初めて姿を見かけた時から、僕はすっかり彼女に心を奪われていたんだと思う。
着物が行き交う町中で、一人西洋の装いで彷徨く姿は異様ではあったけれど、それ以上に何か惹かれる物を感じたんだろう。
そうでなければ人の行き交う往来で、わざわざ足を止める理由なんてない。何しろ僕が立ち止まることで、土方さんに憎まれ口を叩かれるぐらい予想出来ていたんだから。
だからこそ、二度目に彼女と出会った時は、きっとこれは運命なんだと思った。
神様とか仏様とか、そう言う類いのものは信じていなかったけれど、その時ばかりは目に見えない何かに感謝した。
ただ少しだけ言わせて貰えれば、再会の場が薩摩藩邸であることは、残念だったかな。





The Catcher in the Lie





二度目に出会った時、彼女は薩摩藩邸で女中の真似事のようなことをしていた。
真新しい着物に身を包み、女中の後について忙しなく藩邸をパタパタと動き回っており、まるで親鳥の後を必死に追う雛のようだった。
服装は違えど、さらりと伸びた長い髪と、何だか異国を思い出させる顔立ちは、忘れろという方が無理で。ほんの一瞬すれ違っただけなのに、僕の頭の中では町で遠目にした彼女の姿と、ぴたりと一致したのだった。

「新しく女中を雇われたんですか?」

早く帰ってくれ。そんな雰囲気を隠そうともせぬ大久保さんに、僕は微笑んでそう尋ねた。
よほどこの邸内に僕を入れたくないのか、彼は先程から門の前で、見廻りに来た僕の相手をしてくれていたところだった。

「ああ。どこの田舎から来たのかは知らんが、人づてに頼まれてな」

腕を組んだまま、眉一つ動かさずに淡々と彼は言ってのける。
僕はその言葉にわざと驚いたフリをして、少しだけ目を丸くさせた。

「おや、田舎からですか。田舎では、異国の着物が流行っているんですね」

そう言って微笑みかけると、そこでようやく彼の表情が、かすかに動いた。

「先日、異国の着物に身を包んだ彼女を見掛けました。町中でしたから、それは目立っていましたよ」
「……何かの見間違いだろう。あれ位の娘なら、そこらへんにいくらでも居る」
「おや、そうですか?僕にはそうは思えませんが」

僕はわざと、とぼけて見せる。
すると彼は、さも興味無さそうな表情をしてから、片手をひらひらと振ってみせた。

「下らん話は終わりだ。それとも新撰組の隊務は、井戸端会議の真似事でもすることなのかね」

それがどうやら、終わりの合図らしい。
少なくとも彼女はあの日、異国の着物に身を包んだ張本人で。そして異国の着物を手に入れられるような人間と、薩摩藩が関わりを持っているということは、確かなようだった。
屯所へ持って帰るには、十分な情報だ。
不機嫌そうな様子をあらわにする大久保さんに、僕はぺこりと頭を下げてから、にっこりと微笑んだ。

「とんでもない。お付き合い下さってありがとうございました」

そう言って背を向けて、僕は彼の元を後にした。
薩摩藩邸の塀沿いを歩きながら、さてどうしようかなと、一人考える。
今の時間なら、女中は何をしているだろうか。昼餉の支度にしては早過ぎる時間だし、何より今日は胸がすくような晴天だ。もしも僕が女中なら、今の時間に洗濯物を干しにかかることだろう。
そう思いついたが最後、僕の脚は自ずと、薩摩藩邸の裏口へと向かっていったのだった。

*

「こんにちは、今日は洗濯物日和ですね」

僕の思惑は見事に当たっていた。裏口近くの庭先で、洗濯物を干している彼女の姿を見つけたのだった。今日は運がいいのかもしれないと、一人思う。
そんな僕とは相反して、突然の来訪者に、彼女の顔は困惑に満ち溢れていた。
それはそうだろう、こちらが彼女を見知っているというだけで、彼女からしてみれば、僕は全くの赤の他人なのだから。
顔に人懐っこい笑みを貼り付けて、僕はぺこりと頭を下げた。

「ああ、すみません。僕は新撰組の沖田と言います。先程、大久保さんから紹介されたので」

すると、途端に彼女の表情は一転し、晴れやかなものになる。
僕が大久保という名を出したことが、彼女をそうさせたのだろう。
彼女の素性も何も知らないが、どうやら大久保さんの存在は、彼女にとって絶対らしい。
町中で、右も左もわからぬと言った様子で、うろうろとしていた彼女の姿を思い出した。

「あっ、こんにちは。あやねと言います」
「あやね、さん?」
「はい、そうです。すいません、あんまり藩邸の人以外と話した事が無くて、驚いちゃって」

そう言って彼女は、照れたように笑って見せた。

「こちらこそ驚かせてすいません。ええと、薩摩藩邸からは、あまり外出されないんですね」
「大久保さんに、外は危ないからって、止められるんです」
「ということは、ここに、閉じ込められてるんですね?」

そう意地悪く表現すると、彼女は困ったように首を傾げた。

「ああ、冗談ですよ。冗談」

すると途端に彼女の表情は、ほっとしたように和らいでいった。
くるくると変わる表情が、とても彼女に似合っていると思う。
声すらも、こうして耳にするのは初めてだというのに、僕の中にあったかすかな独占欲が、そっと芽を出したような気がした。
きっと僕と大久保さんの、もとい、新撰組と薩摩藩の危うい関係など、彼女は何も知らないのだ。そうでなければ、僕に真っ直ぐな微笑みを向けてくれているこの状況を、説明出来ない。
今ではすっかり町人に眉を顰められる、この浅葱色の羽織を身に付けているというのに、それでも彼女は僕にやわらかな笑みを向けてくれているんだ。
きっと彼女は、本当に何も知らないんだろう。
その無知さの、なんて危なっかしくて、なんて心惹かれることだろう。
彼女を籠の中の鳥のように扱う、大久保さんの心情が、手に取るように理解出来た。

「大久保さんに、随分と大切にされてるんですね」

ぽつりと口からこぼれ出たのは、確かな本音で。その言葉を耳にした彼女は目を真ん丸にさせて、驚いてみせる。
そして、真横に首を振るのだ。
おや、違うんですかと尋ねると、今度はこくこくと首を縦に振る。
何も知らないどころか、大久保さんは彼女に、何も知らせようともしていないらしかった。
あの人がそんな、回りくどくて分かりにくい情の示し方をするのかと、そう考えたら何だかおかしくなってくる。
大久保さんもどうやら、人の子らしい。
思わず、くすくすと口から漏れた笑い声に、彼女は顔を真っ赤にさせる。
どうやら、自分の姿を笑われたのだと思ったらしい。
ああ、違うのに。
僕はただ、あのどうしようもなく不器用な人を、笑っただけなのに。
そうしてひとしきり笑い終えたところで、僕は彼女に視線を向けた。危うすぎる無知さと、純粋さを兼ね備えた彼女に。

「もしも僕に、そんなに大切な人がいたら……好きな人がいたら」

そう言い直したところで、彼女の頬は朱に染まる。
きっと彼女の頭の中には、大久保さんの姿が思い浮かんだことだろう。
そうと分かっているのに僕の右手は、彼女の気持ちなんてお構い無しに、目の前の腕を掴もうと、もがくのだ。

「さらってしまおうかな」

そうして掴んだ彼女の腕を、離す術など忘れてしまえ。





20110225


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