◇
太鼓の音、赤や橙の灯り、ずらりと並ぶ屋台。
“静寂”で“賑やか”なその空間で雅は立ち尽くしていた。
確かに自分が来ていたのは“祭り”だった。
今視ている光景も祭りそのものなのに、風景も、人影も、何より空気が違う。
「な…に、」
チラシを見て友人ときた祭り。
携帯が鳴ったから、ちょっと外れた場所に移動して、茂みで何かが足に当たって−…、
だめだ、何回思い出してもワケがわからない。
靄のかかったような思考回路に、歪む視界。
頭痛まで感じて思わずその場に屈み込んだところで、下駄を履く自分の足元に陰がさした。
同時に入り込む、下駄を履いた足。
全く気配を感じなかったことに血の気がひく。
身体が強張り、息がうまくできない。
「っ、…」
「−大丈夫。落ち着いて、ゆっくり息を吐いて」
「!は…」
不意に雅の肩に触れた体温は、紛れもなく血の通うものだった。
落ち着いた声は驚くほどストンと細胞に吸収される。
徐々にリズムを取り戻していく呼吸に加え、うるさく響いていた鼓動もおとなしくなってきた。
それを頃合いとみたのか、自分に合わせて屈んでくれていたらしい“彼”がゆったり言葉を重ねる。
「驚かせてすいません。少しは落ち着きましたか?」
優しい声色につられた雅が顔を挙げると、狐の面が見えた。
それに反応するより先に、視界が暗くなる。
「ひゃ!?え、」
「し…。話は後でしましょう。ひとまず、今はこれを被ってもらえますか」
「あ、はい…」
手探りで顔を覆うものを辿ると、彼の手にかち合った。
先程肩に置かれた掌よりは低い指先の温度に、相手も緊張状態にあることを知る。
渡されたのはどうやらお面らしい。
目の前の彼と同じものだろうか。
彼の誘導で正確な位置に設定されると、視野は狭いが数秒前と同じ世界が広がった。
「少し移動をしたいんですが、歩けそうですか?」
「大丈夫です」
触れるか触れないかの距離でそっと背中を押され、恐る恐る歩き始める。
「あの、あなたは…」
「申し遅れました。オレは赤司といいます。様子からあなたも同じ境遇だと考えて声をかけさせてもらいました」
「あ、こちらこそ。飴凪です。じゃあ、赤司さんも突然この世界に…?」
「はい。知り合いと祭りに来ていたのですが、気がついたら此処に。一瞬でした」
「一緒です。茂みに入った時に足に何かが当たった気がするんですけど…次の瞬間には景色が変わっていて」
「…なるほど。もう少し詳しく話していただいても?」
お互いに経緯を話していくと、共通点は三つだった。
浴衣で祭りに来ていたこと、ひとりになっていたこと、そして直前に何かが足に当たった感触を感じていたこと。
ついでに話の途中で同年代であることも分かった。
明るい屋台側ではなく裏側の茂みを通っていたこともあり、多少おぼつかない足取りで進んでいたが、よろけそうになるとさりげなく補助がはいっていたため今のところ転ばずにこれている。
「っ…と、ありがとう赤司くん」
「いや、構わないよ。こんな格好だし、視野も足場も悪いからね」
優雅に首を傾げる姿に感嘆の息をもらしそうになるが、何とか呑み込んだ。
見るからに育ちのよさそうな彼は、普段から浴衣なんかを着慣れてそうな印象だ。
お面で顔は見れないが、雰囲気や物腰からもかなりイケメンだろうと推測する。
そこまで考えを巡らせてから、ふと雅の中で押し込んでいた疑問が蘇った。
「そういえば、このお面は?」
「ああ、その説明がまだだったね。幸い飴凪さんはまだ“あっていない”ようだが、“ここ”では顔は見せない方が安全らしい」
「えっと…、」
「−噂をすれば、お出ましだ。あまり気は進まないが、これからのことを考えると実際に見てもらった方がいいかもしれないな」
「え、−っ」
彼が立ち止まると共に右手で雅の行く手を制す。
心なしか庇うように立たれたその先、木の陰から面がふたつ覗いていた。
霊感があるとかないとかそんなレベルではない。
まとわりつくような生温い空気に反して一気に粟立つ肌に、ただの幼子ではないことを直感する。
思わず後退しそうになるが、するりと冷たい温度が指先をさらった。
反射的に見上げると、前方を見たままだが意識は確かにこちらに向けてくれているのが分かる。
「心配する必要はないよ。オレから離れないように」
「あ、はい」
「…そんなにかしこまらなくても」
「…、つい」
微かな振動と声色から彼の微笑が伝わって、訳も分からず顔に熱が集中した。
そんな場合ではないと我にかえると同時に、“彼らに”動きがあった。
『遊びましょ、みんなで騒ぐお祭りの』
『この日に楽しく遊びましょ』
『そのかわいいお顔をちょうだいよ』
『その凛々しいお顔も捨てがたい』
『ゲームで勝負』
『屋台で遊ぼ』
『勝ったらわたしの顔あげる』
『負けたらあなたの顔ちょうだい』
ぴょこんと木から出てきた子どもが二人で腕を組んでくるくる回る。
歌うように紡がれた台詞からは、その無邪気さからはかけ離れた内容が垣間見えた。
そのままの意味でとるならば、出逢って間もなく被らされたお面と彼の言っていた言葉の意味が繋がる。
確かにこれは、顔をそのままさらしているのは危険行為だ。
無意識に被るお面に触れると、ひやりと無機質な温度が指先の温度を重ねて奪った。
−これはいわば、一種の御守りだ。
『遊んでおくれるなら着いてきて』
『そうでないならお顔をちょうだい』
ぴたりと動きを止めた子供たちが、背中を向けて振り返る。
お揃いの鬼のお面が屋台の灯りを受けて怪しく輝くのを見て、半歩前の温度に縋るように視線を移した。
「…残念ながらこの状況はオレひとりでは対応できそうもない。何もしなくていいとは言えないが、一緒にいる限り危険な目には遭わせないと約束しよう」
彼の立ち振る舞いや雰囲気のなせる業なのか、不思議なことに先ほどから面の下の表情が何となく想像できる。
恐らく今も、安心感と不敵さを醸し出すような微笑みを浮かべているに違いない。
こんなイケメンオーラをもって、おいで。なんて手を差し出されて断れる女子がいるなら見てみたい。
「…できる範囲で全力でがんばるね」
「頼もしいな」
綺麗な、しかししっかり男性を感じる手を内心ドキドキしながら握り返すと、小さな二つの背中に着いて、屋台の並ぶ祭りの表舞台へと降り立った。
橙色の明るさに目が眩む、ああお面の下の表情は何に彩られているのか。
(あ、こっちの顔は見られているのに不平等だ…!)
(よく分からないが放っておけないな)
からり、下駄鳴るお面鳴る。
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