◇
さて、そろそろ出ようかな。
完全に日が落ちた外を窓越しに見上げて、雅は腰を上げた。
電気を消し、ハンドバックを片手に自室から出ようとドアノブに手をかけた瞬間、背後から吹き付けた風に息を呑む。
此処は二階で、勝手に窓が開くはずもない。
しかし、自分を覆った影と温度、ドアノブにかかる指先に被された一回り大きい手に、状況を把握した。
「−今夜は一段と綺麗ッスね、雅さん」
「…はあ」
頭上から囁くように降ってきた声に、大袈裟にため息を吐く。
ちらりと見上げると、窓から差し込む月明かりのもと、漆黒の中に金髪が輝いた。
その視線に含まれた感情を汲み取ったのか、ぱっと手から温度が離れる。
「…って、何引いてんスか!?折角ばっちりキメてきたのに、本命に響かないと意味ないっていうか…はあ、難しい」
肩を落としてぼそぼそと口ごもる姿に向き合うように方向転換をした。
相手が屈んでいたため、想像よりも至近距離にきた端正な顔に一瞬だけたじろぐ。
…黄瀬。
呼び掛けるとぱっと顔が挙がり、特徴的な瞳がパチリと瞬いた。
「やっと名前呼んでくれたッスね!でもどうせなら涼太でも、」
「それはどうでもいいけど、毎度窓から入るのやめてね。誰かに見られたらどうするの」
「大丈夫ッスよ。此処に来るまではちゃんと変身してるんで」
「いや、葉っぱついてるし。どこ飛んできたんだか」
目立つ金髪以外は真っ黒な出で立ち。
夜の闇に溶け込む為の服装だろうに、こんな眩しい髪色では意味がないのではないだろうか。
軽く首を捻りながらも、肩や髪についている葉っぱをとってやる。
そんな雅の行動に嬉しそうに目を細めると、黄瀬はそっと彼女の黒髪に触れた。
「ちなみに綺麗だって褒めたのは本心なんスけど。メイクもしてるでしょ?今からどっかにお出かけッスか」
「え、うんまあ…ちょっとしたパーティに呼ばれてて」
「ふーん…それって男もいるんスよね?」
「まあ結構大人数だしね。何人かはいると思うけど。なに、心配?」
「そりゃ心配ッス!そんな格好でこんな時間から男に会うとか…」
「そんな大げさな。黄瀬はノリが軽いから、申し訳ないけど褒め言葉は冗談半分で聞いてる」
「ヒド!?」
魅惑的な容姿に反してリアクションが大きい彼には、楽しくてついつい意地悪を言ってしまう。
こみ上げる笑いを噛み締めていると、不意に空気が変わった。
何がとは言い切れない。
ただ、肌に触る空気が変化したのを曖昧に感じ取った。
雰囲気を変える存在があるとすれば、この空間ではただひとつ。
違和感の正体を確かめようと外れていた視線を戻して−、
その先で笑った双眼に、鳥肌がたつ。
「…でも魅力的に感じてるのは本当ッスよ?今更、誰にも渡す気ないんで」
呼吸もままならない、圧倒的なそれ。
こんなオーラも出せたのかと、朧気になる意識の中で思考がよぎった。
いつも明るくて、軽いノリで口説いてきて、豊富かつ巧みな会話術で笑わせてくれる。
自分の知っている黄瀬は、モデル並みの容姿でこちらの用事もお構いなしに訪ねてきて、キメ台詞を多用する割にヘタレで。
こんな彼は、知らない。
どこからか侵入してきた甘い香りにクラクラする。
今までは黄瀬が“それ”だとは知っていても、彼がそれを雅に感じさせることはなかった。
これが、−吸血鬼の本領発揮というやつだろうか。
いつの間にか再び捉えられた手にすら、意識がいかない。
するりと絡む長い指から、じわじわ冷たい温度が侵蝕した。
「結構我慢した方だと思うんスよね。でももう限界っぽくて。雅さん、気付いてた?今日でオレらが出会ってちょうど一周年なんスよ。本気だって分かってもらうのは今夜って決めてた。だから、」
「っ−黄」
視線にちらつく妖しげな光に、纏わりつく感情に、甘美な薫りに。
ぞくりと這い上がる何かに身震いする。
ゆったりと上がった口角から見え隠れした白が脳裏に焼き付いた。
「−今日はオレ以外には会わせない」
きっと何よりも求めていた、求められていた
(いや本当はそんなの決めてなかったけどそんな姿見たら気持ちも固まるッスよ)
(出会った日に一目惚れしてたなんて一生言えない気がする)
とある夜の。
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