◇
休日の昼過ぎ。
特に用事もなくリビング床のフリースペースにうつ伏せていた紫原は、ゴロリと寝返りをうった。
天井を仰いだ瞬間に、自分とは異なるラベンダー色が視界に舞う。
同時に襲う上半身への圧迫感と、服越しにじんわり伝わる温度に、頭に描いていた夕食のビジョンが消え去った。
代わりに視線だけを動かすと、いつの間にやら帰ってきたらしい姉が、右腰から左肩に向けてフィットしている。
彼女は元々基礎体温が高いため、掛け布団並の保温性だ。
そういえば今日は仕事は半日とか言っていた気がする。
「雅ちん重いー」
「シバくよ。あとお姉さまと呼びなさいと何回言ったら分かりますか」
「おねえさまー?」
「はいはいカタコトどうもありがとう」
あー疲れたー。
盛大に溜め息を吐ききった雅は、紫原の胸元で頬をぺたりと潰した。
「しかしまあよく大きくなったね。何コレ森のくまさん状態ですが」
少し身長分けなさいな。
ちょっとした当て付けも兼ねて150センチ台のコンパクトボディを不満げに揺らすが、部活で鍛えている弟の身体には全くの無害らしい。
下敷きになっているにも関わらず、呻き声ひとつこぼれなかった。
代わりに、相も変わらずのマイペースな音が漏れ出る。
「えー大きい雅ちんとか気持ち悪いし」
「何か言ったかしら敦クン」
にょーん。
斜めから覆い被さった体勢はそのままに、彼の両頬に伸ばした指先を左右へ引っ張った。
いよいよ痛覚もなくなってしまったのか。
やはり表情は変わらない。
「動けないんだけどー」
「動く気もなかっただろうに」
これ以上どんなちょっかいをかけても無駄だろう。
そう確信するなり肩の力を抜いて、本格的に体重を預けた。
再び頬を定位置に戻すと、生きている音に耳を澄ます。
小さい頃から、何故か彼のこの音が妙に心地良く、落ち着いた。
暫くは儀式のようにその鼓動に身を委ねていたが、不意に、鼻腔を擽る香りに意識が偏る。
「…なんか甘ったるい匂いがする」
「あー、新発売のポッキー食べた」
「それは聞き捨てならないな。一本渡しなさい」
「もう全部食べちゃったー」
「うわー…よし、じゃあ今から氷室クン誘ってお茶でも行ってこよっと」
「…、」
思いつくなり、起きあがろうと右腕を床とご対面させるが、実行する前に別の力に抑えつけられた。
ぐい。
「ん?」
沸いて出た圧力に視線を流すと、横から背後に掛けてしっかり包囲されている。
いきなり回された両腕により彼の胸へのダイブを強制された。
このままでは窒息死だ。
冗談じゃないと固唾を呑んだ雅は、押し付けられた顔を横に回し、まずは呼吸を確保した。
多少息苦しいものの骨は無事なため、一応手加減という単語は留めてくれているのだろう。
しかしいっこうに弛まないガードに、交渉を試みる。
「……はて、弟よ。動けないんですが」
「動く気なかった癖にー」
「いやいや動く気満々でしょうさっきの台詞ちゃんと聞いていたか」
ギブと突っ込みの意を兼ねてペシリぺしりとその肩を叩くが、反応なし。
こりゃどうしたもんか。
悩んだ末、理由を言えと視線を投げれば、案外素直に通った。
眠そうな目がますます半目になる。
…拗ねている時の合図だ。
「室ちんのとこ行くんなら離さなーい」
意外な答えに思わず瞬きを繰り返した。
幼少時から構いまくっていた賜物なのか、思っていたよりシスコンに育ってくれていたらしい。
「おやま、まさかの嫉妬?」
「そんなんじゃねーし。お茶行くんならまず弟のオレを誘うべきじゃないの?」
「ハイハイ。では、今から姉弟水入らずでお茶なんかどうですか敦クン?」
微笑ましく頬をつつくと、軽く振り払われた。
案外お互い様、だったりして
(そういや、前は私とのお茶すっぽかして氷室クンとバスケ観戦行ってたよね)
(…雅ちんは室ちんの性格知らないから)
ちらちら、ジェラシー。
←→