融離


 深く、深く、口付ける。それはまるで心の奥底までを曝そうとしているようで、彼の舌が口内で暴れる度にゾクリ、と得体の知れない底冷えのするような感覚が背を走った。

(――こわい。)

 何が、だろう。自分でも湧き上がる感覚の正体が分からず、けれどそれでもその気持ちは消える事なく絶えず心の中で燻っている。
 粘膜が擦れ合い、やわらかい熱量の塊が絡み、離されてはまた絡め取られ、軽く歯を立てられる。口端からは飲み込み切れなかった唾液が零れ、顎を伝いインナーの襟へと染み込む。僕は何も出来ず、ただ彼の制服を強く掴んでいた。そうしていなければ思考も、思慕も、何もかもを彼に浚われてしまいそうで――こわかった。

 どれ位の間そうしていたのだろう。絡み合う舌が解かれ、触れ合った唇が離れた。互いの唇を繋ぐ銀の糸を彼は容易く指で拭って切る。余韻に浸る様子すら無い彼に僕はずるい、と思いながら、それでもそんな彼が格好いい、とも思った。
 偶然か運命か――僕が憧れ、焦がれていた彼と再会したあの日から1週間。肌と肌を触れ合わせたのは最初の一度だけで、それから僕達は逢う度にこうして口付けを交わす。未だにどうしてそうなってしまったのかは分からない。それでも僕は彼に与えられる触れ合いを気持ちが悪い、と思った事は一度も無かったし、これからもきっとそうなのだろう。
 触れて、口付けて、何もかもを囚われる。――気持ちが良いのか、と問われれば僕にもよく分からない。ただ、こうして彼と――櫂くんと触れあっているとそれだけで不思議と安堵感を覚えるのだ。気持ちいい、というよりは、心地いい、のだと思う。
 ――今、目の前に櫂くんがいる。夢でも錯覚でも幻でもなく、本物の櫂くんが、すぐ傍にいる。触れられる距離に、櫂くんが、いる。それを実感できるから、例えばどうしてこんな口付けの仕方を知っているのかだとか、ほんの少ししか歳は離れて居ない筈なのにどうして経験豊富なのかだとか、――どうして僕にキスをするのか、だとか。色々と思ってしまう事はあっても、その全てが些細に思えてしまう。
 目の前に、本物の櫂くんがいるならそれでいい。理由も疑問も、何もかも吹き飛ばして、その事実だけが僕の中にあるのだから。

「アイチ」

 彼の手が、頬に触れる。それから濡れた唇を拭うように、僕のものよりも骨張った彼の指が僕の唇を撫でる。それから今度は瞼の上に触れるだけの口付けが落ちてきて、僕は恥ずかしさに目を伏せた。
 櫂くんはいつもまるで女の子にするように、僕に触れる。それはどうしたって男の僕には恥ずかしくて、けれど結局嫌では無いから拒絶なんて出来ずに受け入れてしまうのだ。こんな僕を彼はどう思っているのだろう。否定的な言葉を言われるのが怖くて、臆病な僕は尋ねることすらできない。けれどそんな僕を彼は笑うことなく、いつもの凛とした表情のまま僕に触れた。頬に、髪に、唇に、まるで燭台に火を灯すかのように淡い熱量を残しながら。

「……櫂、くん」

 呼ばれた名に応えるように、僕は彼の名を口にした。すると彼はほんの少しだけ何かを言いたそうに唇を開いて、それからまた直ぐにきゅっと口を結ぶともう一度僕の頬へと口付けた。
 何度も何度も顔中にキスの雨を降らせると、それから再び唇と唇が重なる。促すように舌先で唇を突かれ、恐る恐る僕は少しだけ唇を開く。すると直ぐに彼の舌がその間からするりと侵入し、また何もかもを奪い尽くそうとするかのように口内を嬲っていった。
 僕の名前を呼ぶ度に、櫂くんは何かを言いたそうに僕を見る。けれどその先の言葉が紡がれる事はいつだって無くて、まるで言えなかった何かをぶつけるように櫂くんは僕へと口付ける。頭の芯が痺れるような、何もかも蕩けてしまいそうな頭の中で、僕は彼の言葉の先を想像した。
 けれど僕が櫂くんの考えを理解するなんて出来る筈もなく、僕を見つめる彼の瞳があまりにも切なかったから。だから僕はいつもと同じように心地いい熱に流されてしまおうと思考を止めて目を閉じたのだった。





<了/20110112>





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