稲妻 | ナノ
好きだ好きだそれなのに!














次々と部室内に一言挨拶をして帰っていく部員達。そんな彼等を横目に、俺はのっそりと帰宅の準備をしていた。部室にはまだ話し足りないという奴らが何人か残っている。円堂と、それに付き合っている風丸。宍戸や栗松ら一年生は何やらゲームの話で盛り上がっているらしい。
すっかり帰る支度が調ってしまった俺は、他には特にやることもなく皆にまた明日とだけ言って部室の扉を開いた。背中に円堂達の声を受けつつ扉を閉める。外には誰もいなかった。いつもなら、どんなに俺が遅くなったって、あいつは入口の近くの壁に寄り掛かって、一緒に帰ろうと言ってくれるのに。あいつは、いない。









全ての原因は昨日の俺にあった。俺はあいつ‥‥一之瀬と喧嘩をしたのだ、しかも馬鹿馬鹿しいくらいに小さなことで。
昨日の帰り道、俺と一之瀬は本屋に寄っていた。別に俺には行く必要性など無かったが、なんでも欲しい雑誌が発売したらしく着いていく羽目になったというわけだ。雑誌のコーナーで立ち読みを始める一之瀬に正直言って俺はいらついていた。部活が長引いたこともあってか、時間は午後6時を回っていた。だから早く帰りたかった、というのはいまでは言い訳にしかならないかもしれない。苛々が頂点に達した俺は、待ってやっているんだから早くしろというような意味の言葉を口にした。その時の一之瀬の返事は、

「別に無理矢理連れて来てるわけじゃないんだから、嫌なら来なければいいのに」

確かこんな感じだったと思う。普段俺の前ではニコニコと笑ってばかりの一之瀬が、眉を顰めてそう言ったのだ。やってしまった、と思ったが、そのまま一之瀬は何も無かったかのようにレジへと向かっていったので、胸を撫で下ろした。‥‥‥これで終わりだったら喧嘩とは言えないだろうが、まだこの話には続きがある。
家の方向の関係で別れる地点まで着いた時に、俺はいつもと同じように別れの言葉を述べて見慣れた自分の家へと続く道に入ろうとした。背を向けてすぐに、一之瀬に呼び止められた。不思議がっていた俺に投げられた言葉。明日は一人で帰って。それを上手く受け取ることが出来なかった俺は、暫くの間動けなかった。
去っていく一之瀬の背中が見えなくなったころにやっと理解した言葉の意味。理解した途端、その場にいることが辛くて家へと走った。何も考えられないくらいに全速力で走り、家に着いた頃には息切れ状態だった。頭が整理されていく中で、たった一つ確かなことは、俺が一之瀬を怒らせてしまったということだけだった。









それから今に致るまで、一之瀬とは会話という会話をしていない。練習中に二言三言交わした言葉などは、会話とはいえないものばかりだ。
校門の辺りまで歩いてきたところで、もしかしたら待っていてくれてるんじゃないかなどと期待してみるがそんなことは毛ほどもなく。あたりまえのことに深く溜め息をつくが、同時にあいつの一挙一動にこんなにも揺り動かされているという事実を認めたくない自分がいる。
もし、明日も一人で帰ってくれと言われたらどうしよう。そのあともそう言われ続けて、いつの日か何も言われなくなって。ある日見かけたあいつの隣には可愛い女の子が笑っていたりして。そこまで考えて再び溜め息。いくらなんでも痛すぎる。
気がつけばいつもの分かれ道までやってきていた。一度止まって、一之瀬が歩いていったであろう道に視線を向けるが、当然あいつの姿は無かった。






次に周りを見渡した時、俺は一之瀬の家へと続く道の上を歩いていた。長く真っ直ぐ続く道の突き当たりに達したところで、ふと足が止まる。左右に延びる道を交互に見比べるが、残念なことにどちらに行けばいいのかわからなかった。一之瀬宅には何度か行ったことはあるが、話に夢中だったのか全然覚えていない。‥‥もしかしたら、一之瀬と一緒にいるときはいつもいっぱいいっぱいなのかもしれない。せっかくここまで来たのに、と肩を落とす。頭を垂れると、足元に自分のものではない影が伸びていた。


「あれ、どうしたの?」

「い、一之瀬!?」


聞こえた声に慌てて振り向けば、不思議そうに首を傾げた一之瀬が立っていた。いきなりの登場に半分パニック状態になりつつも、長いこと壁とにらめっこしていたという不審者丸出しの行動をごまかすべく笑みを浮かべてみるが、上手く力が入らない。きっとこれ以上はないというくらい酷い顔をしているだろう。一之瀬はというと、喧嘩する前までと変わらない様子で俺に話し掛けてくる。昨日は突き放したくせに、なんなんだ一体。


「それにしてもさ、なんでこんなところで壁と睨み合ってたの?」

「え、それは」

「もしかしてオレの家に行こうとしてたとか?」

「いや、うん、まぁ」

「で、覚えてなかったと」

「はい‥‥‥おっしゃるとおりです」


ことごとく見透かされて小さくなっている俺をよそ目に、一之瀬は声を出して大いに笑った。ひとしきり笑い終えると、手に持っていた物を俺の顔の前へと持ち上げる。目の前に突如として現れたそれに少しびっくりしたが、よく見てみればそれは近くのCDショップの袋だった。袋を下げて一之瀬が言うには、今買ってきたらしい。


「昨日遅くまで付き合わせちゃったから。ほら、さすがに二日連続は怒るかなと思って」

「要らぬ心配だったってことかよ‥‥」


今まで悩んでいた自分が馬鹿みたいだ。最初から喧嘩などしていなかったのだ、彼の中では。一気に肩の荷が下りる。気の抜けたような表情をしていたであろう顔で一之瀬を見遣ると、意味ありげに口許を緩ませていた。訝って目を細めれば、一之瀬は口を開いた。


「嫌われたと思った?」

「は!?ないない絶対ない!」

「ははは、わかりやすいなぁ」

「だからないってば!」


必死に弁解しようとするも、聞き入れてくれる気配はない。頭を撫でて、まるで俺を聞き分けの悪い子供かのように扱ったかと思えば、急にこちらがどきりとしてしまうほどにかっこいい表情を浮かべる。だいたいこういう時は決まって砂を吐くのではないかというくらい甘い言葉をさらっと言うのだ。一之瀬とはそういう男である。ただひたすら頭を撫で続ける一之瀬に痺れを切らし、手を払いのけようとする。すると意外なことにあっさりとその手は去っていった。


「ったく、いい加減にしろよな‥‥」

「ねぇ、半田」

「何」

「好きだよ」


突拍子もない発言に一瞬固まる。馬鹿なこと言うなよな!とごまかしてみたが、多分隠せていないだろう。どうしようもなく嬉しいと感じてしまった。そして、素直に俺も好きだよと言えない自分に呆れる。何も伝えられなくて後悔するのは自分なのに。






好きだ好きだ
それなのに!




どうしてこの気持ち、伝えられない?






「わかってるよ」

「え?」

「半田がオレのこと大好きなことくらい」

「‥‥‥」

「あれ、言い返さないの?珍しいね」

「察してくれ」

「うん、察した。‥‥‥かわいい」

「なに?」

「なんでもないよ」



(090626)