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ざわざわと色付く人混みの中、雅はひたすら見慣れた背中を追いかけた。
時折足を止めてはこちらを振り返って、自分の姿があるかどうかを確認してくれている。
それに表情を緩ませながらも、やはり何か違う気がした。
一緒に出掛けているのに、この距離感は何だ。
恋人だぞ、一応デートなんだぞ。
ぴたりと歩みを止めれば、前方を歩いていた彼も同じように倣う。
「…どうした?」
「笠松君」
「何だよ」
「はぐれそう」
真顔で言い放つと、笠松は少し困ったように頭を掻いた。
「…もう少しスピード落とすか?」
「これ以上ゆっくりになったら映画の時間に間に合わなくなるよ」
「じゃあどうすんだよ」
「手繋ごう」
「ああ…あ!?」
頷き掛けて、ギョッとする。
まあ、予想内の反応だ。
彼−笠松幸男は、女性が苦手だった。
どんな環境で育ったのは知らないが、高校三年間で「ああ」と「違う」の二言のみで異性との会話を乗り切ったというある意味強者だ。
雅も、彼と会話が成り立つようになるまでどれだけ苦労したことか。
会話だけでその状態なのだ、ちゃんとしたスキンシップなどとれた試しがない。
今日こそはと意気込んだ雅は、尚もたじろぐ笠松に向かって手を差し出した。
「だから手を繋ごうよ、ハンド!分かる?」
「いやそりゃ分かるけど…」
「やっぱりだめか…私のこと嫌いになった?」
しょんぼりと視線を落とすと、今までさまよっていた瞳が一瞬で焦点を定める。
「っそんなことあるわけねーだろーが!」
力のこもった強い双眼と、その真っ直ぐさに思わず耳元が熱を持った。
確かに狙った質問だったが、ここまでとは嬉しい誤算だ。
いつだって真剣で、挫折や大きな壁を前にしても光を失わない。
その目に惹かれて、好きになった。
愛情表現は下手すぎて、こちらから頑張らないといけないけれど。
一緒にいる時は常に気を配ってくれる優しさも感じ取っている。
自分の不器用さを自覚して、後輩や同僚に相談していることも知っている。
この人は、今もこれからも、きっと私を1人にはしない。
そんな謎めいた確信があって。
「嫌いじゃないんだね」
「ああ」
「好き?」
「…んな分かりきったこと聞くんじゃねーよ」
「うん、ごめん。−じゃあ、繋いで?」
「…、……おう」
差し出している手を軽く揺らして主張すると、数秒固まった後、おずおずと手が伸ばされた。
温度が重なって、互いの冷たい体温が交差する。
行進を促すと、ぎこちなく歩き出す背中。
心なしか先程より速いテンポに、堪らず笑みを零した。
「ほら、こっちの方が手っ取り早いじゃない」
「…おう」
歩調が速すぎないか、心配なのだろう。
こんな状況になっても、気に掛けるようにちらりと確認をとる視線は健在だ。
彼の横や後ろを歩く時が、実は一番幸せを感じるかもしれない。
視線が出逢う度に、実感する。
−私は、彼が好きだ。大好き。
「因みに笠松君、手足が一緒に出てる」
「……、そうだな」
あ、多分今お揃いだ。
真っ赤な耳を目にして、無意識的に自分の片耳に触れた。
耳を澄ませて、聞き取ってよ
(私だって心臓えらいことになってるんだから。これでも緊張、してるんだから)
(試合中でもこんな緊張ねーよ)
冷えた指先から伝わる、ひしひしひんやり。
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