稲妻 | ナノ
スラッガー














本格的な夏の、一歩手前。今は7月。雨の降る日が続いた憂鬱な梅雨も終わり、待ってましたといわんばかりに照り付けてくる太陽。砂利の敷かれた白いグラウンドに、その光が反射する。たらり、額に流れる汗を拭って、一人の男と対峙した。ザッ、と足に力を入れる音が聞こえる。オレは両手に掴む棒状の物体をしっかり握り直す。男から放たれたボールが真っ直ぐに向かってくる、今だ、振れ。脳に信号が伝わる少し前に、フルスイング。伝わってからでは遅すぎるからだ。狙いはぴったり当たった。カキーン、とまではいかないが、良い音を立ててボールは飛んでいく。バットから手を離して走る、ボールが地面に落ちた、まだいける。


「ナーイス、一之瀬!」


同じチームの奴が二塁に進んだオレに向かって叫んだ。その声に手を振って応える。次の打者がバッターボックスに入った。いつでも走り出せるように身構え、目を凝らす。一投目は見逃し。二投目は空振り。三投目は、当たった。三塁ベースに向かって全速力で走る。
打ったボールは一、二塁間を上手く抜けたようで、まだ地面を転がっていた。ベースを踏んでそのままホームへと向かう。貴重な1点を奪うチャンスを、逃して堪るものか。ホームでは相手のキャッチャーがボールが返ってくるのを待っている。あともう少しだ、スライディングをしてホームベースを踏む。受け身を取って立ち上がれば、キャッチャーのミットに虚しく吸い込まれていくボールが見えた。


「さっすがサッカー部、足速いなぁ」

「陸上部には負けるけどね」


チームメイト達とハイタッチをして地面に座り込む。体育の授業、ソフトボール。楽しくないわけではない、むしろ楽しいのだが、やっぱりサッカーがやりたいなと思ってしまう。早く放課後になればいいのに。
















昼休み、オレはいてもたってもいられなくなってしまい、職員室で鍵を借り部室へ向かった。室内へと入って電気のスイッチを手探りで探す。明るくなった部室を見回してから、ボールを一つカゴから取り出し、おもむろに足で弄ぶ。足の内側で蹴り上げれば、白と黒のツートンカラーの球体は目線の高さまで上がり、落ちる。ボールが地面に着く前に再び蹴り上げる、その繰り返しだ。
ポーン、ポーン、静かな室内に音が響く。上がったボールを手で上手くキャッチし、扉へと向かいノブに手を伸ばす。しかし、ノブに触れるその前に、ガチャリとそれは回った。誰か来たのだろうか。少しだけ開かれる扉。


「あ、」

「げっ」


半開きの扉から覗いた顔は、よく見知ったものだった。同じサッカー部で、そのうえオレの恋人(のはず)なわけだから、ここで出会ったとしてもなんらおかしいことなどない。ただ、彼が物凄く嫌そうな表情を現在進行形でしているのは何故なのだろうか。普通、恋人と出会って、さらに二人きりなんてことになったのなら喜ぶのではないか。まぁ、オレ達にその一般が通じるのかどうかはこの際別としておいて。


「げっ、て‥‥‥酷いなぁ。そんなにオレと会うのが嫌?」

「どちらかというと嫌」


あっさりとそう言いのけて、部室に入ってくる。オレの横を何も言わずに通り過ぎ、椅子の上に置いてある荷物を漁っている。どうやら体操服をここに忘れてきてしまっていたらしい。
ごそごそと動いている彼を横目に、頭の中では様々な考えが飛び交っていた。会うのが嫌、ということはオレのことが好きではないということか。好きなら会うのを嫌がる必要性など全くないだろう。ならば、オレは勝手に告白をOKしてくれたものと思い込んで、恋人になったのだと浮かれていただけだということになる。だが、あの時確かに彼は頷いた。オレの問いにも、自分の気持ちにも、しっかりと肯定の意味での頷きをくれたはずなのだ。
しかし、だ。彼はその後、気持ちを伝えるような行動をしてくれたか?オレの気持ちに応えてくれるような言葉をくれたか?答えは、完全にNOだ。あの告白の時間は単なる夢で、実際にはなかったことなのだと言われても簡単に信じてしまえるほど、彼からのアプローチは皆無だった。

そこで一つの結論に達する。結局、彼は流されただけだった。一時の感情とオレの推しに、流されただけ。それだけのこと。少しは好意は持ってくれていたのかもしれない。けれども、それが果たして告白に頷くくらいのものだったのかは定かではないのだ。その場の雰囲気に呑まれた、ということだって充分にありえるのだから。
用事が済んだらしく、荷物を椅子の上に置き直して体操服を畳んで去ろうとする彼を引き留める。先程のように表情に嫌悪感は見えないが、好意的な様子もない。向かい合って、しばらく沈黙が続く。用があるなら早くしろ、とでも言いたげに首を傾げている。


「半田はさ、本当にオレのことが、好きなの?」


本当はオレのこと、好きじゃないんだろ?そう言おうと思ったが、無理だった。少しでも、同情でも良いから、好きかどうかという問い掛けに肯定して欲しかった。‥‥同情でもいいなんて真っ赤な嘘だ。彼が再び流されてくれれば。もう一度だけ頷いてくれさえすれば。

(オレは、それで満足するのか?)

まさか、満足などするはずもない。彼の口から言葉が聞きたい。好きだと、言って欲しい。
半田はすぐには返事をしなかった。顔を見るのが怖くて横を向いてしまったオレには彼の表情はわからなかったが、もしかしたら呆れ顔でもしているのかもしれない。ちらり、横目に入る姿。動く気配は全くといっていいほどない。


「‥‥‥半田?」


放心状態、と言えばいいだろうか。目を見開いて停止したままの彼に恐る恐る声をかける。近くに寄ってみるも、微動だにしない。この反応は予想外だった。第一、肯定か否定かを判断することが不可能だ。どうしようか、そう考えているうちに、半田は何故か身を縮めてうずくまってしまった。


「どうしたの、なにか‥‥」


目線を合わせるようにしてしゃがみ込む。すると、半田の肩が震え始めた。どこか痛いのかもしれないと思い、肩に手をかけ顔を覗き込んだ。彼は、泣いていた。抱えられた体操服が涙で濡れていっている。声を出さずにしゃくり上げて泣く半田に、オレは一体どう対応していいのかわからなかった。
泣きたいのはこっちの方だ。


「オレが変なこと言ったなら、謝るよ。でも、」

「じゃなかったら付き合わねーんだよ、ばかっ!」

「え?」


いきなり立ち上がって言われても、頭がついていかない。ああ、さっきの問い掛けに対しての返答ということか。好きじゃなかったら付き合わない、これはオレが好きだからあの時頷いたってことだろう。でも、だったら何故泣いているのか。泣く原因はどこにあるのか。


「‥‥‥告白されたとき、本当は嬉しかったんだ。おまえのこと好き、だったから。だから、これは夢なんじゃないかって思った。その後も考えたんだ、さっきのはなにかの間違いで明日になったら嘘でした、なんて言われるのかも、とか。罰ゲームかなんかで男に告白してこいって言われたのかも、とか。一之瀬がそんなやつじゃないってのはわかってたんだ、わかってたし、信じてた!‥‥‥けど、やっぱり嘘だったんだろ?いつまでもあの言葉を信じ続けてる俺に飽き飽きして、あんなこと聞いたんだろ?俺のこと、男が好きだなんて気持ち悪いって、」

「違うっ!」


見下ろして涙を流しながら一気にまくし立てる半田の台詞を遮る。ゆっくりと立ち上がって表情を窺ってみれば、オレの叫ぶような声に驚いたのか瞳が零れそうなくらいに目を丸くさせている。擦ってしまったせいで赤く腫れた目許が痛々しい。


「違う、違うんだよ‥‥‥オレはそういう意味で言ったんじゃないんだ」

「だったらどういう意味なんだよ!」

「じゃあ逆に聞くけど、なんで半田はオレと会うのが嫌だって言ったの?なんで好きってことを言葉で示したり、オレに応えてくれないの?好きなんだったら少しくらいは言動に表してくれないとこっちだって不安になるに決まってる!」


喋る勢いが強すぎたのか、半田はびくっと竦み上がってしまった。後悔先に立たずとはこのことだ。決して怖がらせたかったわけではない。とりあえず、強張った体を正面から掻き抱いてみる。抱きしめてから再び後悔。近い、近すぎる。いつもなら後ろから普通に抱き着いたり出来るのに、意識するとこうもドキドキするのか。
しばらくそのままでいると、少しは落ち着いてきたのか半田の肩の力が抜けてきているのがわかった。この体勢では顔は見えない。だが、もう泣いてはいないようだ。


「‥‥‥さっきは怒鳴ってごめん。オレだって、好きでもない男に告白しろなんて、命令されたって絶対にしないよ。半田のことが好き、これはオレの心の底からの本音なんだから」


そう言って、優しく頭を撫でてやる。暗い茶色の髪の毛が、指の腹に触れて流れる。ぽすり、肩に頭が置かれた。手はオレのシャツの胸の辺りを握りしめている。かなりの力だ、シワになっているかもしれない。彼は今、何を思っているのだろうか。横から、くぐもった声が聞こえてくる。


「もし、おまえが‥‥俺のこと好きでもなんでもなかったらって思うと‥‥‥自分の言いたいこととは逆の言葉が出てくるんだよ。それと、恥ずかしい」

「ねぇ半田、オレのこと好きだよね?」

「‥‥‥すき、だよ」

「また泣いてるの?嬉し涙?」

「泣いてねーよ、ばかのせ!‥‥‥あ、あの、さ。もうちょっとだけ‥‥このままがいい」

「もちろん、仰せのままに」



半袖シャツの肩に、液体が染みていくのを感じた。












(オレは上手く打ち返せていますか?)



(090718)


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キリ番9000を踏んで下さった傘子さまに捧げます。
夏なので夏っぽく。
最初にやってるのが野球じゃなくてソフトなのは、私の学校の体育の授業でやっているからです。