※ある曲を元にして書いたものです。曲のイメージを損なってしまうかもしれませんが、それでも良い方はどうぞ。 ※完全なるパラレルワールドです。
今、私には気になっている人がいる。といってもよくある幼なじみだとか、同じ学校の同級生、或いは先輩後輩、というわけではない。 ある日、いつもより早く起きてしまった時に、一本早い時間のバスに乗った。そこで出会ったのが、彼だった。一目見て興味を持った私は、それからずっと早めのバスに乗っている。見ていて気付いたことといえば、どうやら彼は私が降りるバス停の三つほど後にバスを降りているらしいということ。鞄に付いていた校章が、そのバス停の近くにある私立のものだったからだ。 だいたい、同じバス停から乗るのだから、家もそんなに遠くはないはずだ。しかし、小学校や中学では見たことがない。多分最近越してきたのだろう。そしてその後、彼とは意外な所で出会うことになる。
サッカー部のマネージャーをしている私はもちろん練習試合のときも大忙しだった。小中学校では女子のサッカークラブがあったのでプレイヤーとして参加していたが、高校ではそうもいかない。 少しでもサッカーに触れていたくてマネージャーになったはいいものの、正直言うとかなり大変だ。時期によってはレギュラー以外の部員よりは遥かに運動量が多いかもしれない。
その日の練習試合の相手は、例の近くの私立校だった。そういえばあの人は何部に所属しているのだろうか、と大量の空のボトルを運びながら考えていた時、到着したばかりの相手校の生徒達が目に入った。挨拶をしながら横を通り過ぎようとして、生徒の一人と目が合った。そう、あの人だったのだ。 頭を下げてこんにちは、と言うと同じ言葉が返ってきた。浮ついた気持ちを抑えて足を進めれば、背中のほうから会話が聞こえてきた。今の子、知り合い?同じバス停から同じバスに乗っているから近くに住んでいるみたいだが、話したことはない。そんな内容が聞き取れた。覚えていてくれた、それだけで私の心は鞠のように弾んだ。
そんなことがあってから、私達はバス停での待ち時間などに少しずつ話すようになっていった。きっかけというのは案外小さなもので、この間はお世話になりました、と言うだけでなんだかんだ話は広がっていったのだ。 彼はあまり自分から話そうとはしない。どちらかというと聞き手になることが多いらしい。確かに見るからにクールで無口、という言葉が似合うわけだが。学年を聞かれて私が一年だと答えた時に、同学年なんだから敬語は使わなくていい、と言われたのが初めての向こうからの話題だった。他に話題といえば、専らサッカーのことばかりだった。もうすぐ始まる大会についてだとか、今年はあそこの学校が強いらしい、だとか。
学校のある日は毎日、バス停で彼と話すのが日課になっていた。今日もそのつもりだったわけなのだが、いつもより15分も遅く起きてしまった。この時間ではバスに間に合わない。仕方ない、今日は諦めよう、と普段なら簡単に言えるがそうはいかない理由がある。 明日から、夏休みが始まってしまう。夏休みに入れば、部活の練習で学校には行くものの、時間が上手く重なるとは考え難い。今日会えないとなると、次に確実に会えるのは夏休み明け。一ヶ月以上も間が空いてしまう。全力で走ってでもいいから、今日会わなければ。
朝食をバナナで済ませて、急いで着替えて鞄を引っつかむ。買ったばかりの新しい黒のローファーを履けば、準備は完了。バスの定期はしっかり鞄に入っているだろうし今日は特に必要な道具もない。最後に玄関に置いてある時計を覗けば、バスが発車するまであと僅か。でも、走れば間に合う。
「いってきます」
「ちょっと、朝ご飯それだけでいいの?」
「いらない!」
勢いよくドアを開く。閉まるのを確認する前に走り出す。バタン、ドアが閉まる音が聞こえた。足を踏み出す度にひょこひょこと寝癖が跳ねる。髪の毛をとかしている時間などなかった。下り坂を走るのは危険だとわかっていながら、逸る足を止めることはできない。あのバスに間に合わないと、私の頭はそのことでいっぱいだった。 昨日の夜の雨がまるで嘘だったかのような快晴。太陽の光を反射している無数の水たまりを避けて、ひたすらに走る。そこの角を曲がればバス停はすぐだ。障害物はただ一つ、大きな水たまりのみ。おろしたてのローファーをなるべく汚さないように、水たまりを見て跳ぶ。跨ぎきれなかったために、ぴしゃりとあがる水しぶき。水面に写る、快晴の空に浮かんでいる雲がゆらり、波打った。
「痛っ」
着地して一歩進もうとしたその時、頭に衝撃。何かにぶつかった。慌てて顔を上げると、人の背中のようだった。ゆっくりと振り向いたその人と、目が合う。どきり、心臓が大きく高鳴った。 時間がスローモーションに過ぎてゆく。持っていたはずの鞄は気付かぬうちに手から落ちてしまっていた。たった一秒、もしかしたらそれ以下だったかもしれない。それなのに、永遠に続きそうな、そんな感覚がした。 まぁ、実際にはそんなことはないわけで。永遠の一秒が一瞬にして過ぎ去ったあと、気まずくなっておもわず逸らした視線の先にあったのは、私があげた水しぶきの被害を受けたびしょ濡れになった彼の靴。何も言わない彼に、私はハッと我に返る。俯いてる場合なんかじゃない、彼の靴を濡らしてしまった。
「ごめん!怒ってる、よな‥‥?」
咄嗟に口から出た言葉は、焦りと緊張で震え、早口になってしまっていた。呂律も回っていない。恥ずかしい、顔は林檎のように真っ赤になっていることだろう。いっそのこと、この場から走って逃げてしまえればどんなに楽だろうか。しかし、私の脚はそれを許してはくれない。動くことが、出来なかった。
「下、向いて走るなよな。危ないだろ」
「あ‥‥‥」
少し溜め息雑じりに、呆れ顔で言いながら水浸しの私の鞄を拾い上げる。ただ目で追うだけで精一杯だった私は、差し出された鞄を受け取れないまま突っ立っていた。片手をポケットに入れたまま、鞄を差し出す彼。先程までの呆れ顔はどこへやら、珍しく小さな笑みを浮かべている。(といっても、普通では全くもって気付かない程度の変化なのだが。)
「ほら、鞄。ちゃんと持て」
「あ、ありがっ‥‥‥!!」
両手で恐る恐る鞄を受け取り、お礼を言うために再び顔を上げる。いざ言おう、そう思って口を開いた瞬間に頭の上に大きな掌の感触。ポン、と優しく叩かれた頭の先から衝撃が駆け抜けていく。思考が止まる、油断していた。私の周囲だけゆっくりと時間が進んでいるような、不思議な感覚に陥る。バス停の方向へと向き直る彼すらぼやけて見える。 右頬を抓ってみる、痛い。夢じゃ、ない。舞い上がる気持ちを無理矢理に落ち着かせる。胸の鼓動は逆に早くなるばかりだ。心臓の音がドクンドクンと体内から耳の鼓膜を刺激する。気が付けば、私の右手は彼のシャツを後ろから引っ張っていた。
私たちの間を一筋の風が通り過ぎてゆく。さわさわと緑の木の葉を揺らすいたずらな風は、私の頭に雨露を落として去っていった。そんなのもお構いなしに、私は振り返った彼を見上げる。こちらに向いている瞳を、真っ直ぐに見つめた。教えてくれるものなら、教えてほしい。正面切って言えるものなら、言ってしまいたい。
(なぁ、これって恋、なのか?)
遠ざかっていた音が、景色が、世界が、戻ってくる。心の中で投げかけた問い掛けへの返答なんてあるはずもなく、私は恥ずかしさでいっぱいになった。周りから見ればとんだ変人だろう。 気付いてほしい、気付いてほしくない。二つの感情がせめぎ合う。結局私の中では気付いてほしくない気持ちが上だった。だって、もしここで私の想いに気付かれて、気まずくなって、話さないようになってしまったら。そんなの、絶対に嫌だ。慌てて後退りをして、彼との距離を広げる。
「な、なんでもない!」
手を振ってごまかそうとするが、彼は動かない。まずい、ばれたかもしれない。お願いだから、気付かないでくれ。これはもはや神頼みの域だ。頭の中で手を合わせて祈る。多分、耳の先まで赤くなっていることだろう。自分でもわかる。顔が異常なまでに熱い。 上を向くことが、出来ない。視界に入っているのは、乾きかけのアスファルトと彼の脚だけ。今度こそ怒っているに違いない。彼の足が動く。早歩きで行ってしまう彼のあとを、少し遅れて追いかけた。停留所の前で佇む彼。発車したバスの後ろ姿が見える。
「遅刻、か‥‥‥」
「‥‥‥、はい!」
元気よく返事をした私。彼はどんな表情をしているだろうか。でも、これはきっと神様から私へのプレゼント。だって私はこんなにも、
う れ し い !
前言撤回。やっぱり、気付いて。
(090722) by supercell/「その一秒、スローモーション」
*** 桂馬さんに捧げます。 曲知らなくても大丈夫なように書いた、つもり。 ちなみに単純な女体化ではなく「女性化」なので一人称は「私」です。 私の中で女体化ってのは外見は女だけど中身はそのまま、っていう認識です^^
|