伺っていた。



「申し訳ないんだけど、記憶がなくて…それって多分無料ではないよね。前払いだった?」

「い、いやいや雅ちゃん?何かすっげーナチュラルに会話進めてるけど他にリアクションとらなくても大丈夫?つか質問チョイスそれでいいの?」

「え、重要項目だと思うけど。金額によっては少し待ってもらわないといけないかもしれないし。それともタダなの?」

「あ、うんまあ基本的に支払いは金とかじゃねーしもう貰ってるようなもんだからいいんだわ。それより何かこう…もっと他に聞くことない?つーかこんな話本気で信じんの?」



 大らかったって限度があんだろ。

 “恋心を預かっている”だなんて、台詞だけ聞けば下手な口説き文句に聞こえないこともない。
 彼女の事は一般人離れした凡人だと認識していたが、もしかして非凡人な一般人だったか。
 そんな自分でも理解不能な思考の中をさまようが、対する雅はゆるやかに前髪を揺らした。



「信じるよ。これでも、高尾君の冗談と本気を見分けるのには自信あるから」



 日常会話のような穏やかさで、するりするりと滑り抜けていく言霊に、言葉が出ない。
 何か抑えれないものがこみ上げてきて、反射的にその場にしゃがみ込んで顔を覆った。



「っえ!?ちょっと高尾君大丈夫!?」



 慌てて追うように屈んだ気配を感じながら、高尾は唇を歪めた。


−もうほんっと、好きだわマジで。どうすんだよこれ、好きだ、仕事なんて関係ない、どうしようもねーって、これだから、どうして、どうすれば、いつからだっけ、好きだ好きだ好きだ、どうしたらいいか分かんねーくらいに、



「…雅ちゃん、オレが限界。返すぜ」

「−!」



 頬に伸びてきた白い手を捉えて、意識を集中する。

 指同士を伝って、長年己の中に居た“恋心”が彼女の中に吸収されていくのを実感した。
 指先から、肘、肩、鎖骨…。
 彼女に流れていった感情が首もとで別れ、頭部と胸部に到達する。

 それをぼんやりと確認しながら、そっとその手を離した。

 不思議な感覚に驚いたのか、雅は固く視界を閉じて俯いている。
 ちょっとした喪失感を埋めるように、罪悪感が滲んだ。



−依頼者に預かった感情を返すタイミングには、ポイントがある。

 一つ目は、精神的に成長したか。
 感情を返すことはすなわち、当人のトラウマ−傷付いた記憶やその時の感情も甦らせるということ。
 それに耐えられなければ、同じ事を繰り返すだけだ。

 二つ目に、周りの環境と本人の気持ちの変化。
 その感情が欠如しているが為に、新たな未来の妨げとなっていないか。
 雅の件で例えるならば、本来ならば芽生えている筈の恋愛感情を、自覚できない恐れがでてくるのだ。

 預かり屋のタブー事項に関わるのは、特に後者だった。
 私情で客人の未来を奪うことをしてはいけない。
 受け継ぐ際に、祖父から口をすっぽかして聞かされた言葉だ。

 その時は、タブーを犯さない自信はあった。
 己の観察力は自覚していたし、客に対して必要以上に干渉することはないと確信していた。

 それなのに、



「…まさに、じぃちゃんの雷覚悟の事態ってか」



 こんなんバレたら夢に出てこられるなー。

 今は亡き祖父の姿が脳裏を過ぎるも、今は物思いに耽るべき場面ではない。
 恋心を再び宿した、雅の状態確認が先だ。
 呼吸も忘れて見つめていると、下を向いていた彼女の顔が挙がる。

 スローモーションで睫毛を押し上げた瞳には、今にも零れそうな水玉が浮かんでいた。
 噛み締められる唇に、心臓が跳ねた。



「っ−…!」



 やっぱり!やっぱりダメだった!返すには早かったか、泣かしたいわけじゃねーのに、だったらもう一回…!



「っごめん雅ちゃん、」



 再度その感情と記憶を引き取ろうとその手を握ろうとするが、逆に掴み返されて身動きがとれなくなる。
 その両手から微かな震えが振動して、思わず凝視した。



「−っだめ、とらないで」

「何、言って…ツラいんだろ?まだ返すタイミングじゃなかった」

「ちがうよ。“これ”はないとだめ。今の私には、必要だから」



 瞬きすら忘れる状態とは、こういうことを言うのだろう。
 自分が映り込む彼女の双眼に、すべての感覚が狂う。

 その瞳からポロリと大きな雫が頬へと流れ落ちる瞬間までもが、スローモーションで脳になだれ込んだ。



「ずっと、大事に預かっていてくれてありがとう」



 言葉と同時に、両手から首元に移る温度。
 回された白い体温に、とんでもなく思考を乱される。
 お互いに屈んでいるため、身長差は関係なかった。

 今までだって当たり前のように隣にいたのに、触れそうで触れなかった彼女の総てが、ここぞとばかりに纏わりつく。

 案外低めの体温も、みんなに褒められるであろう黒髪も、覚えてしまったシャンプーの匂いも、全身に伝わる鼓動さえも。
 なぜ今まで我慢できていたのか不思議なくらいに、彼女の全てが愛しかった。



「…雅ちゃん」

「なに?」



 焦がれてやまないくせに、彼女を抱き返せない明確な後ろめたさがある。
 再び感情と記憶を受け入れられたことを一緒に喜んでやりたいが、それは則ち、これからの雅の恋愛の可能性を示唆するのだ。
 今までのように隣で笑っていることはできない。

 一層のこと、もう一度恋心を奪ってしまいたいだなんて本心を口にしたら、さすがの彼女も離れていってしまうだろうか。



「オレさ、本当は返したくなかったんだよな。意味分かる?」



 自嘲交じりに自分の罪を告白したが、返ってきたのはいつも通りの笑みだった。



「私に都合のいいように解釈していいのなら、分かるよ」

「だよなー…って、え!?ナニソレ!?」



 頷きかけるが、どうもシミュレーションとズレていた気がする。
 高尾の肩から少し顔を挙げた雅は、しっとり濡れた睫毛を一度上下させてから双眼を細めた。

 悪戯っぽいそれに目を奪われていると、再度肩に重みがかかる。



「−高尾君のおかげでこの気持ちに気付けなかったんだから、責任とってね?」







君の温度にはきっと何度だって恋をする

(…返事は?)
(フツーに幸せすぎて息止まりそう)

だいじ、大事。