蝶よ花よ


身を隠さねばならなかった時分に、一度だけ女の格好をしたことがあった。以蔵にはとても見せられないと憤慨していたが、そんな僕を見て龍馬は笑うばかりだった。そう怒らずに堪えてくれと、言うも彼は笑っているのだ。僕の機嫌は悪くなるばかりだった。そしてそんな時に限って、道すがら高杉さんに出くわしたのだから、僕の運は相当に無いのだと思った。

「坂本と、武市、か?」

少しばかり驚いた様子で、高杉さんは口を開いた。
そして僕の姿を不思議そうに、上から下まで眺めてみせる。けれどもそれも一瞬のことで、すぐに僕の状況を把握したのか、彼は食えない笑みを静かに浮かべるばかりだった。
そうされる一方で、僕は何をしていたかと言うと。
恥ずかしながら、すっかり、高杉さんの隣に居る女性に目を奪われていた。
これほどまでに美しい女性を、僕は見たことが無かったのだから、許して欲しい。
そして、思わず声をかけたい衝動に駆られるも、今の自分は男ではなく女の姿なのだと気付き。喉まで出かけた言葉を、そのまま飲み込んだ。
すると、押し黙る僕を不思議に思ったのか、その女性は首を傾げてこう言った。

「どうかしたのかな、武市君」

声は女性にしては低く、どうも聞き覚えがあるものだった。と言うか、桂さんだった。その変貌振りにしばし言葉を失っていると、隣に居た高杉さんはにやりと笑う。

「小五郎、お前が美人過ぎて言葉が出ないらしいぞ」

悪戯っぽく言う高杉さんは、桂さんを肘でとんと小突いた。すると彼は少し驚いて見せてから、いつものようにやわらかな笑みを浮かべるのだ。笑みの形を作った唇は、紅い。

「それはそれは」

向けられた視線と言葉に耐えられなくて、思わず顔を反らした。すると彼の指先が、僕の髪に触れる。その動作は女性そのもので、心臓が波打った。

「御髪が乱れているよ」

そう言って慣れた手付きで、彼は僕の髪を事も無げに直して見せる。ほんのわずかな時間だと言うのに、僕にはずいぶんと長く感じられた。視界の端にちらちらと映る、白魚のような手が気になった。

「折角、可愛らしくしているのだから」

そう言って彼はまた美しく微笑むものだから、僕の心はすっかりいかれてしまったのだった。





蝶よ花よ





20101230

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