始まりの終わり


「どうせ貴様も、俺の前からいなくなっちまうんだろう?」

今にも泣きそうな声で、アイツはそう言った。
悲壮ささえ漂う笑い顔に、悲惨な顔だななんて冗談が言えれば良かったのに、もうそんなことを言える幼ささえ俺には残っていなかった。
お前のこんな顔が見たくて、ここにいる訳じゃないのに。
心の中で流している涙を、俺は拭えない。確かな距離が、今は俺とアイツの目の前に流れている。

「……」

そんなことない、と。俺はそう、一言だけ言えば良かった。
そうすればこの見えない涙を止めることも、こんな悲しそうな顔を見ることもなくなる。
俺の一言で、アイツは救われるのに。それなのに。

「……ごめん」

俺はその一言が言えなかった。項垂れて、アイツが望まぬ謝罪を口にする。
視界の端でアイツの顔が一層歪むのが、解った。

(泣くなよ。頼むから、泣くな。)

それは俺のエゴだ。泣いているアイツを見るのが辛いから、アイツの気持ちも考えずにそんなことを思ってしまう。
けれどもしアイツがこの場で泣いてしまったとしても、きっと俺はアイツを抱きしめられないだろう。
アイツの言葉を覆すことも嘘を吐くこともできない俺は、ただ途方にくれて涙を流すアイツを眺めるしかできやしない。

本当なら今すぐに嘘だと言って、抱きしめて。
もう何処にも行かないと、お前の傍に居続けると、言いたかった。

……嘘。真っ赤な嘘だ。
真実は、ただこの状況が辛くて重苦しくて面倒で、目の前のアイツに非情だ最低だと非難されるのが嫌なだけに過ぎない。
あんなにも愛していたのに。こんなにも愛しているのに。いつから俺は、こんな風に変わってしまったのだろう。

不意に、アイツが笑うのが視界の隅に見えて、俺はゆっくりと顔を上げる。
アイツは、笑っていた。故意に笑うのが慣れていないせいで、それは酷く引き攣った笑みだったけれど、確かに今アイツは笑っていた。

「――なら、貴様とはここでお別れだ。もう二度と会うこともないだろうよ」
「ッ、万丈」

きっぱりとした口調で告げられた言葉は、今更過ぎる言葉なのに、俺の胸を抉る。
ズキリと走る大きな痛みに、俺は思わず口を開いてしまった。引き止めたって、俺はもう何もできないと知っているのに。
それでも名を呼ばずには、いられなかったのだ。この三年間何度も読んで、慣れ親しんだその名を、もう一度。
けれどそれは、アイツによって遮られてしまう。それ以上先を言うな、とばかりに微笑んでからアイツは俺の声を遮るように言った。

「愛して“た”ぜ。……さよなら」

最後の一言は突き放すように、強い拒絶を込められていた。
颯爽と踵を返すアイツを俺は引き留められなくて、俺の横をすり抜けていくことを許してしまう。
手を伸ばした時には、もう遅かった。ボロボロに解れたコートの端が指先を掠めて、離れていく。
アイツは振り向きもせず、校舎へと戻って行ってしまう。
もう二度と、アイツには会えなくなって、しまう。
今名前を呼ばなければ、永遠に、アイツと俺をつなぐ絆は途絶えてしまう。


――そう、知っていたのに。俺は、名前を呼ばなかった。呼べなかった。
俺の口が動いたのは、アイツの姿が完全に見えなくなってからだった。

「…万、丈目」

今呼んでも、もう意味など無いと言うのに。
追いかければ、間に合うかもしれない。全速力で走ってその腕を掴んで、俺の傍にいろと叫べばいい。
そうすれば優しいアイツはきっと馬鹿者とか言いながら俺を殴って、当たり前だと言ってくれるだろう。
これは自惚れでも何でもなく、本当だ。それだけ俺はアイツを信じていたし、アイツを愛していた。
けれどそれをしないのは、できないのは。何もかもが、過去形だからだ。

俺の恋は、終わってしまった。
一体いつ、何がきっかけだったのかは分らない。
それでも確かに、俺の……俺達の恋は、確かに終わっていたのだ。俺が大人になってしまった時点で、きっと。
だから今の俺に出来ることは。

「万丈目……ッ、………準…」

ただこうして、以前愛したアイツの名を一人呼ぶことだけだった。



<了/080310>





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