Rainbow Girl


その手に、頬に、唇に、触れる事が出来たら。どんなにも幸せな事だろうか。


「ミク」

大好きなマスターが、私の名前を呼ぶ。 はい、なんですか。今日も歌のレッスンですか?それとも調整? どんな事でも頑張ります。だって、大好きなマスターの為、大好きな歌う事の為ですから!
……なんて、そんな事は言わない。言えない。だって私は、プログラムだから。
画面越しに、私を――譜面を見て、楽しそうにキーボードに音を入力していくマスター。
マスターのお仕事は世間一般でいう所のサラリーマン。いつも遅くまでお仕事をして、たまに飲み会だとか友達と外出とかをしながらも空いた時間を作ってはこうして作詞と作曲を頑張っている。出来上がった曲は、ニコニコ動画――という名前のサイトにアップロードするんだ、と前にマスターは言っていた。そのサイトには私の兄弟や姉妹、同機種の歌が沢山アップされているらしい。何度もマスターが、私のプログラムを開きながら音楽を聴かせて――いや、単にマスターは自分で聴いていただけかもしれないけど。そうやって、色々な曲を聴かせてくれた。
今作っているのは記念すべき一曲目。普段は音楽に携えないし、住んでいる所は壁の薄い1LDKのアパートだからこうして曲が作れて歌わせられるソフトが出来て嬉しい、とマスターは言う。今作っているのは、アップテンポなラブソング。マスター自身の実体験をほんの少しだけ織り交ぜながら、「この曲を聴いた人が笑ってくれるといいな」なんて言いながらマスターは毎日一生懸命歌を作る。
出来上がった歌はその都度私が歌って、その度にここがよくない、ここはいい、と一人で呟きながらマスターが修正する。毎日がその、繰り返し。

「そう言えばね、ミク。今日はいい事があったんだ」

そう言って、マスターは私を見る。マスターは時々――本当に、時々。私に、話しかけてくれた。マスターは楽しそうに、今日の出来事を話す。その言葉を聴きながら私はいちいち相槌を打ったり、感心したり、……したいなぁ、と思いながらマスターを見つめていた。

本当は、ちゃんと言葉を返したい。今日もご苦労様です。お仕事、大変ですか?無理しないで下さいね。そうですか、そんな事があったんですね。良かったです。ふふ、それは嬉しいですよね。
いいなぁ、羨ましいなぁ。いえ、何でもないですよ。さぁ、続きを。あ、そろそろこんな時間。まだ寝なくて大丈夫ですか?あ、明日はお休みなんですね。じゃあ、今日は目一杯頑張りましょう!

普通だったら、当たり前のように口に出来る言葉。それを私は、音にする事を許されない。どんなに貴方が好きでも。どんなに貴方と言葉を交わしたくても。どんなに、どんなに、恋しくても。私はプログラムだから、ただ貴方の言葉を聴くだけ。貴方の入力した譜面通りに歌って、声を届ける。


マスター。マスター。大好きです。本当は、あなたが大好きです。
いつも一人で頑張ってるあなたを、凄く尊敬してるんです。凄く、大切に思ってるんです。私はただのプログラムですが、それでも。
それでも、あなたが好きだから。


マスターが、今日一日分の譜面を入力し終える。いつの間にか、今日のタイムリミットを迎えていた。 マスターが、私に向かって微笑む。

「おやすみ、ミク」

その言葉に私は今日も何一つ返せないまま、シャットダウンしていく0と1の文字列を眺めていた。





<了/100120>





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