稲妻 | ナノ
愉快な恋の話














消えてしまいたいと思った。今日の出来事を全て忘れてしまえばいいのにと。俺だけではなく、他の皆の記憶からも抹消されてしまえばいい。そう思った。けれども現実は何も変わらなくて、俺の脳裏には消え去ってほしいあのシーンがちらちらと見え隠れする。そうすると何故か顔が熱くなっていき、羞恥が込み上げてくるのだ。あの時あいつが口にした言葉も、動作も。全部を頭は覚えている。そして思い出す度に体温は上がっていく、その繰り返し。俺は悪循環から抜け出せないでいた。

好きなのだと言われた。無駄に爽やかな笑みを称え長々と語った後に。長ったらしい彼の言葉は俺について細かく述べられていて、何度もうやめてくれと思ったことか。この気持ちわかるだろ、答えを聞かせてくれ。そう言われても心当たりのなかった俺は視線でそれを訴えたのだが、返ってきたのは到底わかるはずのないことだった。最初は好きの意味がわからなくて困惑していただけだったが、奴はあろうことか俺の頬に、キスをしたのだ。

(うわ、恥ずかし‥‥)

勢いよく顔を枕に埋める。あの後は本当に放心状態だった。多分円堂と風丸が来なかったら、日が沈むまでそのままだっただろう。二人にもかなり不審に思われていた。むしろ逆に心配されてしまったくらいだ。大丈夫か、どこか悪いのかと何回も問い質され、だからといって本当のことを言うわけにもいかず、逃げるようにして部室を後にした。告白した本人といったら、自分の想いを告げるだけ告げて去ってしまっていたのだ。本当は今すぐ返事が欲しいところだけど明日でいいよ!などという言葉を残して。何が明日でいいよ、なのだろうか。よく考えてみれば、告白の翌日に返答を求めるなんておかしくないか。普通は一週間後とかじゃないのか。‥‥ここまで考えておいて、男に告白されたってのに、そこについてはなんにも触れないのかよ、と自己嫌悪。男に告白するあいつも大概だが、じゃあ男に告白されて顔が熱くなる俺はなんなんだ。

「俺はホモじゃ、ない‥‥」

途中まで意気込んでみるが、語尾はまるで水蒸気のように空中に霧散してしまった。どんなに思考を巡らせても、答えは見つからない。いや、答えなんてものは存在しないんだ。だって、俺があいつを好きになるなんてありえないことなんだから。そう自分に言い聞かせて、まどろみの中へと意識を手放した。












次の日、俺は上手いことあいつとの接触を避けてなんとかやり過ごしていた。放課後になってしまえば逃げ場はないのだとわかってはいたが。昼休みも給食を早く食べて人の少ない図書室に逃げ込んだ。掃除の時間や移動教室の時だって、俺は今までにないくらい細心の注意を払って行動した。だが、どうにもならないことが一つ。帰りのホームルームの長さだけは、自分で短くすることができない。教室の前の廊下を、他のクラスの生徒が喋りながら歩いていくのがわかる。嫌な予感がした。起立、礼の合図と共に鞄を手にして教室の出口へと向かう。一歩踏み出して方向転換しようとした瞬間、何者かに腕を取られた。


「おはよう、今日会うの初めてだな。部室まで一緒に行かないか?」

「い、一之瀬‥‥」


やはり、嫌な予感は的中していた。逃げるのを諦めて、隣に並んで部室へ向かう。横目で相手の表情を窺ってみれば、なんとも嬉しそうに笑っているではないか。顔は、まぁカッコイイし、サッカーも上手くて頭も良くて、女の子にもモテそうなのに。頭良いやつの考えることってのはよくわからない。天才と馬鹿は紙一重っていうのはこういうことなのか。


「ねぇ、聞いてる?」

「え、ちょ、うわっ!」


ぼーっとしていたら一之瀬の話を完全にスルーしていたらしく、不満そうな声が耳に入る。俺は目を見開いて後ずさった。なんたって、一之瀬の顔が目の前にあったのだから。驚きのあまりに尻餅もついてしまった。思わず周りを見渡すが、人の視線は感じない。一安心していると、手が差し出された。遠慮なくその手を借りて立ち上がって睨みつける。


「お前、近すぎるんだよ!」

「え、そうでもなかったと思うけど」

「いーや、近かったね!‥‥何、もう手離していいんだけど」

「それはさ、オレのこと少しは意識してくれてるってこと?」

「はぁ?」


掴んだ手を離さず、いきなり真剣な表情になった一之瀬に焦る。握られた手からどんどん体温が上昇していっている気がして、今すぐ振りほどきたかったが意外と強い力で掴まれていてそれは叶わなかった。俺はお前なんか好きじゃないんだ、と言おうとしても、言葉が喉に引っ掛かってしまう。あまりにも真剣すぎる一之瀬の瞳に、流されそうになる。


「昨日の返事、聞かせて欲しい」

「お、れは‥‥一之瀬に、恋愛感情なんて持てないよ。男だし」

「オレは男だ女だなんて関係なく、半田だから好きになったんだよ」

「どういう意味?」

「きっと半田が女でも告白してる。でも、女であってほしいとは思わない。今目の前にいる半田真一が、好きなんだ」


物凄く恥ずかしいことをさらっと言ってのけたこいつは、本当に馬鹿なんじゃないだろうか。頭沸いてるんじゃないだろうか。一之瀬の塞がっていない方の手が、ゆっくりと上がってくる。熱を発する俺の頬に添えられたそれは、冷たくて気持ちいい。こんなこと考える俺も、大概おかしいのかもしれないが。


「こうやって触られて、嫌な気持ちになったりする?昨日もキスされてどう思った?嫌だった?」

「え、いやでは、なかったけど」

「男にキスされて嫌じゃなかった時点でどうかと思うけど」

「俺もそう思う」

「それはオレのことが好きだからじゃないの?好きだから嫌じゃなかった、」


違う?と問われれば、黙るしかない。俺は一之瀬のことが好きなのだろうか。わからない。沈黙をどう受け取ったのかは知らないが、一之瀬は俺から手を離し、鞄を担ぎ直した。


「とりあえずさ、部活行こうか。準備しなきゃ。続きは帰りに話そう」

「そうだな‥‥」


一歩前を歩く一之瀬の背中。俺はいったいどうしたらいいのだろうか。








(俺は、一之瀬が、好き?)





(090526)

***
続くよ!