愛していた 愛していた 何度肌を重ねても唇を許さぬ彼を見て、身体を売りながらも気高いままである遊女の姿を重ね見た。 いくら頭の先から爪先まで、彼の全てを知り尽くしていようが、その心だけは雲に覆われた月のようにおぼろだった。 たとえ目を瞑っていようが、彼の嬌声を誘い出すことはこの指にとって容易いことだ。 だが、その胸の内までは、私の指先もなんら届かぬらしい。 この、冗談染みた関係の始まりは、気紛れと、少しばかりの好奇心だった。 けれども彼としとねを共にするごとに、この胸の内に積もっていくのは紛れもない歯痒さだ。我ながら、そんな自分に嫌気が差す。 いつものように私に組み敷かれながら、女のように鳴く彼は何を思っているのだろうかと、ふと冷静な頭をした自分が考える。 情欲に身を任せる己とは、また別のところに冷静な頭をしたそれが居た。 まるで他人事のように、この何も生み出さぬ交わりを傍から眺めている。 そして冷静な頭をしたそれは、欲に身を任せる私達をせせら笑うのだ。 いや、笑われているのは、私だけかもしれない。 「武市君」 快楽の海に、頭の先までどっぷりと浸かった彼の表情は嫌いじゃない。 今にも意識を飛ばしてしまいそうな彼の名を呼び、その頬に掌をあてがい唇を寄せた。 うめき声にも似た、言葉にならぬ声が私の耳に届いたかと思うと、ふいと顔を背けられる。 そして私の唇は、行き場を無くすのだ。 なに、いつも通りの事だ。 私はその拒絶に苛立ったふりをしながら、彼を攻め立てる。 吐き出そうとする精を無理矢理この手で押さえながら、彼が泣いて許しを請うまで続けられるその流れは、今や飽きあきするほどのお決まりだった。 そして全てを終えてから、気を失う彼の姿もお決まりだった。 今夜は珍しく、虚ろな表情で必死に意識を保っているようだったが。 「君はどうして唇だけを、許さないのかね」 肩で息をしながら、布団に顔をうずめる彼の背中に問う。 他の事ならば従順に従ってみせるのに。そんな揶揄を、言葉の端に込めながら。 こちらからは彼の表情は見えない。 向こうからもこちらの表情は見えぬだろうが、顔には微かな嘲笑を貼り付けておいた。 もしかすれば途中で気を失ってしまったかもしれない、そう思わされるような長い沈黙のあとに、途切れ途切れな彼の言葉が耳に届いた。 「貴方は、どうして」 僕の唇に固執するのですか その言葉に、頭を鈍器で殴られたような気がした。 今にも眩暈を起こして倒れてしまいそうな、不安定さに襲われた。 頭の隅で冷静な頭をした自分が、それ見たことかと、私を笑っている。 今までのせせら笑いではない、今の私に向けられるのは道化に対するそれだ。 何が始まりは気紛れで、何が始まりは好奇心だ。 初めから私はただ、彼のことを。 今にも瞼を閉じてしまいそうな、彼の顔を無理矢理こちらに向けた。 そして有無を言わさず唇を寄せると、いつものように拒絶される。それが、なんだと言うのか。 力任せに腕を押さえ込み、嫌がるように逃げる唇を、私はようやく捕らえた。 散々、身を繋げた後だというのに、また身体が熱を持ってしまうような口付けを交わす。 ここまで拒絶されてきたのだから、舌を噛み切られるかとも頭を過ぎった。 だが、それは杞憂に終わる。 彼の甘い口内を犯す舌先は、拒絶されることもなく受け入れられた。そして、まるで私を誘うかのようにして、蜜を絡めあわんとするのだ。 慣れ過ぎた彼の身体よりも、いっそ心は溺れた。 脳内がとろけるような口吸いのあとに、彼は泣きそうな顔で呟いた。 「貴方は僕を、恋慕っているんでしょう」 そう言ってさめざめと彼は泣く。 「必死で、遊びだと割り切ろうとする貴方を、見ているのが、つらい」 僕まで貴方に溺れてしまいそうだ そう言ってから、彼はぷつんと事切れたかのように静かになった。意識をどこかへやってしまったらしい。 髪も服も何もかもがぐちゃぐちゃな彼に、私はそっと寄り添った。 そして気を失った彼をいいことに、耳元に囁く言葉は何も生み出さない告白だった。 「私は、君を愛していたらしい」 先程まで頭の片隅で聞こえていた自分を嘲り笑う囁きは、夜のしじまに消えた。 20101206 |