手前が壊れて生まれたソレ


いつものように折原臨也をぶっ殺そうとした結果がこれだった。手元が滑ってアイツを殺しかけたあの時の俺を、時間さえ遡れるなら殺してやりたいと思う。
どうして俺はアイツを、ちゃんと、殺してやらなかったのか。
どうして俺はアイツを、殺すのではなく、壊してしまったのだろうか。

「おめでとう、静雄」

抑揚の無い新羅の声が耳元に響いた。その言葉に拳を握り締めてから床を叩き付けると、マンションやら億ションとやらが微かに揺れた。

「いやだな、冗談だよ」

そう言って新羅は薄暗い廊下に消えてしまった。
ただっぴろい部屋の中に残されたのは俺と真っ白の服を着たイザヤだけだった。
とうに彼の精神は壊れていた。

赤やピンクを好んでいるらしい彼は、一日中ヘッドフォンを身につけ、延々と真っ白な脳内に曲を流し続けた。
今ではしゃべることすらできないソレではあったが、時たまその曲を真似して小さな声で口ずさんだ。
老人の澄みきった瞳のような、曇ることのないそれを持つ彼は能面のような顔のままで一日を過ごす。
笑うことも怒ることも泣くことも忘れた彼は、赤子ですら無かった。
空っぽなのである、己が無いのだ。
ただひたすら一日を温室のようであり、要塞のようでもあるこの部屋で過ごしている。
その全ては、以前の強かな彼が得た財産で構成されており、こうして音楽を聴き食事を取り、眠るだけの生活ならば一生続けても尽きることはないだろう。
それが幸か不幸かは、神のみぞ知る。
彼は白い服を好んだ。
彼は手料理を拒んだ。
彼は一人を愛した。
彼は世界を捨てた。
世界とは人間だ。
けれどその体だけは以前の彼と同一なのだ。
これは一体、誰だ。
あぁ狂ってしまう。狂ってしまう。

「なぁ、イザヤ。てめえ本当はおかしくなんかなってねーんだろ、また俺を騙して腹の内でたくらんでるだけなんだろ」

彼の瞳はうろんだ。

「どうせお前のことだ、さぞ今の状況は面白いだろうな。あぁ?俺がお前の飯作って、風呂入れて、寝かして、そんな風にしてるだなんてトムさんにだって想像できねーだろうなあ」

薄い唇が開くも漏れ出したのは薄っぺらなメロディ。

「今だって本当は腹抱えて笑いたいぐらいだろ、聞いてんのかコラ。あぁ、もういい。もう十分だ、もう全部まっぴらなんだよ。一度しかいわねーぞ、よく聞け。俺の負けで、てめーの勝ちだ」

白い服に身を包み、桃色のヘッドフォンに耳を寄せる彼の視線は遠すぎる。

「だから、もう戻ってくれ」

こちらを向こうともしないそれの襟首を掴んだ。強引に身を引き寄せて抱きしめようと伸ばした手は震えていた。刃物すら寄せ付けぬこの腕が何を恐れるというのだろうか。腕の震えは確かだった。
薄っぺらなメロディは消え失せ、腕の中で彼の全てが止まった。こうなってから初めてだった。こんな風に彼を扱ったのは。

「話せ、口うるさくすりゃいい。今なら黙って聞いててやる、だから話せ」
「……はなせ」

腕の中で彼が呟いた。その言葉に驚く。

「……」

ただ俺の言葉の端々を繰り返しただけのようだった。数ヶ月ぶりに発したメロディ以外の言葉だった。相変わらず中身は空っぽだった。
けれどもその言葉すら嬉しく思える俺は、相当疲れていたのだろう。溢れ出る涙は絶望から来た物か、幸福から来たものかは、最後まで分からなかった。





手前が壊れて生まれたソレ





20101127

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