◇
がらり。
図書室の扉を開けた雅は、次の瞬間には静かに閉めた。
軽く深呼吸を二、三回繰り返し、再び扉に手をかける。
「…えー…」
やはり変わらない景色にがっくりとうなだれながらも、とりあえず室内に踏み込んだ。
後ろ手に扉を閉めるなり、すぐ近くの人影にじとりと目を向ける。
「…花宮さん、説明をお願いします」
出入り口のカウンターにもたれるように腰掛けていた人物がゆったりと顔を挙げた。
無表情だった唇が、視線が交差した瞬間にくつりと歪む。
「−ふはっ、なんて顔してんだよ。いい子ちゃんのオマエがストレス発散できんのなんてこんな日くらいだろうが」
「図書室をこんな異空間にする理由にはなりません」
「別に問題ねぇだろ。今の時間帯にのこのこ出入りするのなんてオマエくらいだろうしな」
「そりゃ図書委員なので。とりあえず戻してください」
「あーあ、めんどくせぇな」
大げさなため息と共に、ぱちんと乾いた音が響いた。
空気の振動と同時に歪む空間。
一面のオレンジ色はどろどろりと溶け、見慣れた景色の色が出てくる。
そこらを浮遊していたカボチャやおばけも弾け飛んだ。
ただ、消える際に種やら果実をぶちまける必要があったかどうかは問いたいところだ。
制服に飛び散った異物に眉をひそめながら、花宮の横をすり抜けて掃除道具入れへと向かう。
かぼちゃおばけたちの破裂に伴って床に残った血文字は流石に消しておかなければ大問題に発展するだろう。
彼の言うとおり、こんな時間に図書室に立ち入るのは自分くらいなものだろうが、誰がいつ間違って入ってくるかもわからない。
そんな可能性にキリキリ痛む雅の胃のことすら見通した上での嫌がらせだ。
「それで、ご用件は?こちらからは一切呼び出していませんが。勤務外じゃないですか」
「まあ仕事にはならねぇな。オレにとっては最高の暇つぶしだけどな」
「ほんとに暇ですよね」
「いい子ちゃんばっかやってるオマエが心配で仕方ないんだよ。ストレスを貯めこんで倒れるんじゃないかと思うと気が気じゃないんだ」
一変して特徴的な眉を寄せ端正な顔を歪める花宮に対し、白々しいと苦笑する。
この演技に騙された初対面時が懐かしくさえ感じる。
モップをかけながら、続くであろう接続詞を先取りした。
「…なーんて?」
「言うわけねーだろバァカ!今年は特別にオレが一緒に回ってやるよ。一応意見も聞いておこうか。誰にどんな悪戯したい?」
「今日は一段と外道顔に磨きがかかってますね。生憎ですが間に合ってます。穏やかに過ごさしてください」
「は!悪魔相手にそんな生温い意見が通ると思ってんのか?まあマゾだっつーならそれにも応えてやれるけどな」
「なにを、」
またいつもの遊びが始まった。
呆れ顔で振り向こうとするが、その前に身体の動きは封じられていた。
いつの間にやら背後には開いた棺が立ちふさがっており、真ん前には花宮が移動している。
手首が掴まれているせいで掃除も進まない。
「trick and treat?」
拭き取っていた血文字と同様の羅列。
選択肢すらない問いかけはいつものことだ。
鼓膜を揺さぶる低音に、白旗をあげた。
「どっちにしろお菓子は持ってないので」
悪魔な彼の本日のお遊び
(あれ…ハロウィンとか関係なくてこれただの日常なんですけど)
(拒否権なんかはもう頭の隅にもねぇだろ?)
かぼちゃよかぼちゃよ、かぼちゃさん。
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