◇
すっかり闇色におちた帰路を急ぐ。
もともと怖がりの部類なのに、あまりに作業に熱中しすぎたせいだ。
肌寒くなってきたこの時期、かさついた空気と冷たさのせいで心細さが倍増している。
いくら通り倒した道といえど、怖いことに変わりはなかった。
「あー…」
こんなことならやっぱり泊めてもらうべきだっただろうか。
心優しい友人の申し出を断ってしまったことに後悔が募るが、決心は揺るがない。
最近は何故か妙な輩に縁があり、やたらと厄介事に巻き込まれる率が増えた。
彼らのことは嫌いではないのだが、万が一友人を巻き込むなんてことになったら取り返しがつかない。
小さく唸りながら足早に進んでいた雅だったが、不意に微かな音をとらえて立ち止まった。
「…、…?」
昔から耳がいいことに加えて最近は更に色んな面で神経が研ぎ澄まされているため、何かと察知する能力には磨きがかかっている。
耳を澄ますと、やはり木々がざわめく。
着実に何かがこちらに近づいてきている。
一瞬彼らの誰かとも考えたが、こんなルートで来るだろうか。
自分の通る道を把握している上、手段は違えど殆どが正面突破の連中である。
彼らでないとすると、全くの新手だろうか。
それとも今流行りの不審者というやつか。
いやな予感しかしなくなり、たまらず駆け出した。
しかし、運動部に所属したこともなく寧ろあちこちで躓くような運動神経の持ち主にとって、暗闇の中でのそれはあまりに無謀な行動だった。
あっという間に日常茶飯事な状況に陥る。
「っ…わ!?」
気がつけば身体は宙に放り出され、上半身が傾いた。
早速何かに足をとられたらしい。
石ころが、道路の凹みか、はたまた誰かが放置した空き缶だろうか。
とりあえず一番痛くないように受け身をとろうと反射で伸ばした腕が、
−温度に触れた。
「っん、ぇ…?」
それが何かを認識する前に力強く引き寄せられ、そのままふわりと世界が回る。
しっかり抱え込まれているためあまり実感はなかったが、恐らく宙返り一回転コースを体験した。
こんな芸当が出来る知人はただひとり。
顔をあげると同時に前髪をかきあげられる。
「…ケガねーだろうなオイ」
「まさかの虹村さん…!」
「おう」
予想外の人物に勢い余って抱きつくが、抱き込まれたままのため体勢はあまり変わらなかった。
危なっかしいのは相変わらずだな。
苦笑と共に、宥めるように頭上でポンポンと温度が跳ねる。
「あー、なんつーか…元気そうで安心したわ。恐がらせたみたいで悪かったよ」
「いいえ!でも珍しいですね。暫くは留守だって聞いてたのに。しかもあんなコースで…」
「ちょっと野暮用っつーか。まあ裏道のお陰で何とか一番乗りだったみてぇだな」
「さすがに身が軽いですよね。他にも裏道いっぱいありますか?」
「ああ、あるよ。また案内してやる。おめーの場合は必要な時もあるだろうし」
「?嬉しいです」
虹村さんとデート!
にこにこと笑う雅に対しやれやれと口元を弛めるが、その目が唐突に真剣みを帯びた。
「で、これからだがちょっとオレについて来い」
「っええ!?」
「んな警戒しなくても、今日が終わればきっちり家に帰してやるから」
「いや警戒とか微塵もないですけど!」
寧ろ家に帰してもらわなくても…。
ぽわんと頬に朱をのせてごにょごにょ口ごもるが、何か考え込んでいるらしい虹村には認識されていない。
そうこうしている内に思考がまとまったのか、降ろしかけていた華奢な身体を再び抱え直した。
いとも簡単に遂行されたそれは、俗に言う横抱きだ。
当の本人はキョトンとしたのち一瞬で我にかえるが、敬愛する虹村との顔の近さに瞠目した。
「ぅあ!?」
「オラ、行くぞ雅。もっとしっかり掴まってろ。落ちんぞ」
「っは…あの、何かもう色々頭が追いつかなくてですね…!」
パニックで最早焦点の合っていない雅に何をを思ったのか。
わざとらしいため息の後に、困ったような微笑と共に更に距離が縮む。
「ふぁ!?にじ、虹村さんっちょ、近…!」
とうとうグルグル目が回り始めた雅の耳に、空気の振動が触れた。
囁くように、いつもより低い音が落とされる。
「…おめー押しに弱いだろ。−守るよ」
「…!!!!」
黒猫は闇に消える
(この人はもう、もう…!とりあえず耳と尻尾触らせてください)
(いくら後輩でも譲れるモンと譲れねぇモンはある)
それはあなただけ、だけよ。
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