端からラストスパート 大久保さんが真剣な顔で求婚をしていたので、ああこれは大変な場面に遭遇してしまったなと思った。これほどまでに熱心に愛の言葉をつらつらと並べられては、さぞ相手の女性も満更ではないだろうなとぼんやり考える。 きっとしばらくせぬ内に、大久保さんとその女性は祝言を挙げることだろう。その場にはきっと私と晋作も呼ばれることだろうから、お祝いをいくら包むべきかなと思案する。 あまりにも多過ぎては逆に失礼だろうし、かと言って少なければ良い心象は抱かれないだろう。これは難しい問題に直面しそうだ、藩邸に帰って晋作と相談せねばいけない。いくら財源が豊富であろうと、それは無限ではないのだから難しいところだ。 そう、熱心に求婚し続ける大久保さんを目の前にしながら考え込んでいると、突然に言葉はこちらへ向けられた。 「桂君、聞いているのかね」 それがいやに真剣なものだったから、ああしまった私は何かを聞き逃したのだと思いつつ、それを悟られぬように言葉を濁した。 「あ、はい」 すると途端に彼の表情は、今までに見たことも無いような晴れやかなものになった。そして心から安堵したかのように、ほうと息を吐いてみせる。この人も人間らしいところがあったのだなと、何だかおかしくなった。 ところで。先程から気になってはいたのだが、彼が求婚した女性はどんな顔をしているのだろうか。私は自分の右隣にチラリと視線をやった。けれどもそこは空白で、ただひたすらガランとしている。 ああこっちではなかったのか。そうして私は左隣に視線を向けるのだが、今度もそこは伽藍堂だった。誰も居やしない。 しまった、これは私の立ち位置が悪かったのだと、不安になりながら後ろを振り向いた。全くもって申し訳ない話だが、そこには彼が求婚した女性が居るはずだった。 けれどもいくら後ろを振り返っても、私の目には誰も映らない。 はて、不思議なこともあるものだと首をかしげたところで、大久保さんに息が詰まるほどの強さで抱きしめられた。 そして彼は、祝言の日取りはいつにしようかだとか、君はいつから薩摩藩邸に来てくれるのかねだとか、どこか興奮した様子で言葉を並べ立てていた。そのどれもが要領を得ないもので、私は適当に「はあ」とか「ええ」とか曖昧な返事で言葉を濁し続けた。ひとしきりまくし立てられたところで、満足したらしい彼に、私はようやく解放された。何だかよくわからないままに、話は進んでいたようだったが、さして気に留める程でもないだろう。 何せ、今日の大久保さんは最初からどこか様子がおかしかったのだ。今だってこうして勝手に一人で話を進めて、私はすっかり置いてけ堀にされていたじゃないか。いつもの彼からは、とても考えられないことだ。 きっと今日の彼は、熱にでも浮かされているのだろう。 そうして私は、大久保さんの発言の真意を追求することはせず、長州藩邸へと続く帰路をたどることにした。その途中、少しは大久保さんの言動を気にかけてはいたけれど、藩邸が見える頃にはすっかり私の頭は夕餉の献立を考えることに切り替わっていた。 今夜は鯖でも煮付けよう。 そう思いながら門をくぐったところで、晋作の姿が目に入った。ただいまと私が声をかける前に、こちらに気付いたようだった。 そして心底おかしそうな顔で、目尻には涙すら浮かべてみせて、彼は笑いを必死にこらえながらこう声をかけたのだった。 「小五郎、お前が白無垢を着るらしいな!」 その突飛な台詞に、私は眉を顰める。すると晋作はそれを見て、やはりそうかと言ってから、けらけらと一人で笑ってみせた。人の顔を見るなり笑い転げるとは、失礼なやつだと思う。 それにしても今日は、皆が皆しておかしな事ばかり口にする日だ。 これが厄日とかいうものなのだろうかと、不可思議に思いながら、私は一人で夕餉を支度し、一人で食事をとり、とっとと布団に入ることにした。 今日はどうもおかしな一日だったが、目が覚めれば日常に戻ることだろう。そう願いながら眠りについた。 そして翌朝、起き抜けに私が目にしたのは、気の早すぎる結納品の山だった。 どうか間違いであってくれと、送り主の名を確認したところで、ようやく私は自分の身に起こっている全てを理解したのだった。 さて、私と祝言を挙げるつもりの彼に、どこから説明すればいいのだろう。 端からラストスパート 20101217 |